第6話 鬱血はふーふーしても治りません
スーパーでの買い物は思ったより多かった。
生鮮食品に加えて、夜見さん希望の各種調味料なども買った。今までも簡単な料理は作ってきたつもりなので、ある程度の調味料は揃っていると思っていたが、夜見さんとしては足りないものが多いらしくそれらを買い足すと買い物かご二つ分になった。
会計を終えて袋詰めをすると、買物袋は三つになり、俺は調味料が入っている袋や野菜や肉が入っている重い袋を持って、一番軽い袋を夜見さんにお願いした。
「えらい重そうやけど大丈夫? 野菜の袋とこれ交換します?」
「ううん、このくらい大丈夫。むしろ左右両方が重い方がバランスが取れていいから」
「ほんま? 無理せんといてよ」
正直に言おう、やせ我慢である。
左右のバランスが取れた方がいいというのは本当だが、けっこう重い。さらに袋の持ち手が指に食い込んできて痛い。こんなに買うとわかっていたらリュックを持ってきたのに。
でも、弱音を吐くわけにはいかない。この重さの袋を夜見さんに持たせるわけにはいかないし、ちょっとはかっこつけさせて欲しいとも思っている。
部屋まで帰るのに要する時間を考えるとぎりぎり我慢できそうだなと計算をした。
だから、帰り道は往きに比べて、口数が減り、荷物を持つ手に集中して歩いた。何度か心配した夜見さんが大丈夫と声を掛けてきたが、大丈夫とだけ短く返して歩いた。無駄に話をしていると部屋に着くまでの時間が増えてしまい、俺の活動限界時間を超える可能性があった。
「「ただいま」」
音程の違うただいまが玄関に響く。
部屋に着くと靴を脱ぐより先に荷物を置く、それと同時にふーっと大きく息が漏れる。
「重かったやろ。おおきに」
靴を脱いでいると夜見さんが笑顔で労ってくれた。その笑顔と言葉だけで疲れた身体が楽になる。白魔道士目指せますよ。
置いた荷物をキッチンに運ぶため再び買い物袋を持とうとすると、夜見さんが俺の手を取った。
「あー、手がえらいことになってるやないの」
重い荷物を持っていたので買い物袋の持ち手が指に食い込んで指先が鬱血したように紫色になっていた。
「こないなるまで、気張らんでもよかったのに。うちだって重い袋一つくらいはちゃんと持てますから頼ってください」
夜見さんはなぜか鬱血している俺の手を握って熱いおかずを食べる時のようにふーふーと息を吹きかけている。
「えーと、何をしていらっしゃるのでしょうか?」
「何って、指先が痛そうやわぁと思ったさかいふーふーしたら、よーなるかと思ったんよ」
転んだりして擦りむいた時に傷口をふーふーとしたことはあるけど、鬱血にふーふーっていうのは初めてだ。
夜見さんはすぼめられた口からふーふーと息が吹きかけられるたびにゾクッという感覚が襲ってくる。
な、なんだ⁉ このエロくないはずなのに妙に色気のある艶やかな感じは……、まずいこのままでは何か新しい性癖を開発されてしまうような気がする。それになんだかとても悪いことをしているような気分になる。
逃げるように手を引こうとすると夜見さんに握られていたせいで自分が思ったのとは違う軌道を描いてしまい、彼女の唇を撫でてしまった。
「ふぇっ」
夜見さんからアニメでしか聞いたことのないような声が漏れて、はっとしたように口に手を当てた。
「ご、ごめん、わざとじゃないんだ。ちょっとくすぐったくって思わず手を引いてしまったから……」
「わ、わかってます。うちこそ変な声出してすいません。陽さんの手が思ったより柔らかくて、触れられた時の手つきがなんとも――」
「も、もう言わなくていいから、それ以上言うと俺がわざと夜見さんの唇を触ったみたいな感じになるから」
夜見さんの詳細な解説を遮ってこの場を収めにかかった。あのまま感想を言われ続けたら官能小説の音読みたいな展開になりかねない。
玄関に置いた荷物を再び持つと急いでキッチンの方に逃げた。
玄関からLDKにつながる扉を開けた瞬間、この部屋が自分の部屋ではないように思ってしまった。
「な、なんだこれ」
もちろん、数時間前に引っ越してきたばかりの部屋だからなれていないということはあるのだが、驚いているのはそんなことではない。買い物に行っている間に部屋の中にソファー、テーブル、大型テレビ、大型冷蔵庫等の家具家電が運び込まれて殺風景だった部屋が一気におしゃれなカップルの同棲部屋のようになっていたからだ。
「夜見さん、これって……」
「これはうちの仲間からの餞別です。昔からこうやって新しい生活おきばりやすって送る風習があるんです」
まずい、これって結婚の時のご祝儀みたいなものだろ。完全に俺の外堀埋められてるじゃん。流されちゃダメなのに流れがどんどん激流にみたいになってきた。
運び込まれたばかりの冷蔵庫に買ってきた食材を鼻歌交じりで入れている夜見さんを見ながらハッと思い、急いで奥のベッドルームの扉を開けた。
やっぱり、やられた。
ベッドルームにはクイーンサイズの大きなベッドがしっかりと置かれていた。
マジかよ。夜見さんと同じベッドだなんてさすがにこれはやばい。
せめてツインなら二つのベッドの間にジブラルタル海峡くらいの距離を置くことが出来たかもしれないが、このベッドは逃げ道がない。
夜見さんに手を出すとか出さないとかという問題ではなく、隣でしかも同じベッドに女の子が寝息をたてているなんて想像しただけで、落ち着いて眠れる気がしない。
ベッドに腰掛け硬さを確認してみると、ほど程よい柔らかさと反発がある。
くぅぅー、これシモ〇ズのマットレスじゃんか。
眠れないとか言いながら今すぐにでも眠ってしまいそうなほど心地いい。
ちなみに、今まではペラペラの煎餅布団だったからそちらの硬さはベリーハードだ。
「ん? どないしたの。わぁ、大きいベッドやない。これなら二人で寝ても狭ないからいいわぁ」
寝室にやって来た夜見さんがグーにした両手をほっぺに当てて、尻尾もぴょこぴょこ左右に振って嬉しそうにしている。
むむ、まだそんな男心をくすぐる様なポーズを持っていたのか。
「一応、確認だけど俺も夜見さんと一緒にこのベッドで寝るんだよね」
「当り前やないの、一緒のベッドで寝ないなんて欧米では離婚の十分な理由になるんよ」
ここは日本だし、なにより俺たちは結婚もしてなければ付合ってもいない。許嫁として派遣されているが認めたわけではない。でも、断ったわけでもないというとても微妙な間柄だ。
とにかくこのベッド問題については寝る時までに何か対策を考えなければいけない。
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あー、私も夜見さんにふーふーされたい。(心の叫び)
次回更新は12月7日午前6時の予定です。
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