第3話 始まりの街と師匠A

 アガサタウンに近付くと、道に人が増えてきた。僕が着ている装備は違う地域で作製した服だけど、あちこち行き来する人が多いのだろうか、誰も気に留めない。

 改めて街に目を向ける。見上げるほど高い壁に囲まれた街。最初はダンジョン周りに作られるという迷宮都市が、どんどん肥大化して、今は一大拠点になっている、のだとか。


 なんの驚きも意外性もないというか、はっきり言って前世で現実以上に過ごした世界だ。馴染むというか、しっくりくるというか。

 ただ、ゲームの中だったときには、世界は何か薄い膜を通して見ているような感じだったのが、クリアになり、ちゃんと現実と感じられる。


 それに、ゲーム中では、料理や特定アイテム以外にほとんど香りというものを感じられていなかったんだなと実感する。今はどこにいても、複雑な匂いが漂ってきた。

 病室の清潔で濁りがない世界じゃない。消毒液の透明な刺激臭もしない。


 本当に現実になっているのだと、なんの隔たりもないと、強く実感した。


 街に入る門には馬車や人が並んでいたが、列の進みは早かった。ナヴィがいうには、いつもこの調子らしい。

 ゲームの時は門兵に身分証を提示する必要はなかったが、それはパラレルワールドだったからだろう。前の方では身元を確認しているようだった。


(並んでるだけでも、結構いろんな匂いがするなぁ。旅人の匂い、冒険者の匂い、彼らの纏っているどこかの土地の匂い。もしかして、最初に感じたのは草とか植物の匂い?)


 僕の思考に返事が返ってくることはない。当たり前か、と思いながら、サクサク進む列に遅れないように気を配る。

 その時、目の前……町の門で騒ぎが起こった。


「こいつ、犯罪者だ!」

「身分証が無い上に金もない、その上犯罪歴が出るとは。番兵所に引き渡せ!」

「くそっ、離せ! 離せぇ!」


 男は門兵に列から離され、門の横の扉の中に押し込まれようとしている。

 列の進みが一時的に止まったのは、僕にとって幸運だと言わざるを得ない。今のうちにナヴィに聞いておきたいが、目立つのを避けてナヴィはウインドウも表示していない。

 試しに、と頭の中で声をかける。


(あ~……ナヴィ?)

(はい、ワタル。どうしましたか?)


 答えられるんじゃん! とはいえ、今は答えてもらえて助かった。

 このままでは、目の前の惨事を自分が味わう羽目になる。


(僕、身分証もお金もないんだけど)

(問題ありません。あなたに犯罪歴は無く、あなたの身元保証人が迎えにくる手筈です)

(身元保証人……?)


 そんな人いないはずだ。ゲームとして過ごしたあの場所とこの世界は別だとさっきはっきりナヴィが説明した。

 だから、顔見知りがいるはずがない。でも、ナヴィは慎重そうだし、きっと間違ったことは……そういえば、ナヴィってなんだ?


「次! お前、身分証はあるか?」

「す、すみません、旅の途中で、その……」


 失くした、と言っていいものなのだろうか。

 身分証って持ってたことがないけど、調べたことはある。

 一番よく聞く運転免許証を取得するには、ある程度の期間専門の教習所に通い、お金を払い、知識と経験を身に着けて取得するものだったはず。


 健康保険証だってそうだ。あれは、国にお金を払って交付されているその証。

 それを失くした……何か事情があるならばそういう事もあるだろうけれど、そもそも僕は持っていないのだ。


 元の世界で持っていた経験もない上に、この世界のことも全く知らない。いや、知っているけれど、人の営みは別っぽいし。

 担当医の先生に、ちょっと嘘をついたらすぐにばれていたのが僕だ。

 下手な嘘をついたらこじれる。うん、正直に言おう。


「な、ないです……」

「なに? お前もか……はぁ、これに手をかざせ」

「はいっ!」


 背中を冷や汗が伝っていたが、担当してくれている中年の兵士は決まりきった手続きで白い石の板にハマった透明な水晶を見せてきた。平置き状態で差し出されたので、とりあえず左手をかざす。

 水晶は青色の光を放ち、白い文字が浮いている。


「名前はワタル。ハイヒューマン、犯罪歴無し。身なりも上等だな。ふむ、金はあるのか?」

「す、すみません、それも……」


 自然に背中が丸まってしまう。

 何も知らない、この世界に転生したばかりとはいえ、あまりに情けない。


「……お前、ハイヒューマンなのに……いや、まぁ事情があるんだろう。聴取するからそこの扉の前で……」

「それには及びませんよ、ヴェーゲ」

「あ、あなたは……」


 縮こまって俯いていたところに、ひるんだような兵士の声。

 僕は、反射的に顔を上げた。


(うそだ……)


 だって、ここはゲームの世界じゃない。それは、体感している自分が一番分かっている。

 この声は、NPCの声のはず。


「ワタル、迎えに来ました」

「し……師匠~~っ!!」


 優しく微笑むエルフの美しすぎる青年。

 朝の陽光色の長い髪に、夏の空色の瞳。

 見覚えのある、森の色を溶かし込んだような魔導士の服と、複雑な紋様の長い杖。


 この世界で、知っている人に会えるなんて思わなかった僕は、思い切り彼に飛びついた。


 心細かったのだ。死を経験して、なのにまだ意識があって、知っているけれど見知らぬ世界に放り出されて。

 涙が勝手にあふれ出てくる。あと鼻水も出てるっぽい。


 師匠は僕を受け止めてくれたけれど、そのまま町の中までずざざっと足が滑って移動してしまう。勢いをつけすぎたのだろうか、こんなのは初めてなので慌てて体を離した。


「うーん、ここは現実なのでしっかりステータスの影響がありますね」

「し、師匠っ、師匠、僕、僕ぅ~~っ!!」

「落ち着いて、ワタル。まずは街に入りましょう。その後腰を落ち着けて話がしたいです」

「わがりまじだぁああ」


 死の淵でだって泣いたかどうかわからないというのに、今の自分は間違いなく涙と鼻水でひどい顔になっているだろう。

 顔の一部の強張りと、顔の一部の弛緩が、自分では全然コントロールできない。

 眉間が熱いし、目の奥も熱いし、鼻の奥はツンとするし、もっと大声でわめきたい気分だ。


「という訳で、僕が彼の身元を保証します。通行料は銀貨2枚でよろしかったですね?」

「はい、あの……大丈夫ですか? ムー様……いま、すごい引きずら……押しこま……なんか移動しましたが」

「問題ありません、予想通りです。なので、無傷でしょう?」


 にこにこと笑いながら、先程ウェーゲと呼ばれた中年の兵士に、師匠もといムー様がお金を渡す。ムー様の本名は非常に長いので、普段からムーとしか名乗っていないらしい。


「アガサタウンへようこそ、楽しんでくれ!」


 圧倒され納得した様子の兵士に快く見送られて、僕は師匠と一緒に街の中に入った。

 もちろん、涙も鼻水もインベントリにあった清潔な布で拭って、汚れた布はまたインベントリに戻してある。ポイ捨てはいけないからね。


 街……見知らぬ人であふれているものの、壁の染み一つとっても見慣れている街。

 茶色の土壁に木製の窓の二階建てや三階建てが密集している。所々レンガ造りや石造りの家もあるし、大通りは石を敷いて整地してあり、歩きやすい。


 環境整備依頼……要は街中の掃除は、冒険者ギルドや各種職業クランに出される。

 新人冒険者か、見習いでどこかに勤めている人間がそれを請け負うため、やらない人がいるということもない。フレーバーテキストでこの手の豆知識は読みあさったが、なかなかおいしいお金になるのだ。しかも安全。

 おかげで道には馬糞もなく、とても綺麗だ。


 時折鉢植えや花壇の緑も目に入る。街路樹もあるし、広場にも大きな木がある。その下にはベンチもあり、屋台も出ていた。


 匂いという感覚は、すごく新鮮だ。

 この世界は複雑な匂いがする。

 師匠からは、森の中と同じような、もっと澄んだ気持ちいい匂いがした。少しだけ前世の病室に近いかもしれないが、もっと複雑で優しい香り。


「ワタル、本当にこちらに来たのですね。心から歓迎します」

「師匠は……えっ、師匠、なんで僕のこと受け入れているんですか?! こちらってことは、あの、いろいろ知ってるんですか?!」

「まぁまぁ、ゆっくり話しますから。お腹は? 空いていませんか?」


 僕が何か答える前に、ぐぅ、と腹の虫が返事をした。

 照れて無言で頭をかく。顔が熱い。胃が動いて、きゅうっと締まるような、変な感覚だ。これが空腹だろうか。


「では、ご飯にしましょう。僕の行きつけの銀鹿亭はシチューが美味しいですよ。歓迎会なのでここの払いは僕が持ちますから、好きなだけお食べなさい」

「は、はい! 師匠、ゴチになります!」

「ワタル、言葉は略さない」

「はい! すみません!」


 45度の礼をすると、機嫌よく笑っている師匠は「よろしい」と言って店の扉を開ける。

 師匠は礼儀に厳しいが、おかげで僕は世間知らず(物理)であってもゲーム内で問題を起こさずに済んだ。


 辿り着いたのは木造の建物。ドアの横にいぶし銀でできた、鹿の頭をイメージした看板が掛かっている。

 うるさすぎないが、繁盛している様子だ。人の声といい匂いが漂ってきた。

 ちょうど今、料理を運び終えて手ぶらになった店員さんが軽い足取りでこちらに近付いてくる。


「ムー様、いらっしゃい! 席は好きなとこ座ってくださいね。いつものでいいですか?」


 種族は獣人。尖った三角形の耳に長く伸びた尾が揺れている。毛色は紺色で、髪も同じ色だ。肩にかかるくらいに伸ばしている。瞳はビビッドなピンクに近いベリー色。つり上がり気味の大きなアーモンドアイに、丸みを帯びたふっくらとした頬。

 動きやすそうなワンピースとブーツ姿で、生成りのエプロンを身に着けた10代半ばくらいの女の子。


「いや、今日はメニューが欲しい。食材に余裕はあるかな? あぁ、キャロさん、こちら僕の弟子のワタル。ワタル、こちら銀鹿亭の看板娘、キャロさん」

「はじめまして、ワタルです」

「ワタルさん、はじめまして! ムー様のお弟子さんなんてすごい! いっぱい食べてってくださいね! 食材はまだまだありますよ!」


 目が合うとにっこり笑いながら話しかけてくれた。

 師匠の後について席につく。すぐさま、キャロさんがメニューを持ってきてくれた。

 厚紙にこちらも銀で箔押しの表紙がついていて、中はメインの肉料理の他、パスタやリゾットの主食、サラダも種類がある。

 少し身をかがめて、メニューで口元を隠して師匠を見ると、小さく頷いて師匠も顔を寄せてくれた。


「師匠、あの……ご相談なんですが」

「うん、なんだい?」


 どれも美味しそうだ。メニューにもう一度目を落としてから、片手を添えてさらに声を潜める。


「僕、転生したばかりで自分の胃の容量が分かっていません。でも、色々食べてみたいのも本当で……その、シェアしませんか?」

「もとよりそのつもりですよ。だから、食べてみたいものは何でも頼んで構いません」

「! ありがとうございます!」


 ゲームの世界でも、師匠と食事を共にする機会は何度もあった。師匠は普段、意志の力で控えているが、こういうお祝いの席では自分を解放することが多い。

 そして、師匠はその点を訂正せず、かつ、僕に任せたのだ。


「キャロさん、注文いいですか!」

「は~い! 何になさいますか?」


 僕は満面の笑みでメニューをキャロさんに向けて、片手の指で先頭の料理名を示す。そしてずずーっとメニューを指先でなぞり、見開きの右上から左下まで全部示した。


「ここからここまで、全部1人前ずつください!」

「ぜんっ、えぇっ?!」

「ワタル」


 師匠が慌てたように僕に声をかける。

 なんだか周囲も一瞬声が止まって、すぐさまざわつき始める。文字ログが流れないので何を話しているかまでは分からない。

 キャロさんはぽかんとしていたが、師匠は眉尻を下げて明らかに困った顔になっていた。


「それじゃあ全く足りません。キャロさん、すみませんが5人前ずつでお願いします。できたものからで構いませんから」


 師匠は世にも美しい顔で微笑みながらキャロさんに向き直ると、優しく付け加えた。


「か、かしこまり、ました~……?!」


 まだ茫然自失としているキャロさんにメニューを返す。驚いた顔のまま固まっていたが、ぎこちなく厨房に向かっていくのを見送って、師匠に向き直った。


「す、すみません師匠。師匠の大食いを目測で掴みかねました」

「いいんです。普段は僕も銀鹿亭の食糧庫を空にするわけにはいかないと控えていましたからね。今日は思いっきり食べましょう!」


 それはつまり、今日は店の食材を空にする、と言っているのと同じ意味だ。僕はいいのだが、あっちで水差しを落としたらしいキャロさんは大丈夫なのだろうか? たぶん話が聞こえていたんだと思う。


 今から3時間後、追加も頼んだうえで出てきた料理を全部二人(僕3:師匠7)で食べきった後、僕らは泣きながら見送られた。

 銀鹿亭は数日、臨時休業になるとのことだった。

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