第1話(1) 『断罪の決意と共に』
父さんはあの日、魔族の男によって殺された。
母さんはもっと昔、俺が幼い頃に災害に巻き込まれて死んでしまった。
姉さんは残った俺達を養うために学園卒業後すぐに家を出て働いてくれていた。
大きな家に残ったのは堕落した俺と、最愛の妹だけ。
こんな不幸な世界で俺は今日も生きている。
俺は文字通り堕落し、学園を卒業しても尚姉のスネを齧り怠惰な生活を過ごしていた。
それでも俺はこの平和で平凡な日々を過ごすことに幸せを覚えていたんだ。
刺激的な非日常なんかよりも、何の変哲もない平凡な日常にこそ価値があると気付いたから。
……ただただ平凡に暮らせるだけで、それだけで良かったのに。
『緊急警報! 緊急警報!! 『世界樹』付近にワープゲートが発生!! 魔族が天界エンデイルに奇襲して来ました!! 至急近くの学生、一般天使は速やかに避難して下さい!! 繰り返します――!!』
このクソったれな世界は、また俺の幸せを奪い去ろうとしてくる。
16歳になった今でも尚、《神様》は俺を救ってなどくれなかった。
何回かもわからないサイレンがけたたましく鳴り響いている。
そして同時に、天界に象徴として君臨する巨大な『世界樹』側から数々の爆発音が轟いていた。
空中には多くの次元の裂け目のようなものが出現し、そこから大量の漆黒の鎧に身を包んだ魔族が天界へと振り落ちてきていた。
――それはまさしく今日この日。
また【魔天戦争】が始まった。
一般天使たちの悲鳴や絶叫が鼓膜を震わせている。
きっとこれから、たくさんの同族の命が失われていくのだと思う。
「…………っ」
そんなことをぼんやりと思いつつ当の俺は『世界樹』の幹に寄り掛かり、身体が冷えて来ているのを感じていた。
横腹には深い斬り傷があって、そこからは大量の血が流れ落ちている。
そして周りには大多数の黒騎士が俺を取り囲んでいた。
負けるのは当然だった。
俺一人でこれほどの大群に勝負を仕掛けたのだから当然の話だ。
でも妹を助けなければならなかったから仕方のないことだった。
唯一守らなければならない最愛の妹……まだ14歳のエウスだけは、今も尚学園に通っている。
今日もついさっきまで、元気に家を出て学園へと向かっていたのだ。
平凡な毎日を過ごし、一緒に朝ご飯を食べて食器を洗って、明日の話を笑い合いながらして……少し癪だが『今日もお兄ちゃんと私を見守って下さい』って、神に祈りを捧げて家を出た。
本当に良い子で、俺なんかには勿体ないぐらいできた妹で。
それなのに、この世界はそんな妹すらも俺から奪おうとする。
『至急近くの学生、一般天使は速やかに避難して下さい――』
警報ではそう言っていた。
それは一重に、学園に続く通学路では必ず『世界樹』を通るからに他ならなくて。
魔族からエウスを助け出すために俺は無謀にも軍隊に突貫して罠にかかり、こうして目の前のたった一人の魔族に負けたのだ。
「……怒りや憎悪は、その者の視野を狭くする。ここには天使の飛翔を防ぐ重力操作が行われている。それを分かっていながら一人でここに来るなど無謀にも程があるぞ、少年」
聞き覚えのある冷徹な声。
忘れもしない、忘れていいはずがない脳を揺さぶる声だった。
再度顔を上げ、ぼやけながらもしっかりと俺を見下ろす黒髪の男を睨み付ける。
手には漆黒の刀身を持つ刀を持ち、紫色のマフラーを巻いた姿。
そして俺を射抜くようなアメジスト色の瞳はまさしく……
――4年前、俺の父さんを殺した、黒騎士の男そのものだった。
そんな復讐を誓った男に、俺は負けた。
周りの魔族の援護を手で静止、突っ立っていたコイツに俺は簡単に負けたのだ。
コイツを殺すことだけを考えて生きてきたのに。
殺すことが出来れば、俺はようやく何にも縛られない生活を送ることが出来ると思っていたのに。
なのに、全く歯が立たずに負けてしまった。
俺の身体に強大な重力が降り注いで動きが鈍っていたとしても、だ。
「だ、まれ……!!」
「……感情に身を任せるのは子供のすることだと言っている」
「が、あああああっっ!!」
僅かな隙が生じたと思い聖剣を突き付けようと腕を動かした刹那、魔族の刃が俺の右肩を貫く。
まるで赤ん坊の喚き声をいなすかのように、黒髪の男は黒刀を更に強く押し刺した。
刀が背後の世界樹の幹に突き刺さり、振動が貫いた筋肉に激痛を送り出す。
今すぐにでもこの痛みから解放されたくて俺は左手で刃を掴み引き抜こうとするが、この体勢では力など出るはずもなかった。
「……子供をいたぶる趣味はない。貴様の覚悟はその程度だったことを恥じて、大人しく眠るがいい」
今度は、俺が殺されるのか……?
父さんの次は、俺が……。
それだけじゃない。
エウスも……このままではきっと魔族に捕まってしまう。
「またっ……俺から幸せを奪うのか……」
復讐すら遂げることが出来なかった。
俺の人生全てを否定するかのように簡単に負けて、俺は今こうして生死の境を彷徨っている。
こんな状況でも尚、神様は何もしてはくれない。
俺の家族全てを不幸にして、それでもたった一つの幸せすら与えてなどくれない。
わかっていた。
みんなの……俺のほんの小さな幸せすら、守ってくれないなんてことは。
全部全部全部、自分で幸せを落とさないようにしなければならないということは。
この世界で生きている限りそれはずっと付いてくるのだと、どうしようもない現実として俺の心に突き付けてくる。
だけど俺は、コイツにすら勝てない弱者で。
4年間コイツを殺すためだけに必死に生きてきたというのに、何も成し遂げることが出来なかった。
肩に突き刺さった黒刀が引き抜かれる。
既に意識も朦朧としていて、その激痛にすら反応することが出来ずにいた。
純白だった翼も赤く染まり、頭上に浮かぶ個性的な光輪の光は弱々しく灯っていた。
……こんな世界、生きてる意味なんてないのかもしれない。
「エウ、ス……」
血液が身体から抜けていき意識が曖昧になってくる。
不甲斐ない兄でごめんって、自身の弱さを呪いつつ瞳から光が失われていくのを感じていた。
ぼんやりとした思考の中で、俺は小さくなった命の灯で暖を取るようにゆっくりと瞼を閉じて……
『お兄ちゃん!』
「――――ッッ!!」
だが、大切な妹の声を思い出す。
ずっと守ってきて失いたくないと願った最愛の家族の姿を思い出す。
――違う、だろ……!!
神が何もしてくれないなど、分かり切っていたことのはずだ!
たとえ堕落していたとしても、俺が過ごして来た4年間は決してつまらない人生なんかじゃなかった!!
幸せな人生を潰したのはコイツだ。
目の前の、コイツだ!
なんで俺が諦めなくちゃならないんだよッッ!!
瞳を大きく見開き、消え入りそうだった魂を心の中に引き戻した。
そして、自身の深紅の瞳が輝きを取り戻し、俺を見下ろす黒髪の男を強く射抜き歯を喰いしばった。
「名前を、教えろ……!!」
ずっと抽象的だった。
4年もの月日が立つとたった数十秒見ただけの男の姿を記憶に定着させるのはかなり難しかった。
だから、復讐する相手の特徴は覚えていても全体像が今日までずっとあやふやだったんだ。
それはいつもその人物を指す名前という証を知らなかったからに他ならない。
俺は多分……死ぬ。
何も成し遂げることも出来ず、エウスの生死もわからず無責任のままこの世を去ってしまうのだろう。
それでも、生まれ変わっても忘れないように、記憶から絶対に無くさないように、お前という名前を知らなくちゃならない。
男はジッと俺を見つめる。
深紅の瞳とアメジスト色の瞳が交差すると黒刀を強く振って鮮血を切った。
「――ガルクだ。ガルク・フィオレイト」
そして、小さくそう呟いたのを俺は決して聞き逃さなかった。
「そろそろ終わりにしよう」
そう言って、ガルクは黒刀を俺の首筋へと当てる。
死への恐怖は確かにある。
既に息も絶え絶えで生きているのか死んでいるのかも定かではない。
けれど、これだけは言ってやる。
「お前だけは……俺が【断罪】してやるよ。だから、覚えとけ……!!」
「――そうか」
――その刹那。
一瞬のブレと共に、ずっとガルクへ向けていた俺の視界はうざったいぐらい輝いている空を……向いている気がした。
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