第3話(3) 『天使である前に』
セリシアが駆ける。
テーラに寄り掛かるようにして苦しそうな息を吐いているメイトに向かって。
結界を通り抜け、そのまま抱え込むようにメイトを強く小さい身体で抱き締めた。
「無事で、本当に良かったですメイト君っ……!」
「聖女、様……ごめんなさい……」
「良いんです。さあみんなの所へ行きましょう。ゆっくり休んで下さい」
セリシアに抱き締められたメイトの表情はテーラに魔力を循環させてもらった時よりも落ち着いているように見えた。
やはり聖女に病を大きく回復させる力があるというのは本当だったらしい。
果たして闇魔法が病というカテゴリーとなるのかは疑問だが、とにかくこれでメイトの死ぬ未来が無くなってくれた。
まだ油断は許されない状況だが、一気に肩の荷が降りたような錯覚に陥る。
テーラとメイト、そして三番街の住民一人の結界の行き来を許可したことによってテーラも教会へと入り庭の木の下に住民を寄り掛からせる。
三番街の住民の顔色も教会に入ってから少しだけ良くなっていた。
セリシアがメイトを子供部屋へと寝かせに行く間、俺とテーラはこれからについて思考を巡らせる。
「もう聖女様をここから動かすわけにはいかない。何とも無さそうに振舞ってはいるが、これだけの量の人達を聖女様だけで移動させたのは相当無理をしているはずだ」
「そうやな。それじゃうちと自分で残りの三番街の人達をここに連れて来よか。……でも自分もずっと森の中にいたんやからだいぶ疲れが溜まってるんやないの?」
「問題ない。聖女様がこんなに頑張ってるんだ。この状況で疲れてるなんて弱音を吐くわけにはいかない。お前だけに負担を強いるのもまた、俺自身が許せなくなる」
「……そっか。男の子やね」
そんなんじゃない。
俺は今までこの世界を天界に戻るための前準備としか思っていなかったんだと思う。
教えられていた通り、俺は人間を劣等種だと心の何処かで思っていた。
もしもエウスと一緒にこの世界に来ていたら。
きっと俺はだらだらと何もしないで1日を消費するようなことしなかったはずだ。
衣食住が最初から揃っていて、聖女という何もしなくても許してくれる甘ったれた人間性を持つ都合の良い存在がいて。
どうせすぐにいなくなるからと、俺はどこか他人事のようにこの世界を俯瞰していた。
でも違うんだ。
この世界の『人間』もみんな悩んでいて、想いがあって。
そうやって1日1日を大切に生きていた。
天使と人間に何の違いもない。
そのことをこの教会を通じてやっと気付くことが出来た。
俺は天使だ。
だけどそれ以前に、今この世界で生きている『人間』なんだ。
今三番街で生きている人間の一人として、別の世界の住民だからという言い訳は通用しない。
そして何より、今までこんな俺を許してくれたセリシアやみんなを守りたいという気持ちを、俺自身が蔑ろにするわけにはいかなかった。
「住民全員を運んだら闇魔法の解除方法について考えよう」
「それなんやけど……一つだけ思い当たることがあるんや」
「本当か!?」
テーラの有能性には頭が上がらない。
今日はずっと助けられている気がする。
これはもしかしたら『テーラ様』と呼んだ方が良いんじゃないかと考えてしまう程俺の気分は上がっていた。
「これだけ大規模な闇魔法の効果や。もしも【イクルス】全土に同じような症状が蔓延していたら、もっと色んな情報が飛び交ってもおかしくないと思うんよ」
確かにそうだ。
どうして今まで三番街だけが闇魔法に侵されていると思っていたのだろうか。
「でも何の情報も来ていない。教会に他の番街の使者が来てもいないし、聖女様同士での対話が行われる様子も無さそうや。それから鑑みるに、三番街に対してだけの攻撃と見て間違いないね」
だがその新たな気付きとは裏腹に、テーラは三番街のみが闇魔法の効果を受けていると言う。
「そもそも城塞都市【イクルス】はこういった事態を引き起こさないために作られた都市や。大規模な魔力を持つ者がこの【イクルス】に入ろうとしても検問時に一発で弾かれてまう。更に魔法の効果が持続的に続くなんてこと、例え闇魔法でもあり得ないはずや。状態異常系の魔法には必ず持続時間っちゅーもんがあるからな」
「じゃあやっぱりその大規模な魔力を持つ奴が何処からか侵入して来たってことじゃないのか……?」
あくまで個人的に思っていることだが、この城塞都市【イクルス】という街は案外人の出入りにそこまで制限をかけていないように思えてしまう。
あの非教徒でさえ簡単に【イクルス】に入って来れたんだ。
城塞都市という関係上どうしても物資を入りは激しいし、検問時の項目は大量に有りそうだが臨機応変に対応することは出来ていないんじゃないかとすら思う。
全員が信者だというのだから、きっと人を信じることを第一に~とか『聖神騎士団』サマは思ってそうだ。
だからそういったこともあるんじゃないか。
そう思い言ってみたが、テーラはやはり首を横に振った。
「これは断言出来ることやけど、都市一つを覆う程の魔力は人の身体に収まりきれんよ。そしてさっきも言ったように持続時間っちゅーもんがある。でも魔法を継続させるのに手っ取り早い方法もあるんや。その一つが……設置型『魔導具』やね」
「魔導具……?」
そういえば確かテーラは魔導具店を営んでいると言っていた。
何となくどういったものかはファンタジー的な知識があるのでそういうものもあるんだろうな~ぐらいにしか思わなかったが、結局どういったものなのかは知らない。
またしてもここで後回しにした弊害が出てしまっている。
「恐らく三番街全域を囲むように何個かの魔導具が設置されているはずや。うちの仮説が正しければそれを破壊か無力化させるだけでこの闇魔法は消滅すると思う」
「そうなのか!?」
だったらすぐに破壊するべきだ。
こんな悠長なことをしている場合ではない。
「でも先に街のみんなを教会に連れて行くのを優先するで」
「な、なんでだ? 破壊した方が早くないか?」
「あくまで仮説だって言ったやろ? それに仮説が合っていたとしてもこの暗闇の中で隠してある魔導具を短時間で探せる保障はない。街のみんなの救出を疎かにして死んでしまったらそれこそ最悪や」
確かに、テーラの言う通りだ。
どうやら俺も内心焦ってしまっているらしい。
そんな簡単なことにも気付くことが出来ないとは。
「メビウス君、テーラさん! お待たせしました!」
丁度良いタイミングでセリシアが戻ってくる。
やはり表情には隠しきれていない疲労の色が見えた。
もうこれ以上セリシアに肉体労働はさせられない。
時間は掛かるがセリシアには教会での看病などに体力を使わせるべきだ。
住民全てを運び終わったら、今度こそセリシアを休ませてあげよう。
「聖女様、俺とテーラはこれから三番街に戻って住民たちを連れて来ます。聖女様は出来れば教会の庭にいて頂けると有難いです」
「私も手伝います!」
「いや! 聖女様には俺達が戻ってくるまでにたくさん働いてもらいました。これがいつ続くかわからない以上休むことも大切です。それに聖女様が待っていてくれた方が結界の解除もスムーズに進むと思います」
感情論関係なく、事実だけで語るとしてもセリシアには教会で待機してもらった方が都合がいい。
仮にセリシアが人を運んで教会まで往復するとしても、当然だが俺達の方が教会に着くのは圧倒的に速いはずだ。
その時結界が開いていないとなると俺達はセリシアが教会に到達するまで待っていなければならなくなる。
そうなった時、必死に歩いているセリシアを見てしまったら結局手伝うことになり二度手間だ。
セリシアもそのことに何となく気付いたのだろう。
俺の言葉を聞いて、申し訳なさそうに肩を落とした。
「……そうですね。わかりました、お待ちしています」
「はい。聖女様には聖女様にしか出来ないことがあるんです。力仕事なんて誰にでも出来ることぐらいは俺達に任せて下さい」
「……はいっ、みなさんをどうかお願いします」
その言葉に小さく頷き、俺とテーラは目を合わせて教会を飛び出した。
テーラは移動も運搬も魔法を使っているので力仕事ではないが、それでも俺一人だけだったらかなりの時間と体力を消費していたはずだ。
改めて、彼女への有難さを抱いてしまった。
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