第2話(1) 『聖女としての役目』
さて、あれから傷もほとんど完治することが出来た。
もう無理な運動をしても傷が痛むことは無くなったし、傷跡も元々だが残っていない。
まだ安静にするべきだとセリシアは言うが、これはもう完治したと断言しても構わないぐらいには俺の身体はピンピンしていた。
とはいえ、だ。
別に傷が治ったからと言って動き回るような性格ではない。
そんな性格だったらニートなんてやってないしここに来ても怠惰な生活なんぞ送るわけがない。
なので普段ならだらだらと気ままに過ごす予定となるはずなのだが、現在の俺には聖女と同じ教会で暮らすに相応しい教養と行動を身に付けなければならない責務がある。
というわけで俺はセリシア先生の教育のもと、この世界の常識と聖女について学ぶことにした。
したというか、ここ数日はずっとそんな感じだ。
セリシアも俺の適当に口から出た聖神ラトナを褒め倒す言葉の数々に感激したようで、ニコニコと満面な笑みを浮かべながら優しく教えてくれている。
だがもちろん俺も最初っから責務なんぞを成し遂げようなどとは思っていなかった。
勉強しようと思ったのは、セリシアが礼拝堂の長椅子に座りながら一冊の分厚い本を読んでいたのが発端だった。
――
――ある、日がてっぺんまで昇りそうになってきた時刻。
最近よく絡まれるようになった子供達をあしらいながら教会まで戻ると、太陽の光が礼拝堂のガラス窓に反射され、神々しい光を纏ったセリシアが長椅子に座って読書をしていた。
……綺麗だな。
何の躊躇いもなくふとそんなことを思い、俺はしばし彼女に見惚れてしまっていたんだと思う。
美しい麦藁色の髪が頬に落ち、それを耳に掛ける姿は絵画か何かと錯覚してしまいそうになる程だ。
しかしすぐに我に返ると、切り替えのために一度わざとらしく咳払いしてセリシアの傍へと近付いた。
「よくそれ読んでいますけど、一体何の本なんですか?」
ただの本ではないのはわかる。
まるで新品のように綺麗で、表紙には鍵穴のような部品が取り付けられていた。
そしてセリシアはその本を読む時、鍵穴に手をかざしただけで簡単に開いていたのだ。
無論鍵が出て来たわけでもない。
セリシアの手のひらから淡い光が出て来ただけで、だ。
恐らく聖女と関係のある本だというのは俺でもわかる。
だっていつも腰にブックホルダーのような物を装着して持ち歩いてるし。
声をかけるとセリシアも俺に気付いたようで本から目を離し、柔らかな笑みを向けていた。
「あ、メビウス君。これは神様から頂いた神託書。聖女がやるべき神の遣いとしての責務が書かれている『聖書』ですよ」
「聖書?」
聖書なら共有スペースのリビングの本棚にも聖書と書かれた本があったはずだ。
聖書と書かれた分厚い本を見ただけで見る気が失せるので中身を見てはいないが、今セリシアが持っている本ほど厳重に管理はされていなかったと記憶している。
「それならリビングにもありましたけど、何か違うんですか?」
「そうですね。こちらは神様から頂いた聖女のみが閲覧することの出来る本物の『聖書』です。それを信者の方々にも開示出来る程度の情報を改定して作られたのが一般的に販売されている『聖書・第二版』なんですよ」
「本物の聖書は閲覧出来ないんですか? 見た感じ聖女様に開けてもらえば行けそうな気がしますが」
「ふふっ、確かにそう思いますよね。……見てみますか?」
「いいんですか?」
「はいっ」
いいのか。
であれば是非とも見せてもらいたい。
神サマの神託とやらが書かれていて、聖女はそれを責務として成し遂げなければならないと言うじゃないか。
心底反吐が出る。
その責務とやらは神にとって都合の良い事ばかりのはずで、そのおかげで今こうして神を信仰するのが当たり前となった宗教世界が作り出されているのだから。
天使と魔族が戦い続けて、父さんが殺されたあの日の戦争の光景を思い出す。
……神サマのクソみたいな神託を、暴いてやる。
そして邪魔でもしてやろうか。
さすがにセリシアの邪魔は出来ないが、何処かで神の嫌がらせが出来るのなら俺は努力を惜しむつもりなど毛頭ない。
そう思い、セリシアが隣の席に来いと手招きしてきたので有難く座らせてもらう。
そしてセリシアが開いた『聖書』の文字を俺はしっかり記憶にインプットさせるべく身体ごと本へと向けた。
「……何も見えませんけど」
……が、開かれた本には真っ白な白紙が視界に映るだけで、神サマの記載した神託などというものは一切確認することが出来なかった。
チラリとセリシアの表情を伺う。
彼女はまるで結果がわかっていたかのように悪戯っ子の如く愛らしい笑みを浮かべていた。
「そうなんです。『聖書』の内容は聖女しか閲覧することが出来ません。だからこそ、神様の神託を聖女が行わなければならないのです。『聖書・第二版』が作成されたのも別の聖女の『聖書』に〖作成せよ〗と神託が下されたからと聞き及んでいます」
「……それならそうと早く言って下さい。期待しちゃったじゃないですか」
「ふふっ、すみません。見せた方が分かりやすいと思いまして」
結局、神サマとやらはやっぱり秘匿が大好きで裏でこそこそやるのが性に合っているらしい。
まあ冷静に考えてみればその神託が全員読めてしまったらその『聖書』を求めて戦争が始まる可能性もあるから当然と言えば当然か。
なんていったって神様から神託が授けられるんだから。
だから国は国家力を使ってまで唯一見ることの出来る聖女を大事に大事に扱っているのだろう。
「『聖書』の内容は常に変化します。それはこの世界の運命が変化した時、あるべき世界へ戻すためと言われています。私達聖女は、信者の方々と共に平穏な世界を作り出すために選ばれたのです」
平穏、ね。
是非とも頑張ってもらいたいものだ。
正直、自分の人生が平穏でないのなら未来のことなんてどうでもいいが。
「と言っても、そんな大事な役割を持つ聖女として相応しいかはあまり自信がありませんが……」
そう言うセリシアは頬を軽く掻きながら、小さく俯いてしまっている。
……そんなことないと思うけど。
少なくとも三番街の住民からは信頼されていて、非教徒が来た時も子供たちを守るために恐怖に打ち勝って立ち塞がった。
それは少なくともこの世界では聖女でなければ出来ないことのはずだ。
俺はそれを決して否定するつもりはない。
「……自信を持てるかどうかは他人が決めてくれると、私はそう思います。もしも本当にわからない時は、誰かに聞いてみるといいですよ。聖女様の行ってきたことはみんなの心に響いているはずです。ならみんなが自信を持って、必ず聖女として相応しい人だと言ってくれますよ。それはもちろん、私も」
「……!」
もしも聖女が、神サマと何の関係もなかったら。
俺はきっと、もっと素直に彼女を応援することが出来たのに。
今は、こんなことしか言うことが出来ない。
「……はいっ、ありがとうございます」
ただ唯一それでもいいと思えるのはやっぱり、彼女が聖女のように安心した笑みを見せてくれるからだろう。
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