4

 の手前の部屋は、店長が使う、占いや治療関係の道具が雑然と積み重なっている。普通の人が見れば、あまりの怪しさに眉をひそめずにはいられないようなものばかりだ。


 その道具たちの間をすり抜け、奥のベッドのある部屋のドアを開ける。

 そして、ユリは息を飲んだ。


 ベッドには男が起き上がっており、額に手を当て何やら唱えていた。その身体は僅かに発光し、そして半透明になっている。


「ちょっと、アベさんっ」


 慌てて駆け寄り、彼の、額に当てられた手をつかむ。びりりと痛みが走ったが、かまってはいられなかった。


「何してるんですか。そんな状態で動いたら、死にますよ⁉」


 ユリの剣幕に、男は閉じていた目を見開き、瞬いた。息は荒く、顔面は蒼白で汗が滴っていた。


「……もう、大丈夫です。おいとま、します」


 しばらく息を整え、ようやっと絞り出されたセリフに、ユリの息も荒くなる。


「何言ってるんですか。座るのもやっとのくせに。おとなしく、寝ていてください」

「……いや、ここには、いられません」


 男は焦点の合わない目で一点をみつめたまま首を振る。


「アベさん。もう、私たちはあなたに、巻き込まれてしまっているんです。今更、どこかに立ち去ったところで、遅いんですよ」

「……そんな、ことはない」


 男の目が上がった。


「店長の、結界は、凄まじい。ここは、まだ、嗅ぎつけられて、いないはず。今、俺が、出て行けば……」

「もう、遅いのよ。……私には」


 ユリの声音に、男の身体が強張った。


「お願い、どこにも、行かないで。……死なないで、アベさん」


 しばらく、部屋には男の荒い息遣いだけが響く。

 やがて、男の口から、ふうう、と長い息が吐き出された。


「……ありがとう」


 ぽつりと、狭い処置室に掠れた言葉が落ちる。ユリは、微かに震える男の右手を離して息をつき、傍らの椅子に腰かけた。




「俺は、どこかから拾われてきた子供だった。それを知ったのは、つい最近のことだ」


 ユリが店長から聞いた話を確認した後、残りの全てを話したいがいいか、とアベさんは言った。ユリが頷くと、アベさんは起こしたベッドの枕にもたれて、掛布団に目を落とし話し始めた。


「昨晩、俺が着ていた服で分かったかもしれないが、俺はこの日本の、古来からある術使いの一族として、育てられた。表向きは絶えたことになっているその術は、君たちの術と同じように、密かに受け継がれていた」


 アベさんは微笑むと、掌を開いて見せる。そこにある切り抜かれた和紙に息を吹きかけると、それはふいにむくむくと膨れ上がり、巨大な白犬となり「ワン」と吠えた。


「アベさん、ぎりぎりの状態なのにそういうサービスはいいですから……」

 ユリは驚きを通り越して呆れてしまう。


「……すまない。昨日、夜に君に話をするときに、使おうと思っていたものだから……」

 アベさんは苦笑いをする。


「俺は、一族で今生きている人間の中では、生来持つ力はおそらく、一・二を争っていた。だからこそ身内――と俺が思っていた人たちは、俺を大事にしてくれていたのだと思う。でも俺は、勘違いをしていた。家族として、彼らに愛されていると、そして、自分は自分の意志で、愛する家族のために、時には辛い仕事も、しているのだと、思っていた」


 彼はひとつ息をついた。


「数日前、俺は、どうしても実行することのできない指令を受けた。俺は、その仕事を受けないこと、そして、術使いそのものを、辞めることを決めた」


 ユリは、アベさんから目を逸らし、尾を振り満面の笑みを寄越す白犬を眺める。少し、息が苦しい。彼の顔を見続けることが、できなかった。


「……その指令とは、君を探し出し、殺すことだった」


 アベさんの声が、暗く平坦になる。


「俺の一族は、古来からこの国の神通力と呼ばれるものを管理し、伝統を守り……ありていに言えば、外来の魔力使いを排除する役割を担ってきた。身内の者達も、俺自身も、そのためには罪とされることも、汚いことも、数限りなくやって来た」


 ここで一度、アベさんは息をつめた。それから、大きく息を吸うと、変わらない平静な声で言葉を続ける。


「2年前、君の家族を襲ったのは、俺の身内だ。そして、死んだことになっていたはずの君も、生き延びていることを、気取られてしまった。――俺は、術使いをやめ、力を封じて普通の人間として生きると身内たちに告げた。この店の店長はおそらく、俺以外からは、君を、守り抜けるだろう。君を守るためには、それが最善の決断だと思った。その時まで俺は、自分の申し出が、簡単に受け入れられると、自分の意志は尊重されると、信じて疑っていなかった」


 彼の口元に、自嘲の笑みが浮かぶ。


「――そして俺は、最大級の仕置きを受けた。逃げ出せたのが、幸運なのか罠なのかは、分からない。とにかく、今もこれからも、俺の首と手足には、この鎖と鉄球がぶら下がったままだ。ほとんどまともに術も使えず、かといってただの人にもなり切れない。ひたすらに元身内の追跡に怯えて生きる、それがこれからの俺の、人生だ」


 そこでふいに、彼の声音から濁りが消える。

 語る言葉は絶望なのに、彼の瞳には、何故か澄んだ明るい光があった。


「でも俺は、今、人生で一番、幸せだよ。俺の生きる意味は、君だから。君が今、俺の隣に座ってくれている。……夢みたいだ」

「……」

 

 ユリは黙って、そっと、彼の右手を握った。


「どうしてそれほど、私のことを」

「どうして、だろうね。今でも、分からない。術使いには、それぞれに宿命の半身がいる、なんていう、都市伝説もあるけれど、そんなことが本当にあるのかもしれないと、夢想したりもしたよ。……とにかく2年前のあの日、見張り役だった俺は、学校帰りだったろう、家に向かって歩いてくる君の姿を目にし、声を聞いた瞬間に、囚われた。仲間たちに気取られないように、君に気配を完全に無くす結界を張り、遠く離れた土地まで飛ばした。そこに強大な存在がいて、おそらく君を匿ってくれることは、分かっていた」


 彼は目を落としたまま、話し続ける。その姿はまるで、懺悔をしているようだった。

 

「本当は、二度と関わらないのが一番だということは、分かっていた。でも、俺はここを、訪ねてしまった。この店でもう一度君の声を聞いた時、君が作ってくれた酒を飲んだ時、俺は、……」


 彼はユリの手をぎゅうっと握り、深呼吸をした。


「それから、この店で、君の声を聞きながら過ごすひと時だけが、生きている歓びを感じられる時間だった。何ていうか……君にしてみれば、身勝手すぎる、気持ち悪い奴かもしれない。それなら、ほんとうに、すまない」

「……気持ち悪い、なんて」


 ユリは思わず吹き出す。

 

「あの時、助けてくれたのは、……あなただったんですね……」


 自分の手を握る、彼の震える手に、ユリはもう一方の手を重ねる。


「私たちの血族が、侵略者としてこの国でしてきたことも、犯した罪も、子供のころから言い聞かされて来ました。いつか、償いを求められる日が来ると。……それでも、私は自分の家族を殺した人たちが、憎いです」


 アベさんの目がきつく閉じられる。


「でも……少なくとも、今、私にとっては、アベさんは、恩人です」


 その瞼に向かい、ユリは静かに言葉をつなぐ。


「この店に来て、店長もお客さんも、温かい人ばかりで。でも、何故だか私、うまく息ができませんでした。――アベさんが、気にかけてくれているのは、分かっていました。何故だか、アベさんがいる時は、お店の空気が吸いやすくなるような……呼吸が楽になるような、そんな感じでした」


 ユリは、男の瞳をのぞき込む。

 青みがかった、不思議な色味を宿す瞳。


「好きです、アベさん」


 なるべくさらりと言ったつもりだったのに、アベさんの顔がみるみる真っ赤になって行くのを見て、ユリは慌てる。


「アベさん、アベさん。あんまり興奮すると、死んじゃうから、落ち着いて」

「……今、俺が死んだら、貴方のせいだ」


 次の瞬間には、ユリは男の腕の中に引き込まれていた。

 細身に見える身体が、がしりと力強くユリを囲い込む。そっと顎をすくわれ、上向いた唇に、男の唇が優しく触れた。

 ユリの、閉じた視界がぐるぐると回る。


「っ……」


 突然唇が離れ、ユリの肩に男の頭が乗った。


「……ほんとに、限界だ……」


 切れ切れの、苦笑いの声。ユリは我に返り、彼の手首を取る。脈は恐ろしい速さだが、乱れてはいなかった。


「アベさん。これ以上、無茶をしたら、ベッドに、縛ります」

「……」


 何故だか悪くなさそうな表情かおをする男を軽くにらんで、ユリは立ち上がる。ベッドに倒れ込んだ男のため息の甘さに、厳しい顔を保つのに苦労した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る