第9話 思考のラビリンス

 そうして、無事に夕食の後片付けが終わると、いよいよデンジャラス・イベントであるお風呂時間がやって来た。


「陽さん、お風呂はいかがしはります? うちは一緒に入ってもええよ……、お背中流しますよ」


 やはりそうきたか。絶対に一緒に入ると言ってくると思っていた。

 ここまでは想定の範囲内だ。


 お風呂イベントは夜見さんを許嫁として受け入れることを承諾していない俺を一気に陥落させるには絶好のチャンスだ。これを夜見さんが見逃すはずはない。女性の裸なるものをマイ・イマジネーションとファンタスティック作品でしか知らない俺にとって、学年で一、二を争うような美少女である夜見さんと一緒にお風呂に入るという行為は、正常な判断を狂わすには十分過ぎる刺激だ。


 いや、正常な判断以前に、その強すぎる刺激によって鼻血を出してしまうかもしれない。クラスメイトの裸を見て鼻血を出すなんてそんな昔のマンガみたいなことが起こるのかわからないが、万が一にもそんなことがあれば、トラウマになること折り紙付きである。


 だからこそ、夕食前から念入りに心の中で何度も唱えていた台詞を言う。


「気を使ってくれて、ありがとう。でも、俺一人で入るから大丈夫。先に夜見さん入って」


 ハハッ、完璧に決まった。一発OKの完璧なセリフ回しだ。


「フフッ、そのセリフ何回練習しはったんですか? えらいガチガチで不自然やわぁ。まあ、陽さんが一人がええならそれでかまいません。でも、先に入るは陽さんにしてください。うち、まだ荷物の整理が終わってなくて、そっちを先にしたいんです」


 なぜ、全部バレてる。


 さっきの俺の台詞の何がダメだったんだ。途中で詰まったり、声が緊張で裏返ったりなんかしていなかった。完璧に自然な感じで言えたはずなのに。


 まあ、一人で入るということを勝ち取ったので、結果としては勝利と言っていいだろう。


 脱衣所にタオルやパジャマを準備して風呂に入る。入口のドアには鍵があるが、施錠はしていない。そこまでしてしまうとなんだか夜見さんのことを強く拒否しているように思われるんじゃないかと思ったからだ。


 湯船の湯加減はちょうどよく、思わず心からの感想が口から洩れてしまう。


「あ゛ー気持ちいい。マジ天国だわ」


 今日一日かなり緊張の時間が長かったけど、湯に浸かっているとそれが溶けて身体が軽くなるような気がする。


 この部屋の湯船は足を伸ばせるほど大きいので、シャワーが中心だった大沼荘の時とは大違いだ。ちなみに大沼荘にいた時は大きなお風呂に入りたい時は近所の銭湯に行っていた。あれはあれでいいんだけど、冬場は銭湯までの道のりが寒かったからな。


 湯船に浸かってリラックスしてきたところで、今日の出来事を思い出す。元カノに振られてから怒涛の勢いでここまで来てしまった。今朝の俺にあと十二時間以内に彼女に振られて、下宿にトラックが突っ込んで、高級マンションで銀髪美少女と一緒に生活するなんてことを話しても絶対に信じなかっただろう。なんなら、そんなことがあれば鼻でスパゲッティ食べてやるって言うくらいだ。


 でも、これから俺はどうすればいいのだろう。いろいろなことが起こり過ぎて頭の中がぐちゃぐちゃしている。


 まず、元カノとはこれからどうなるだろう。元カノが俺と別れた理由は俺のことが嫌いになったというよりも俺よりずっといい男と仲良くなったからだろう。悲しいものであれだけ浮気の証拠写真を見せられたのに未練が全くないというわけでない。未練がましいと言われるかもしれないけど、一年近く好きな子だったのでまだ気持ちの整理がつかない。もし、元カノからりをもどそうと言われた時にはっきりと断れる自信はない。


 そして、問題は夜見さんの方だ。元カノへの未練が残ったままで、許嫁の件を承諾するなんてできない。だいたい、夜見さんは御利益達成のために俺のことなんか好きじゃないのに無理やり好意があるように見せている気がしてならない。しかし、だからといって、夜見さんを完全に拒むことは出来ない。それは彼女を殺すトリガーを引くということで俺にそんなことをする勇気はない。そもそも普通の人ではないキツネ娘の夜見さんと俺が上手くやっていけるのか。


 全てにおいて中途半端、自分の意志がはっきりしない。


 思考の無限ループがとめどなく続き、考えているようで結局は何も考えていない時間を過ごしていると湯船の中でうとうとしてきたので出ることにした。俺が思っているより身体は疲れているようだ。


 風呂から出て寝る準備を整えると、夜見さんに疲れたから先にベッドに入ることを伝えた。


 二人で寝るには十分な大きさのベッドの端の方にちょこんと外側を向くように横向きになって寝た。ソファーで寝ることも考えたが、きっとそれは夜見さんが許してくれないだろうし、ベッドの真ん中にタオルとかで境界線を作るのは夜見さんを拒否している感じが出過ぎるので、最善の策としてこの形を選択した。


 風呂ではうとうとしていたのにベッドに入った途端に急に眼が冴えてきた。それはいつもと違う寝床だからだろうか、それともこのあとここに夜見さんが来て一緒に寝るからだろうか。


 さっきまで夜見さんを許嫁として受け入れることが本当にいいことなのかなんて考えていたのに俺は何を期待しているのだろう。


 しばらくして、扉越しに小さい音だけれどドライヤーを使う音が聞こえてきた。夜見さんがお風呂から出たのだろう。ということは彼女がもうすぐここに来ることになる。それまでに寝ないとますます寝付きにくいと思うが、それが余計に緊張を生んでしまい寝付くことが出来ない。


 ついに、ベッドルームの扉が開く音が聞こえ、少しベッドが揺れることで彼女もベッドに入ったことがわかった。


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 次回更新は12月10日午前6時の予定です。

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