葉山理緒と九重美咲 52

 地下鉄内の座席はほどよく埋まっていて、立っている人も数人いるぐらいだった。

 香澄と並んで座れるスペースがなんとかあったので、そこに腰かける。


「めっちゃ寝たから元気だよ。なんでもこい」

「あたしはちょっと眠い」

「んじゃこれあげる」


 香澄が渡してきた眠気覚ましの黒いケースのタブレットをもらう。口に放り込み、スースーする感覚に少し眉をしかめた。自分ではあまり摂らないものだが、たまに食べると効くような気がする。

 食堂で話していた時点では、理緒にはまだ講義が残っていたのでそれが終わってからの出発となった。香澄は部室で寝直してたらしい。再度合流した香澄はひどくすっきりしていて、いつもに増して元気に見えた。


「部室って言ってたけど、どこの?」

「漫研だよ。あそこはいつ寝てもいいから」


 香澄は複数のサークルに入っていて、全部に毎日顔を出せるわけでもないのにどことも仲良くやっているようだった。なんでそんなに人と交流できるんだと理緒は思うが、香澄は別に普通だと答えるだけだ。

 交友関係が狭い自覚がある理緒にとって、香澄のコミュニケーション能力はすごいなと感心させられてしまう。高校生の時は理緒と沙耶との三人で過ごすことしかなかったのに、大学生になってからとても楽しそうにキャンパスライフを送っている。

 それでも香澄は親友で、香澄も理緒と一緒にいる時間が多い。それは、単純にとても嬉しい。本人には言わないけど。


「てか、いくつ入ってるの、サークル」

「いくつだろ……入ってるかどうかわかんないけど仲良いとことかもあるし」

「……そんなんでいいの?」

「いいのいいの。理緒もなんか入ったら?」

「三年の今から入るのもなぁ……」


 正直に言ってしまうと特に興味もない。中学高校も帰宅部だったし、部活動的なものへの関心を持ったことも特にない。

 香澄と沙耶もずっと帰宅部だったが、高校を卒業すると沙耶は専門学校に入ってネイリストになったし香澄は大学で交友関係を広げている。

 一方の理緒は家でゲームにいそしむ日々だ。このままでいいのかと疑問に思うことがないわけでもなかったが、結局そのままでここまで来てしまった。

 だからといって今からサークルとかに入るのも、と元の結論に戻ってしまうが。

 倉橋はコスプレをしていると言っていたし、そういう関係の付き合いもあるのかもしれない。いずれにしても熱中している趣味といえるかもしれない。

 そういえば、ゆあが本屋で働いていることもそうか。図書委員だったゆあから本を色々と紹介されたことを思い出す。本好きだったゆあが本屋で働いているのは、考えれば自然なのかもしれない。


「そういえばさ、大学決めるときゆあがどこに行くかって教えてくれたよね。あれって本人に訊いたの?」

「うん。図書室行ったらいたから、ちょっと訊いた」

「……ありがとう」

「ん、教えた時にもお礼は言われたよ?」

「そうだけどさ」


 そのお陰で、気兼ねのなく受験勉強をすることができた。

 思い返せば、その時はゆあと出くわすことを気にはしていた。その懸念がなくなったことで受験は特に問題なく合格できた。特別偏差値の高い大学を目指したわけではなかったが、さすがに心配事を抱えたままではうまくいったかはわからない。

 大学生になって、ゆあを気にすることはほとんどなくなった。平穏な生活、というと大げさかもしれないが、気楽に過ごせてきたのは確かだ。

 同じ札幌にゆあは住んでいて、今回のように出くわすことはあり得たことだ。けれどそのことはほとんど考えたことはなかった。もう過去のものとして、自分の中で処理できていた……のだろうか。

 けれど会えば発作も起こる。こういった弱みも早くなくなってほしいと思う。そうしないと、胸の中の引っ掛かりがずっと残ったままになる気がする。

 友人たちとの時間が、何気ない日常が、理緒を癒していった。それは事実だと認識しているが、もっと強くならないといけないとも思う。

 考え事をしている間に、目的の駅についた。

 地下鉄を下りて歩く。理緒たちが乗っていた地下鉄が出発し、向かい側のホームが目に入った。

 ふと足を止めて、目についたものを注視する。寸前に、向かい側の地下鉄がホームに入り見えなくなってしまった。

 頭を動かして窓から中を見ようとする。が、後ろから歩いてきた人がぶつかってしまった。バランスを崩して倒れた理緒はとっさに謝罪を口にするが、返事もなくぶつかった人は歩いて行った。


「理緒、大丈夫?」

「あ、うん」


 香澄に助け起こされる間に、地下鉄は出発してしまった。


「どうしたのいきなりぼーっとして」

「あー……倉橋がいた気がして」

「え、じゃあ入れ違った?」

「どうだろ、はっきりと見えたわけじゃないし。ごめん、勘違いかもしんない。とりあえず本屋行こ」

「あーい」


 気のせいと言えば気のせいだったかもしれない。頭を掻いて、まあいいかと歩みを再開する。

 ゆあが働く本屋までは、5分ほどで着いた。

 本屋の周囲には、少なくとも倉橋の姿はなかった。あとは、中を見てみるしかないが……

 入ろうとした理緒の襟首を香澄が掴んだ。


「ふやっ!? ……なにすんの」

「入るの?」

「そりゃ入らなきゃしょうがないでしょうが」

「…………」

「大丈夫、たぶん」


 香澄のジト目にやや目を逸らして応える。

 本屋に入ればゆあがいるかもしれない。そのことを言っているのはわかっているが、だかたといって入らなければ何をしにここまで来たのかもわからない。


「アタシが言ってくるから、待ってなよ」

「……そのために来てくれたの?」

「うんにゃ、コスプレ用のウィッグ買うからついてきたんだよ」


 明るくて否定して、香澄は本屋に入ろうとする。


「そだ、ゆあがいたの何階?」

「一階で見た」


 オッケー、と手を振って本屋に入っていく香澄を見送って、少し離れる。

 胸に手を当てる。少し心臓の鼓動が早くなっているのがわかる。前回は不意打ちだったから発作が起きたが、いるかもしれないと覚悟しておけばきっと大丈夫……と考えていた。香澄が来なくても、自分で確かめるつもりでいた。

 香澄はああいったし、たぶん本当に買い物の用事があったのだろうが(そういえばコスプレするコンカフェで働いてるんだった)、ついていくと言った時点でそうするつもりでもあったのだろう。

 心配をかけてるな、と痛感する。周りの人にそう思われないためにはどうすればいいのだろうか。

 考えれば考えるほど袋小路に入っていくかのようだ。強くなって、周りに心配をかけずにいたいということがどれだけ難しいのか。

 やけっぱちに頭を掻く。目を閉じて、深く息を吐いた。

 同じことを繰り返さない。今はこれだけを考えよう。

 しばらくして、香澄が戻ってきた。にぱっと笑いながら、小走りで合流してくる。


「訊いてきたよー、来てはないって」

「訊いてきた?」


 訊き返すと、香澄はこくりと頷いた。


「ゆあいたから聞いたよ。その方が早いし」

「……そっか。空振りかぁ」

「理緒が見たの本人だったんじゃない?」

「ああ、ホームで? かもね。でも倉橋の家の方向でもないんだけど。むしろあたしの家の方……」

「理緒に会うとか」

「いや、連絡来てないよ」

「連絡なくなったって会いにはくるんじゃない?」

「それはあんただけだ」


 香澄はしばしば連絡もなしに家に来る。出かけてたらどうするのと言うのだが、理緒は大体家にいると返されるし反論もできないのだが。

 ともかく、忙しいから会えないと言ってきた倉橋が理緒に会いに来るわけもない。


「そだ、倉橋さんぽいのは見たらしいよ」

「え?」

「外にそんな感じの人がいたとは言ってた。入っては来なかったみたいだけど」

「…………」


 どういうことだろう、と疑問する。

 理緒がゆあの話をしたことで、倉橋はゆあを排除すると言い出した。だからここに来たのはわかる。来て、思いとどまってくれたのならいいが、当初の懸念は的中していたことになる。


(……なんか)


 嫌な予感がする。

 ゆあの話はしたが、他にもした話はある。それに、倉橋とスーパーで買い物しているときに出くわしたこともある。


「ごめん、あたしもう行く」

「ん、ついてく?」

「……大丈夫!」


 わずかに迷って、勢いよく返事をする。

 香澄は目をぱちくりさせて、小さく何度か頷いた。


「ありがと香澄。来てくれて助かった」

「いいよ。あ、じゃあ今度お願いしたいんだけど」

「? わかった」


 とりあえず了承して、来た道を引き返す。

 今度も思い過ごしであって欲しいと思いながら、顔が険しくなっていくのが自分でもわかる。

 スマートフォンを手に取り少し悩んで、鞄に入れ直す。

 無用になるかもしれない連絡より、急ぐべきだと感じた。

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