葉山理緒と九重美咲 51

 講義が始まる10分前に返ってきたメッセージを見て、理緒は顔をしかめた。


「ダメ、か……」


 倉橋からの返信だった。会って話したいと今朝方送ったのだが、今週は忙しいのでと断られてしまった。

 土曜日なら空いているそうだが、その日は美咲との約束がある。

 どうしたもんかな、とスマートフォンを片手に考えていると、隣に座った人物が声をかけてきた。


「ようそこの素敵なお嬢さん、隣に座ってもいいかな?」

「なにそのテンション。飲んでる?」

「割とさっきまで飲んでた」


 香澄は鞄を置いて、大きくあくびをした。酒に強い友人はどこまで本気で言っているのかわからないが。


「昨日お店の人の誕生日でさ。朝まで飲んでたんだよね。寝てないまま来たから、これから寝る」

「隣でぐーすか寝られるとあたしもやりにくいんだけど」

「じゃあ講義終わったら部室とかで寝る」

「今日講義これだけ?」

「うん」


 香澄の性格を考えるとサボりそうな状況だが、なんとなく珍しい。

 香澄は眠気覚ましのタブレットを何粒か適当そうに口に放り込んで、眠そうな眼差しを向けた。


「美咲ちゃん?」

「え?」

「スマホじーっと見てたから連絡待ちかなんかかなって」

「違うよ。連絡待ちっていうか……」


 とりあえずスマートフォンを仕舞う。少し悩んで、やっぱり話すことにした。


「……ゆあに会ってさ」

「え、連絡とってんの」

「違う違う。あー……本屋に行ったらたまたまいてさ」

「大丈夫?」

「別に何かされたわけじゃないし……その時倉橋と一緒にいて」

「最近仲良くしてる」

「……心配かけたから、話したかったんだけど忙しいみたいで」

「ふうん、それならしょうがないね。どうしても話したいみたいな顔してたけど」


 香澄が見透かしたような顔で笑う。

 香澄はそういうところがある。普段はずっとおちゃらけているくせに、人のことをしっかりと見ている。香澄から言えば理緒はわかりやすいらしいが。

 そんなにわかりやすいかなと思いながら微妙に顔を逸らす。


「二股はよくないよー」

「そんなんじゃないよ」

「ま、理緒はそういうタイプじゃないよね。なんかあったなら手貸すけど」

「……講義終わったら話す」

「はーい。それなら今寝るね、おやすみー」


 宣言して、机に突っ伏して寝てしまった。

 半眼を向けるが、それで起きるわけでもなく小さい寝息すら聞こえてきた。他人の振りをするために席を変えようと思ったが、先生が入ってきてしまったのでタイミングを逃した。

 講義中に寝る学生はいくらでもいるが、開始から決め込んでいるとなるとさすがにまれだ。

 比較的緩い講義だったお陰か何か言われることはなかったが、たまに隣に注がれる視線に気まずい思いをしながら講義を受けることになった。


 講義が終わると、香澄はぱっと跳ね起きた。


「寝たりねえ……」

「すやすや寝てたでしょうが」

「寝たらおなか空いた」

「子供?」

「子供でいい。ごはん食べる」

「はいはい、学食行こっか」


 学食に移動する。1限の講義の終わりでまだ昼にはなっていない。そのためか利用者もほとんどいなかった。

 プレートに親子丼と豚丼を乗せた香澄は我先に窓際の席に陣取った。理緒は食べるつもりがなかったため、お茶だけを汲んで席に着く。

 本当に空腹だったようで、香澄はばくばくと勢いよく食べ始めた。お茶を飲んで待っていると思い出したように、


「そだ、理緒の話」

「先に食べなよ」

「大丈夫、聞いてるから」


 あっけらかんと言う香澄に、まあいいかと倉橋の話をする。

 食べながらもふんふんと聞いていた香澄は、手を止めてうーんとうなった。


「で、その人がゆあになんかするの止めたいってこと?」

「止めたい……あー、本気でそこまでするとかまで、は」

「ゆあを心配してる?」


 香澄の声が珍しく自信がなさそうに揺れる。

 迷うことなく、理緒は断言を返す。


「それはないよ。正直言って、ゆあがどうなってもどうでもいい。どこで働いたって、札幌にいてもいなくてもいいし……ゆあが幸せでも不幸でもあたしには関係ない」


 かといって、不幸になって欲しいとも思っていない。それこそ、理緒には関係のないことだ。


「ん、じゃあ倉橋って人の方?」

「うん、心配って言ったらまあ……心配だね」

「忙しいって返事きたの、ゆあを辞めさせる工作をするためとか?」

「……どうだろ、そんなドラマみたいなことできる?」

「辞めさせられるかは別にしても、嫌がらせならいくらでもやり方はあるよ。てかもう倉橋さんに訊いてみるしかないような」

「そう、だね……」


 しかし肝心の倉橋がつかまらないことにはどうしようもない。

 おとなしく会える時を待つしかないだろうか。とはいえ、待っていたら来週になってしまう。

 やっぱり気になってしまう。理緒が傷つくのを見たくないといい、実際にゆあに話に行っていた倉橋。

 本気でゆあをどうにかしようとしているのなら、自分の過去を考えなしにぶつけた自分の責任でもある。

 こうなるだなんて思っていなかったけれど、それでもこればかりは自分の責任だと思っている。

 だから。


「じゃあ倉橋さんに話を聞きに行く感じ?」

「ううん、そうじゃない」

「?」

「話を聞きに行くんじゃなくて、話をしに行く。言いたいこと、言いに行く」


 ただ話を聞こうとしても、前回と同じことになるかもしれない。倉橋と話をしながらも、倉橋の激しさに理緒は押されてしまっていた。言いたいことを少しは口にしても、届かせることはできなかったと思う。

 同じことを繰り返さないために、倉橋に言いたいことをぶつけたい。

 香澄はにやにやとしていて、なんだと眉を顰める。


「理緒らしいよね、そういうの」

「そ、そう……?」

「うん、高校の時はいっつもそんな感じだったじゃん」

「あー……そうだったかな」


 昔、といっても5年前だが、言われると照れくささの方が先だって誤魔化してしまう。


「アタシは理緒のそういうとこ好きだよ。アタシにも沙耶にも、言いたいことはがっつり言ってたじゃん」

「…………」


 それをしていた自分を良いものと思ったこともなく、今更認められるとまともに返事もできなくなる。

 だが、理緒は倉橋にしようとしているのはそういうことだ。ずいぶんとそうしてはこなかった。空気を少しは読むようになったし、言いたいことをひたすら口にして生きていくというわけにはさすがにいかない。

 それでも、今はきっとそうするべきだと思う。紫に言われて考えた結果だ。同じことを繰り返さないために、そうすると決めた。

 ゆあのことだって、失敗の原因の一つにそれはある。思えば、あの時から香澄の言う「言いたいことをはがっつり言う」というのはおさまってしまったのかもしれない。

 だったら嫌だ。

 生きていて人の影響は受ける。それを嫌だなんて思わない。けれど、歪まされるのだけは嫌だ。

 被害者のままでいて、歪まされ続けるのは、本当に嫌だ。


「それもちょっと先になりそうだけどね。つかまらないんじゃしょうがないし……」

「行ってみるしかないかー」

「そうだね……ん?」


 普通の調子で言われてつい頷いたが、待てよと疑問する。


「行ってみりゃいいじゃん。学校はわかる? あ。家の方がいいのかな」

「そんなことしたって話せるわけじゃ……」

「待ってたら来週になるんでしょ? やろうと思ったことはすぐにやらないと」

「…………」


 黙ったのは反論を考えたわけではなく、香澄の言うことにも一理あると思ってしまったからだ。

 もう一つは、思い当たることがあったからでもある。


「……行ってみる。それでなにも無かったら、来週まで待つよ」

「やっぱ家で待ち伏せ?」

「ううん……本屋に行く」

「本屋ってゆあがいるとこ?」

「そっちかなって、なんとなく……いなかったらそれでいいんだけど」

「ん、そんじゃ行こう!」

「え?」

「アタシも行くよ。用事あるし」


 少し香澄とお互いを見合って、漏れたのは小さい笑みだった。


「じゃあ、一緒に来て」

「アイアイ」


 ふざけた敬礼をする香澄を半眼で見ると、香澄はまあまあと言いたげに手を出して、食事を再開した。

 理緒はお茶を一口含んで、窓から外を見る。3階の食堂からは地上を歩く学生が見えるだけだが。

 何もしないと思いたいが、倉橋が何かをするつもりなら、その前に話をしたい。

 香澄を認めるのも癪だが、のんびりしているよりはきっといい。

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