第66話 銭湯とスク水④

「提案ですか?」


「そう、君は美月が今回の許嫁の件を失敗して襟巻にされるのが嫌だから本心を押し隠して君に接していると考えているようだから、美月を襟巻にするということはなしにしてあげるぅ」


 襟巻の件がなしってことは俺が夜見さんとの許嫁関係を解消しても夜見さんの命は保証される。


 でも、それって俺と夜見さんを繋いでいるものがなくなってしまうってことでもある。


 夜見さんが俺のところに来た日に俺は襟巻のことがなかったら、間違いなく許嫁として派遣されてきた夜見さんを丁重に送り返しただろう。


 夜見さんにしてみても俺に嫌われると襟巻にされると思っているから健気な許嫁を演じているのかもしれない。


 俺たちは手錠で繋がれた状態でいたからこれまで上手くやってこられたのかもしれないのに、それがなくなってしまったら……。


「どうしたのぉ。そんなに悩むことかなぁ。君が懸念していたことが全部解決できていると思うのだけどぉ」


 どうする。この提案を飲めば、夜見さんを無理に俺に縛り付けなくてすむ。ただ、場合によっては夜見さんが出て行ってしまって、今の生活が終わってしまうかもしれないけど。


 でも、それが夜見さんの望むことなら……。


「お、お願いします。夜見さんを襟巻にすることはなしにしてください」


 俺の返事を聞いたうーたんは目を細めてニヤリを笑うと、

「りょーかい、美月には私の方から話しておくねぇ。それじゃ、二人で仲良くするんだよぉ」


 うーたんはそこまで言うと、両手で湯をすくって俺の方にかける動作をした。


 ザバーン。


 うーたんの手の大きさからすればコップ一杯分くらいのお湯しかすくえないだろうに、俺の方に飛んできた水の量はコップ一杯どころではなく風呂桶十杯分はあるのではというくらいの量だった。


 驚くより先に身体が反応して思わず目を瞑ってしまい、次の瞬間には顔にぶつかるお湯の温かさを感じた。ただ、不思議とこれだけの水がぶつかってきたのに衝撃はほとんどなかった。


 何をするんだと思いながら目を開けると、そこはさっきまで俺とうーたんがいた浴室ではなく他のお客さんがいる元の浴室だった。


 顔にかかった湯を拭いながら周りを見渡しても当然スク水ロリっ娘の姿はない。周りの人に俺、さっきまで俺はどこにいましたなんて聞いたらのぼせておかしなことを言っているように聞こえるだろう。


 さっきまでのあれはのぼせた俺が見た幻なのだろうか。だとしたら、そこにスク水少女を登場させている時点で俺の隠れた性癖が心配になってくる。


 とにかくこれ以上長湯はしない方がいいと思って、脱衣所に戻り服を着た。そして、ロビーで水分補給でもしながらここは一度落ち着こうと思ってロビーへの暖簾を潜ったところで思わず額に手をやってしまった。


「やぴー、東雲君、やっぱりお風呂の後はフルーツ牛乳だよね」


 ロビーの長椅子には黒の猫耳パーカーを着た少女と、

「お疲れさんです。はい、陽さんもどうぞ」

 お風呂上がりのしっとりとした髪が綺麗な夜見さんが並んで座っていた。


 夜見さんから手渡されたペットボトルの水を一口飲んでからうーたんに確認をした。


「うーたん、さっきのは夢とかではなくて現実ってことでいいんですよね」

「夢ではないし、現実でもないかもしれないねぇ」


 どうやら真偽のほどは教えてくれないらしい。


 俺とうーたんのやり取りを見ていた夜見さんが不思議そうな顔で俺の方に尋ねた。


「夢とか現実とか何かあったん?」

「美月、東雲君はスク水姿の女の子と一緒にお風呂に入りながらイチャイチャしたいという深層心理があるようだから今度試してみるといいよぉ」

「ちょ、ちょっと、何を言っている――」

「さっ、私はそろそろ迎えが来てるから行くねぇ」


 そう言うとうーたんは空になったフルーツ牛乳の瓶を返却かごに戻して、銭湯の入口にぴたっと着けられた黒塗りの車に乗り込もうとした。


 まだ、うーたんには聞いておきたいことがたくさんある。たとえば、なんで夜見さんが許嫁に選ばれたのかとか、とにかくこのチャンスを逃したら今度会えるのがいつかわからない。


 俺は急いでうーたんの後を追うように入口に向かったが、俺が外に出た時にはすでにうーたんは車に乗り込み、ドアが閉められたタイミングだった。


 遅かったかと思うと車の窓が開けられてそこからうーたんがぴょこりと顔を出した。


「東雲君、君のお願いはちゃんと聞くけど、美月を悲しませたり困らせるようなことがあればその時は、美月を返してもらうからねぇ」


 それだけ言うと、ばいばーいという声とともに車は発車して、銭湯の入口には俺だけが残された。


 まったく、急に現れ、急に帰るのはいいけど、せめて夜見さんに与えた誤解くらいは解いて欲しい。今度、家でお風呂に入っている時に夜見さんがスク水姿で突撃してきたらどうするつもりなんだ。


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 次回は最終章に向けた幕間です。

 公開予定:3月27日AM6時です。

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