第69話 夜見美月の暴走③

【ケース③ ベッドにて】


 夜見さんの耳掃除とマッサージは俺と夜見さんとの距離を縮めるには十分過ぎる威力を持っていた。


 これまで勢い余って手をつないだことはあっても俺と夜見さんは付合っていないわけだから世間一般のカップルがするようないちゃいちゃするということはなく、同居人以上恋人未満というような距離感で清く正しい日常を送っていた。


 ところが、あの耳掃掃除はそういう微妙なバランスにあったものを壊してしまったと思う。俺は夜見さんと一緒に暮らしながらもどこかちょっと警戒しているというか構えているところがあった。それは当然のことといえば当然のことで、ある日突如として、あなたの許嫁として参りましたと学校でトップクラスに可愛い女の子がやって来れば、これは何かの陰謀ではないか、ドッキリではないか、無理して俺のところに来ているのではないかと勘ぐってしまう。


 だから、これまで夜見さんが本当は俺のことなんかそれほど好きではないかもしれないと心の隅で思いながら過ごしていた。そうすることで、夜見さんの本心がわかった時に受けるダメージを少しでも軽減しようと予防線を張っていたわけだ。


 だけど、あの耳掃除とマッサージによって俺はガードを下げてしまい、一時的ではあるが身も心も夜見さんに預けてしまっていた。


 まずい、このまま流されては、どこかで一線を越えるようなことになってしまうかもしれない。


 俺は耳掃除が終わった後、もう一度気を引き締めなければと思いながらいつもと同じようにベッドに入り眠りについた。


 そう、この時は俺も夜見さんもいつもとなんら変わらない様子だった。いつもと違うことに気付いたのは深夜のことだ。


 いつもなら一度眠りにつけば途中で目が覚めることもなく朝までぐっすり眠っているのだが、この日はなんだかちょっと暑いような気がして目が覚めた。


 横向きに寝ていた俺がうっすら目を開けるとカーテンの隙間からほんの少しだけ光が差し込んできているせいもあって、寝室は暗闇ではなかった。


 そして、すーすーという柔らかな寝息が胸の辺りから聞こえることに気付いた。


 ど、どうして夜見さんがここで寝てるの!?


 語弊があるといけないので一応説明しておくと、俺と夜見さんはいつも同じベッドで寝ている。寝てはいるのだけど何か間違いがあっていけないからあまり近づきすぎない距離をとって寝ている。幸いにしてベッドはクイーンサイズなので二人がくっついて寝なければいけないということはない。


 俺も夜見さんも寝相はいいので、夜中に寝返りをしてぶつかるということもなかった。


 それなのに今日は夜見さんが俺の胸元にくっつくように寝ている。夜見さんがたまたま寝返りをしてこの位置にいるだけならば俺が少しずれて再び距離を取るだけで済んだ。でも、今の夜見さんはそれを許してくれない。なぜなら、夜見さんの尻尾が俺を覆うように被せられているからだ。暑く感じた原因はきっとこの尻尾だろう。


 また、夜見さんがこれほど近くで無防備に寝息をたてているというのは精神衛生上よろしくない。ちょっとでも気を抜いてしまえば夜見さんを抱き寄せてよしよしと頭を撫でるくらいのことはやってしまいそうだ。


 紳士淑女たる読者の中には夜見さんを起こしてもいいからここは距離を取り、一刻も早く精神の安定を得るべきだと考える方もいるだろう。


 もちろん、俺もそのことについて考えた。だが、それと同時に起こしてしまった場合のリスクも考えた。


 例えば、こういう場合だ。


『ねえ、夜見さん、こんなに近くで寝てるとちょっと暑いんだけど』


 俺は夜見さんの肩を軽く揺らしながら普段話す声と囁く程度の声の中間くらいで話し掛けた。


『うーん、陽さん、どうし……、ふぇっ、ひ、陽さん、うちの寝込みを襲うなんて!』


『ちょ、ちょっと、夜見さん落ち着いて』


『心の準備ができてへん幼気な乙女を襲うなんて!』


 こういう展開になって、俺の評価が一気に下がってしまうことがあるかもしれない。


 やはり、ここは無駄に夜見さんを刺激することなく今の状態のままでいて、夜見さんが再び寝返りをして俺から離れるのを待つのが最善の一手なのではないだろうか。嵐が過ぎ去るのを静かに待つのと同じだ。


 誤解のないように言っておくけど、俺は夜見さんがくっついているこの状況をニヤニヤした顔で楽しんでいるむっつりスケベなどではない。このような状況下においても強靭なる理性によって夜見さんに手を出すことなく耐え忍んでいるただの童貞である。

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 陽君は本当に耐え忍ぶことができたのか?

 次回公開予定:4月4日AM6時です。

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