第6話 魔物と他の冒険者

「いい感じの川! 水!」

『この川の水は飲用可能です』

「あ、そこはゲームと一緒なんだ」


 【ヴェルギオン・オンライン】でも、川の水や淡水湖の水は煮沸やろ過をしなくてもそのまま飲めた。

 ただ、ゲームの姿勢として、現実では生水をそのまま飲むのは危険です、という注意書きがいつも出てくる。なので、現実世界であるヴェルギオンの川の水も煮沸やろ過が必要かと思ったけれど、そうじゃないらしい。


 まずは両手で掬って少し飲んでみる。冷えていて美味しい。

 移動や採取などで少しとはいえ動いて体が温まっているせいか、余計に喉を抜けるひんやりとした感触と、舌に触れる少し甘さを感じる水が美味しい。

 胃の中まで少しひんやりとするし、爽やかな気分にもなる。


 川幅は2メートルくらい、水底が見えるほど浅くて透明。川辺は少し開けていて、土を踏み固めた地面に掌大の石がごろごろと転がっている。

 ここでならば煮炊きもしやすそうだし、いろんな人がこの辺で焚火をした痕跡が少しずつ残っているのも頷ける。休憩にちょうどいいのだろう。


 とりあえず今は火を扱う気はない。森の木の一つに背中を預けて、柔らかい根の間の地面に腰をおろした。

 背中から襲われることはこれでないし、ナヴィもいるので大丈夫だろう。


「さて、インベントリ、インベントリ……」


 ウインドウが出てきて、正方形がびっしり詰まった画面が見える。

 いくつかの見出しに分けて管理しているため、順番にざっと目を通す。現実なのにアイコンになって収まっているのが、なんだか日常&現実異世界初心者の僕への手心を感じた。


 インベントリを確認して分かったのは、ゲーム中に加工、製作、創作したものは残っていないこと。

 それから、生産地の記載のある素材などもない。超貴重素材とかも残っていない。

 あれはリスポーンするから手に入った素材であって、現在の僕が持っていたらきっとまずいのでなくなっているのだろう。


 すごく一般的なもの……ただの木材と表記されているものや、昨日使った清潔な布なんかはちゃんとある。

 食材も、どこでも手に入るような一般化された名前になっているものだけ残っているし、調合に使う素材や道具も、カスタムしたり改良したもの以外は残っている。


 それから、残念なことに採取道具、武器類は一切残っていない。どれも強化するのに手を入れてあるか、自分で作ったものだから仕方ないのかもしれないけれど。

 今日は確認や肩慣らしのつもりだったけれど、ある物と無い物を確認できたのはよかった。僕は今全くの丸腰で、唐突にピンチになったらこの身一つで切り抜けなければいけない。


 うん、絶対にピンチになりたくない。


 木陰から立ち上がって川辺に戻り、適当な大きさの黒い石を探す。

 ちょうどいいものはすぐに見つかった。

 ガラスの成分を含んだ黒くてつやつやした石……黒曜石と呼ばれるもの。


 打撃するには弱いので長剣にはできないが、加工はしやすく鋭くなるので、何かを切るのにはちょうどいい。

 鑑定を使うと、ちゃんと黒曜石、と出る。職人スミスのスキルで両手の間に黒曜石を浮かべると、小刀の形状に加工した。あまり無理を加えると割れてしまうので、少し不格好だが、持ち手のついた小さな投げナイフ、といった形になった。


 他にも同じ岩を探していくつか投げナイフ(仮)を作っておく。

 咄嗟に自衛する時に体術のみというのも心もとないし。いや分からないけど。あのステータスでピンチになるのか? このはじまりの街の近くで。


(備えあれば憂いなしってことで)


 出来上がった小刀は、腰のベルトに挟むだけにする。いつでも取り出せなければ意味がない。


『ワタル、冒険者が3名近づいてきます。14時方向です』

「ありがとう、ナヴィ。敵意は?」

『ワタルに気付いていません』

「了解。まぁ、襲うつもりで来てないなら大丈夫じゃないかな」


 出てくるのかな、と思ってナヴィに案内された方向、川向うの茂みに視線を向けると、すぐに複数の走る音と獣の吠える声、どちらのか分からない荒い息遣いが聞こえてきた。

 どうやら交戦中らしいと判断して、片眉を吊り上げた。


「え、ナヴィ? まって、追われてるみたいですけど??」

『ワタルに対して敵意はありません』 

「そうじゃないんだよなぁ!」


 獣にこの小刀を使うのならば弓があった方がいい。それなら黒曜石の矢じりでも狙う所を狙えば貫通力がある。

 どれだけレベルが高くても、戦うのがそんなに好きじゃない僕は、戦闘系スキルを取っていない。投擲もだ。取っておけばよかった。


 茂みががさごそと揺れ、今の僕と同じくらいの年齢の男の剣士、男のアーチャー、女の魔法使いの装備の冒険者が転がるようにして川を渡ってくる。

 所々怪我もしているし、青い顔だし泣いてるし、戦意はとっくに喪失してそうだ。


 追いかけていたのは、ブラッドワイルドベアという熊の魔物。

 赤く変色した毛皮に、二列の牙、額に複眼をいくつも持っている。首周りの毛皮は剣のように硬く鋭くなっているし、そもそも恐ろしいクマの爪も肥大化したうえ、前足も後ろ脚もあちこちから飛び出るように生えている。見た目が非常にグロテスクでよろしくない。


 四つ足で走ってきて、ちょうど二本足で立ち上がった。ここで一旦、川があるために冒険者たちの逃げる速度が落ちるのを理解していたのだろう。


 しかし、冒険者も必死なので誰も足を止めない。

 3人が川を渡るのを追いかけて、ブラッドワイルドベアはまた四つ足になる。


「だ、だすげでぐれぇ!」

「いいよ」


 僕は歩いて冒険者の方に近づいて、彼らは僕を見て精一杯に声を上げて助けを求めた。

 すれ違いざまにその要請に応じると、背中の方で3人の人間が倒れるように停止したのが分かる。きっと、やっと腰が抜けたのだろう。派手に転んだ音がしたし。


 これは直接頼まれたんだし、余計なお世話に含まれないはずだ。

 後で獲物を横取りした、とか難癖つけられたら師匠に相談しよう。


 ブラッドワイルドベアは恐ろしい頑丈な牙が生えた口を開いて僕を威嚇する。

 素材は今の所必要ないけれど、肉がなかなか美味しい。フレーバーテキストにそう書いてあった。

 引き締まって硬い肉ではあるけれど、じっくり煮込むとシチューにした時に崩れて解ける食感になる。


 戦うのが苦手とはいえ、魔物が恐ろしくては採取にいけない。の戦闘はちゃんとできる。……できるよな? たぶん、できると思うんだけど。


 振り上げられたブラッドワイルドベアの太い前脚を前に、僕の心は凪ぐ。


 恐れはない。慌ててもいない。音もなく、他に動くものもなく。

 現状を見失うほどの深い集中。


(うん、大丈夫。何も、失っていない)


 一瞬時間が止まったような静寂が訪れ、構えた拳で振り下ろされた前脚を弾き、姿勢を崩したところで分厚く刃になった毛皮の下、喉に向かって拳を振りぬく。

 触れる必要はない。真っ直ぐに伸びた拳から衝撃が走り、ブラッドワイルドベアの急所に直撃した。


 大きくのけ反り、浅い川に水しぶきを上げて倒れたブラッドワイルドベアは、もう息をしていない。

 あたりの様子を探っても危険は去ったようなので、師匠に教わった通りブラッドワイルドベアに向かって手を合わせた。少しの黙祷。


 川に晒しておくよりいいか、と神腕を使って死体をこちら岸に移動させる。

 それから、やっとさっきの冒険者の方に頭を向けた。


「あ……」

「す、すみません、すみません!」

「おれ、おれたち、まさかブラッドワイルドベアがいると、思わなかったんです!」


 血だらけ泥だらけの格好で、びしょ濡れで、それで恐怖に震えながら土下座をされて、僕はあ~、と曖昧な声を出しながらちらりと彼らが逃げてきた方向を見た。


 冒険者ギルドで貰ったマニュアルの地図は、場所によって推奨されるレベル帯がきちんと記載されている。僕は討伐じゃなく採取依頼だったけど、採取ポイント周辺は何が出てくる場所なのかは確認した。


 そして、この森の奥の方ではブラッドワイルドベアが出現するのは記載してあった情報だ。危険区域だとも。

 それでこれでは、そりゃあ、依頼失敗も怪我も減らないわけだなぁ、と納得してしまう。


 しかし、彼らに頼まれたので助けはしたけど、僕に言い訳されても困る。彼らの指導を僕がするのは、それこそ余計なお世話だろう。。

「えー……と、助かって、よかった、ね?」


 だから僕は、曖昧に、困ったように、明らかに苦笑して頬をかきながら、色々と浮かんだ言葉は飲み込んで、言えるところだけを彼らに告げた。


 僕が怖い人間じゃないと理解したような彼らは、一瞬顔を輝かせて、それから号泣した。


 どうするんだろう、これ。師匠、助けてください。可愛い弟子のピンチです。

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