第42話 負けられぬ戦い

 楽しい食事の時間があっという間に過ぎていく。その代わりに、シロちゃんのメモ帳が開示される時間が、刻一刻と近づいて来た。胃が痛くなってきたぞ。今すぐここから帰りたい。


「ジル様、どうかなさいましたか? 顔色がよろしくないようですが……」

「ちょっと食べ過ぎちゃったかな? でも大丈夫だよ」

「無理をしてはダメですわよ」


 ボクのことを心配してくれる優しいリーズ様。本当のことが言えたら、どんなによかったことか。

 食事を食べ終え、デザートのケーキとお茶が出て来た。最近は大陸から輸入されたコーヒーを飲むのがトレンドとなっているようだ。ボクは前世の知識があるおかげなのか飲み慣れているけど、他の三人はちょっと渋い顔をしていた。無理して飲まなくてもいいのにね。


「それでは、シロちゃんのメモ帳に書いてあることを確認してみましょうか」

『ジャジャーン! これでち。渡す前にご褒美が欲しいでち』

「そうだったわね。はい、どうぞ。高級ちゅるビーフよ。特別仕様にしてあるわ」

『さすがママでち! いただきます』


 シロちゃんの前にひき肉の塊のようなものが出された。ボクの知っているちゅるビーフではない。本当に特別仕様のようである。よく見ると霜降り肉だ! 豪華すぎ! ボクではとても勝てそうにないな。


 メモ帳がフルール様の手に渡った。ペラペラと数枚の紙をめくっていくうちに、フルール様の顔がみるみるうちに険しくなっていった。それを見た、何も知らないリーズ様とクリスが何ごとかと顔をこわばらせている。


 ものすごく悪い予感がする。今すぐここから立ち去るべきだろうか? だがそのためらいがよくなかったようである。キッ、とフルール様がボクをにらみつけた。眉もつり上がっている。

 ですよね、怒られますよね。


「ジル、はい、あーん」

「え、あ、え!」


 フルール様が無言で自分のケーキをフォークで切り分けたと思ったら、それを突き刺してボクの口元へと差し出して来た。これはあれか。ガブリエラ先生にやられたことと同じことをしてもらうつもりなのか。


 驚いたのはボクだけじゃなかった。リーズ様とクリスが、突然の出来事に口をあんぐりと開けている。淑女がしてよい表情ではないな。

 どうする? なんて、考えている場合じゃない。断ったらボクの首が飛ぶ。すべてを悟って口を開けるしかなかった。


「あ、あーん」


 口の中にケーキが放り込まれた。甘い。とても甘い。ついでにこの場の空気も甘くなっている。満面の笑みを浮かべるフルール様。次はお前の番だぞ、とでも言っているかのようである。

 急いで自分のケーキを切り分けると、フルール様に差し出した。


「はい、あーん」

「あーん」

「な!」

「お、お義姉様!」


 リーズ様とクリスが同時に声をあげた。何やってんだと言いたいだろうな。ボクも言いたい。ボクたちは一体、何をやっているんだ。

 だが、二人は何かを察したらしい。今度はリーズ様がケーキを差し出して来た。


 結果、三人にケーキを食べさせることになってしまった。ボクだけ食べる量が多いような気がするのは気のせいではないはずだ。

 そしてこのままだと、みんなの体をふくという、謎の儀式を始めなければいけなくなってしまう。


 メモ帳の続きを読んだフルール様の顔が真っ赤になった。これはアカンやつだ。それを見て何を想像したのかは分からないが、リーズ様とクリスも赤くなっている。

 さすがにこれはまねできないだろう。できないよね?


「ジル、どういうことなのかしら?」

「フルール、なんて書いてあったのかしら?」

「お義姉様、私も知りたいです」


 二人にそう言われ、フルール様がメモ帳を渡した。それを見て、顔をますます赤くした二人がボクとメモ帳を見比べている。シロちゃんのメモ帳にどこまでの事実が書かれているかは分からないが、誤解を解かねばならないだろう。


「ほら、体がうまく動かなかったからさ、背中だけふいてもらったんだよ」

『あれ、そうだったでちか? 全身ふかれていたよ……むぐっ』


 慌ててシロちゃんの口を塞いだ。三人の白い目が痛い。くそう、余計なことを言うんじゃない。ますます誤解されるじゃないか。


「ジル……」

「さ、最初はちゃんと断ったんだよ? 自分だけ色々とやってもらうのは悪いからって。そしたらガブリエラ先生が、代わりに背中をふいてくれればいいって言われて……」

「背中を」

「ふく」


 これまで見た中で一番顔を赤くした三人。とても想像力が豊かだなぁ。当事者のボクはそれどころじゃなくて、むしろ逆に青い顔をしてふいていたと思う。そのへんはシロちゃんのメモ帳には書かれていなかったのかな?


「体をふくタオルが小さくてさ。とても一人じゃ背中をふけない大きさだったんだよ。仕方なかったんだよ。そうだよね、シロちゃん?」

『そうでち。タオルは小さかったでち。でもそれならボクでもふけたでち。お手伝いしたかったでち』


 その手があったか! どうしてシロちゃんはその場でそれを言わなかったのか。一言でもあれば、それを理由にしてガブリエラ先生からの誘いを断ることができたのに。どうしてボクはその発想ができなかったのか。


 ガブリエラ先生の妖艶な色気に気押されてしまったのかい、どうなんだい、あのときのボク。あ、三人が汚物を見るような目でボクを見ている。ちょっと悲しい。だが、先生の背中をふいたのは事実だし、これ以上の言い訳はできないな。


「あら、あなたたち、一緒だったのね。ちょうどよかったわ」

「ガブリエラ先生? 何かあったのですか」

「ええ、ちょっとね。進展があったのよ」


 思わず叫びそうになり、慌てて口を塞いだ。みんなも目を大きくしてガブリエラ先生を見ている。進展があったって、あの魔物を呼び寄せる笛の話だよね? もしかして、犯人が見つかったのかな?


「あの、ガブリエラ先生、それって、犯人が見つかったってことですか?」

「いいえ、残念ながら違うわ。見つかったのは道具の方ね。学園と狩り大会を行った街とをつなぐ街道にほど近い場所で見つかったわ」

「それってまさか……」

「狩り大会に参加しただれかが使った可能性が高いということになるわね。部外者が関与していたなら、証拠を残さないはずだわ。学園にいるだれかを罠にかけようと思っていない限りはね」

「ガブリエラ先生はその可能性は低いと思っているのですよね?」


 そう尋ねると、腕を組んだガブリエラ先生が、握りしめた手でほほとトントンとたたき始めた。考えごとをしているときのガブリエラ先生の癖である。ボクたちは静かに待った。

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