猫のさくら

うましか

***


 *


「そういう所が、父さんとよく似てるわよ」


妹の華佳に言われたのは、つい先程の事である。


妻と娘が義母と出かけている隙に、辰実は実家に帰っていた。たまたまリビングで寛いでいた女子大生の妹を"外に食べにでもいかないか"と誘い、市内の商店街にやってきた訳であるのだが。


無計画に"この店でいいだろう"と連れて行った店が、たまたま休業であった。行こうと思った店が休みだった時に、他の店を探すとなると無駄に労力を消費する。華佳にとっては"事前に開いてるかどうか調べれば分かるでしょう"と思ってしまう所で、辰実の思いつきに辟易しながらも近くに開いていた洋食店で赤身のステーキを食べている時にはご機嫌であった。


「最近、父さんの帰りが遅いのよ。」

「母さんみたいな事を言うなあ、華佳は。どうせ寄り道して雑誌でも立ち読みしてるんだろう。」


華佳の話を、辰実は耳だけで聴いていた。手と口はオムライスを切り分けて口に運び、視線の先は商店街の道向かいにあるペットショップ。その視線も、トマトの酸味が玉子のまろやかな風味と重なった瞬間に華佳へと向き直ってしまう。


ペットショップの中が気になったが、食事を終えた後2人はすぐに帰った。



 *


後日。


「最近、辰実の帰りが遅いのよ、でも1時間もないくらいだから変な事はしていないと思うけど。」


辰実の妻である愛結の話を、華佳は耳だけで聴いていた。商店街の喫茶店で注文したアメリカンコーヒーが、思ったよりも薄い。


「家にいる時、変わった様子はないんですか?」

「無いと思うけど、最近ちょっと帰ってきた時に顔が険しいの。」

「兄さんの顔が険しいのは、いつもの事では。」


「そう、そうなんだけど。でもあの険しいのは何か考え事をしてるわよ。」


父と辰実が似ていないとすれば、片方はいつもヘラヘラしているのにもう片方は常にぶっきらぼうな顔をしているという点だろう。基本的に自由人という事だけがよく似ている。


「様子がおかしくないなら、変な事を考えてるんですよ。」

「時々上の空だったけど、華佳ちゃんがそう言うなら別に何もないのかな。」


アメリカンではなく、エスプレッソを注文しておけば良かったと華佳は後悔する。夫婦とは言え、一緒になって3年か4年になる愛結と、20年以上も一緒にいた華佳では辰実に対する見方が違う。愛結の方がそこまで気を遣うくらいに濃い時間を過ごしていたのだった。



 *


華佳と食事をした洋食店の、向かいにあるペットショップ。


ここ数日、仕事を終えた辰実が足しげく通っていた場所である。華佳の話を聞きながら眺めていたケージの、白くてふわふわした生き物が気になって行ってみた。けれども隣にいたラグドールの子猫が気になって仕方ない。


「にゃー」


生後2カ月の女の子。ほんの少し空気を震わせる声に癒されてはいたが、数を重ねる毎に辰実を急かす。単純接触の原理は、人を相手に限った事では無いのだろう。


「来週にはこの子、隣県のショップに行くんですよ。」


暫く、沈黙が続く。


「最近、帰りが遅くなってますので。妻を心配させる訳にはいきません。」


辰実の顔が、いつも以上に険しくなる。暫く薄いグレーの八割れを惹き立て役にしたブルーの瞳を眺めた後、若い店員にラグドールの女の子を渡して辰実は去った。


何かを訴えるように鳴いていた彼女の声だけが、頭の中を反復する。



「ただいま」


程なくして帰宅。ドライブを楽しむ余裕なんて無い。


「お帰りなさい」

「すまない、最近帰りが遅くて」


「別に変な事なんてしてないんでしょう?」


愛結は、笑顔で確認する。こうやって辰実が気を遣ってくれる事は嬉しかった。


「寄り道だ」

「いいのよ」


「猫を飼いたいんだ」


迷っている時間は無い。辰実が来ているスーツの袖についていた白い毛を見た時に、愛結には全て納得がいく。



 *


「いつもスーツに白い毛をつけて帰ってきてたのに、気づかなかったわ。」


先日、ペットショップにいたラグドールの女の子は、愛結の膝元で丸まっている。ふわっと抱え上げて、"さくら"と名付けた彼女を華佳に手渡した。


「いえいえ。兄がずっと"将来は猫を飼いたい"と言っていたのを私も忘れていました。」


"灯台下暗し"と愛結は上品に笑う。隣に座っている辰実はいつも通りぶっきらぼうな表情であったが、先日に愛結が言っていたような険しい様子では無い。


少なくとも、そういう様子に華佳は見えていた。


「父も先日、"猫を飼いたい"と言い出したんです。最近帰りが遅いのは、ペットショップに通っていたそうです。」


辰実を見る愛結。対して辰実は愛結を見るではなく、さくらの背中をじっと眺める。



「仕方ない、父と息子だ」



辰実は華佳からさくらを渡される。ブルーの瞳と目が合った時に"にゃー"と鳴いたのが、一件落着なのだろう。


さくらの中で辰実は愛結よりも、2歳になる双子の娘よりも下である事が決まったのは、程なくしての事である。それは父も一緒であった。

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猫のさくら うましか @Pudding_Bugyo

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