第1話(2) 『目覚めた場所は』
身体が沈む感覚があった。
おちて。
オチて。
落ちて。
堕ちて。
墜ちて。
――世界が、暗転する。
……なんだかなぁ。
死んで、天国か地獄かどっちかに行ってまた新たな人生をやり直すと思っていたのに、つくづく神サマって奴は酔狂な奴ららしい。
そうやってお前らは死にぞこないの愚か者の生き様を指で指して笑いながら、余興を楽しもうって魂胆なんだろう?
「なんだよここ……」
視界が一度暗転して確かに身体が浮遊するような感覚に陥っていたというのに、どうして俺はベッドに横になっているというのか。
夢だった、なんてそう都合の良い世の中じゃないことはわかってる。
その証拠に16年もの人生の中で毎日嫌という程見た天井が視界に映っていないのだから。
……それに、翼がどっか行ったんだが。
「えっ、は!? なんで翼無くなってんの!?」
起きたばかりでぼんやりとしていたからか一瞬だけ自身について特に何か思うことはなかった。
だが、我に返ってみると天使にとって翼が消えたというのは非常事態だと気付く。
不可思議過ぎる現象に俺は慌てて背中をまさぐって本当に無いのかを確かめてみるが、本来あるべき羽一本すら抜け落ちることはなかった。
「……無いんだが」
認めたくない現実だが、どうやら本当に翼が消失してしまったらしい。
背中にも翼が生えていたという痕跡すらなくて、俺は事実を受け入れるまでに多少の時間を有してしまう。
というか頭上にあった光輪まで綺麗に無くなっていた。
……だがまあ、冷静に考えてみれば別に翼が無くなった所で大して悪影響があるわけでもない。
そもそもずっと駄目ニートの身だった上、翼を使うのも結構疲れるから最近はほとんど使ってなかったし。
ただ、翼と光輪が無くなった原因は知らなければならないだろう。
本来あってはならないことが現実として起きている。
それはつまり今この場にいることと何か関係しているに違いないのは確かだ。
「まずはここが何処か、だな。場所を特定しな……いっ!」
とにかくここがどこかわからない以上、ずっとここにいるわけにもいかない。
なのでベッドから出る為に身体を起こそうとすると、不意に横腹に激痛が走り身体が跳ねた。
思わず顔を歪めて恐る恐る布団を捲る。
するとガルクに斬られた部分である横腹と右肩にしっかりと包帯が巻かれていて、誰かが治療してくれたことを証明していた。
「意味わかんねぇ……」
治療がしてあるということは、もしかして天界の何処かなんだろうか?
ガルクに殺される直前に誰かが救出してくれたとか?
しかしあの引力空間を自由に動ける天使がいるとは思えない。
首元にも手を触れてみる……が、切断されたような跡を見つけることは出来なかった。
……確かに俺は殺されたはずだ。
なのに俺の首は未だ繋がっていてこうして無様にも醜態を晒しながら生き永らえている。
うん、意味わからん。
わからない以上考え続けても仕方ない。
せっかくなので辺りを確認してみることにした。
……質素な部屋だ。
人が過ごしていた痕跡は多少あるが、余計な物……具体的には娯楽品の一つも無いように見える。
天界でここまでストイックな天使がいるのは珍しい。
いや……もしかしたら俺が殺される直前に人質として魔族に拉致された可能性もある。
拘束されていないのは不可解だが、それでも天使を拉致したとなれば騎士団が強気に出ることが出来ずに戦争を有利に働かせられると思っても違和感はない。
……ただ俺に人質として利用出来る価値なんてほぼ無いと思うが。
むしろ逆に囮にされるんじゃねーの、俺。
――ギシッ。
「――っ!」
そんなことを自分で言ってて悲しくなっていると、不意に部屋の奥から板床による軋み音が耳へ届いて俺は反射的に肩を震わせた。
――誰かが、近付いて来ている。
恐らく階段を上って来ているのだろう。
徐々に軋み音ではなく軽快な音が規則的に響くようになっていた。
逃げるだけなら窓から逃げてしまえばいい。
しかし今は翼のない身のため飛んで逃げることは出来ない。
速攻で翼のないことによるデメリットが露呈してしまっている。
「まさか翼を無くした理由はこれか……!?」
であれば、策士なのか馬鹿なのかよくわからない。
拘束すれば良いだけなのに何故翼を消去させるのか。
そして何故聖剣は没収せずにこんなところに置いてあるのか。
だが何はともあれ聖剣はある。
なら天使が救出してきたという線が無くなった以上、魔族なんかに利用されてたまるか。
「だったらむしろ生き永らえただけ好都合だ。俺を助けたこと後悔させてやる……!」
身体は未だズキズキと痛む。
今聖剣を手にしている右腕だって、剣という名の鉄塊を持っているせいで重さからのたうち回りたい程に痛い。
けれど俺は一度鎮火しそうだった命の灯を燃え上がらせてベッドから起き上がると、ゆっくりと扉の前を陣取った。
……階段を上がる音がすぐ傍まで迫って来ている。
跳ねる心臓の鼓動がやけにうるさく感じながら、俺はゆっくりと呼吸を整えていた。
そして扉が――開かれる。
「――ふっ!!」
その瞬間、俺は引き摺っていた聖剣を勢いよく振るって急所の一つである顔面めがけて先制攻撃を仕掛けた。
というより腕にほとんど力が入らない以上、勢いで下から上に振るぐらいしか選択肢がないのだが、とにかく扉を開けた人物は反撃されるとは思っていなかったのだろう。
一瞬見えただけだが特に回避行動を取る素振りも見せなかったことで、俺の中で勝利という二文字が浮かび上がった。
――勝った!
初手に大ダメージを与えてしまえばこの身体でもまだ勝機はある。
聖剣が相手の顔面に当たりそうになった時、俺はそう確信した。
――だが、俺の攻撃は突如現れた『光の壁』によっていとも簡単に跳ね返されてしまう。
「――なっ!?」
「きゃっ!」
何故弾かれたのかわからないまま、弾く力が介入したせいで力を加えていなかった聖剣は後方へ吹っ飛び、扉を開けた敵は今更ながらに驚いた声を上げる。
それは、女の子の声だった。
思わず弾かれた聖剣を拾おうとする前に一瞬だけ視線を向けると、そこには驚きのあまり体勢を崩した、いかにも無害そうな少女が何かを手から放していて。
「えっ……ごうっ!?」
その、桶のようなものが下から上へと投げ出され、思いっきり俺の顔面へと強打した。
「――いってええええええええええ!?!?」
見事に顔面へとクリーンヒットした俺はそのまま床へと倒れ、横腹と肩を強打しつつのたうち回る。
むしろ急所を狙われていたのは俺だったらしい。
特大ブーメランを受け止めることが出来なかった俺だったが、そんな馬鹿馬鹿しいことを考えられないくらい全身が悲鳴を上げているのがわかる。
「あう……あっ!? だ、大丈夫ですか……!?」
痛すぎて目を瞑ってしまっているため詳しくはわからないが、どうやらそいつも驚いて尻餅を付いてしまったようだ。
しかし俺がのたうち回っているのを見ると慌てて寄り添って身体を支えて来てくれた。
……だがそこである疑問が浮かび上がる。
何故コイツは攻撃されたにも関わらず介抱しようとしているんだ?
もしかして強者の余裕という奴なんだろうか。
だとしたら腹が立つ。
ガルクに続いて、こんな奴にすらコケされなきゃいけないって言うのか。
一目だけでもその顔を拝んでやる。
そう思い、俺は痛む顔面に鞭打って目を開けキッとその女の顔を視界に映すと。
「すみませんっ! 私の不注意で……! 何処か痛む所はありませんか?」
「……!? ……っ!?!?」
心底心配そうに覗き込む、引き込まれてしまうような少女の姿が視界を支配していた。
目が、引き込まれた。
きっと誰が見てもわかる。
それ程までに神聖な輝きを放った少女が、そこにいた。
もちろん驚いたのはそれが理由じゃない。
一番の理由は髪色が黒でも白でも、そのどれでも無いのだ。
つまり魔族でも天使でもないということを証明している。
髪色は、淡い麦藁色だった。
天使のような純白でも魔族のような漆黒でもない。
明確な色素がそこにあった。
そんな髪色、見たことがない。
天使と魔族しか知らない俺にとってまさに目の前の少女は未知なる存在と言っても過言ではなかった。
目を丸くして固まっている俺を見て何故かそいつも不思議そうに首を傾げている。
「……」
「……?」
……会話が始まらない。
いやこれは多分向こうからしたら返答を待っている状態なのだろう。
何処からどう見ても俺が大丈夫ではないことは見ればわかると思うのだが、そんなしょうもないことも言ってられない。
「あー……俺の方こそすまん。悪いけど、起こすの手伝ってもらえないか?」
「あ、はいっ!」
そう言うと少女はすんなりと俺の腰に手を添えて壁の近くまで寄せると、彼女なりの力で腰を上げて立たせてくれた。
正直ここまで敵意が無いとどう思考を凝らしても『魔族』という線が消えてしまったことを実感する。
ということはつまり俺は無害で、しかも何らかの方法で命を助けてくれた恩人の少女を傷付けようとしてしまったわけだ。
それは俺の仁義に反する。
例え状況的に勘違いしてしまって仕方ないにしても、きちんと謝罪はするべきだろう。
「助けてもらったのに攻撃しちゃってごめんな」
「攻撃……?」
「いや、敵だと思ってさっき攻撃しちゃっただろ?」
「……? そうなんですか?」
なんなんだこの子は……。そもそもさっき俺の攻撃を何か特殊な壁のようなもので防いでいたじゃないか。
ただ白を切っているだけなのかはわからない。
けれど向こうがそう言うのであればこちらとしても深掘りするべきではないと判断する。
「ま、まあいいや。じゃあ、立たせてくれてありがとな。もう立てるから手放して大丈夫だぞ」
「わかりました。……だ、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫だって」
放した瞬間刺激が来て思わず痛みに呻いてしまい心配させてしまった。
脇腹がズキズキと痛むが確認した所傷口が開いている様子はない。
さすがにここからもう一度ベッドに寝かされるのは恥ずかしすぎるので多少の痛みは我慢することにする。
そんなことより重要なのは、ここが何処かということだ。
この子が敵対していないということはわかったが、さすがにこの子があの状況から俺を助けられるような人物だとは到底思えない。
それに髪色と翼がない以上天使という線も無くなってしまっている。
であれば、この子は一体誰なのか。
「その……俺は何でここにいるのか聞いても良いか?」
「ここからすぐ傍の森の中で倒れていた所を子供たちが見つけて知らせに来てくれたんです。ですから応急処置をして、こうして看病を」
「森の中……?」
「――!! もしかして覚えていらっしゃらないんですか……!?」
「えっ」
あ、これは面倒なことになるかもしれない。
それもそうだろう。
事実ここが何処なのか全くわからないが、向こうからしてみれば俺が何らかの大怪我を負ってでもここを目指して倒れたという構図になっているはずだ。
記憶が無くなっているとなると、より深刻な状態だと思われても仕方ないだろう。
……しかし、むしろここは乗っかるべきなんじゃないかとも思う。
もしも気を遣って「そんなことはない」と言ったとしても、この場では乗り切れるかもしれないが元々ここが何処かわからないので必ず整合性が取れなくなる。
であればやはりここは乗っかるべきだ。
俺は出来るだけ異常は無いことを伝えつつ、質問しても疑問に思われない程度で立ち回ると決めた。
「……あー実はそうなんだ。別に身体に異常はないんだが、記憶だけがどうにも曖昧でな。出来ればここのことを教えてくれると嬉しい」
「そんな……!! すぐにお医者様の所へ行きましょう! 善は急げです! 少し待っていて下さい!」
「ああ待て待て!! ホントに大丈夫だから! こう見えて耐久力には自信があるんだ! そこまで大事(だいじ)にされても俺が困る!」
「そう、ですか……?」
さすがに初対面の子にそこまで面倒を見てもらうわけにもいかない。
この子が天使でないにしても、俺が生きているのなら少しでも早く天界へ帰ってエウスの安否を確認しなければならないのだ。
あわあわと心配で落ち着きのない少女を必死に手で静止させつつ、俺は心配させまいと言葉を選びながら口を開いた。
「実はここら辺の地理に疎くてな。せめて君が誰なのかだけでも教えてくれると助かる」
そうしないと本当に警戒を解いていいのかわからんからな。
そう俺が口にすると、確かに自己紹介をしていなかったと気付いた少女は改めてこちらに視線を向け、しっかりと姿勢を正し。
「私はセリシア。この城塞都市【イクルス】の三番街に住む、教会孤児院の『聖女』です」
「……んん?」
そう言ってにっこりと眩い笑顔を向けながら、聞いたこともない言葉の羅列を俺の脳へと叩き込んで来た。
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