葉山理緒と九重美咲 42

「葉山、一緒に食べよう」

「あ、うん」


 アルバイトの昼休憩になり、倉橋に声をかけられた。休憩室に移動して、二人横に並んで食事を広げる。

 理緒はコンビニで買った菓子パンで、倉橋も同じものだった。パンの袋から見て、買うコンビニも一緒だったようだ。

 少しの間無言で食べていたが、そのうちに倉橋の方が話しかけてきた。


「えっと……大丈夫?」

「大丈夫だよ」

「そう? 今日も元気なさそうだったからさ」

「そう、かな」


 否定はするが、心当たりはあるだけに弱い声になった。

 ほとんど昨日の今日で、精神的な落ち込みはいまだに続いている。あまり覚えていないが夢にも見た気がする。

 アルバイトでも何度かミスをした。大事になるようなものではなく自分で気づいて修正できる程度のものだったが。これはよくないとわかっていてもなかなか切り替えられないままだ。


「バイト終わったら何か気晴らしでもしにいく?」

「酒?」

「……葉山ってほんと酒好きなんだね」


 微妙に呆れたように言われて、ぐっと口ごもる。確かに酒は好きだが、気晴らしと言われても酒かゲームぐらいしか思いつかない。


「倉橋のいう気晴らしって?」

「ほら、あそこ」


 指を回しながら倉橋は施設の名前をあげた。ゲームセンターと一緒に運動ができる設備も入っているところだ。大学の友達もよく行っていると聞いたような気がする。香澄に誘われて行ったことはあるが……


「あんまり体力ないからなぁ……動くのは苦手かも」

「じゃあ食べまくるとか」

「小食だし……」

「えっと、じゃあ」


 倉橋は首をかしげて立てた指をくるくる回して考える。

 内心で嘆息して、菓子パンを口に運ぶ。嘆息のあて先は自分だ。調子が戻らないまま、倉橋に気を遣わせたしまっているのではと気持ちが落ち着かない。

 菓子パンを食べ終えて、お茶のペットボトルを手に立ち上がる。


「ごめん、ちょっと吸ってくる」

「あ、うん」


 倉橋の気遣うような視線を受けながら休憩室を出る。

 近頃は喫煙室もない職場もあるようだが、ここには小さいながらも残っていた。仕事をしていると妙に吸いたくなることがあり、理緒もたまに利用している。

 先客の社員に会釈だけして、喫煙室の端っこで壁によりかかる。

 煙草に火を点けて煙を吸い込み、吐き出す。頭がクリアになっていく感覚の中、流れる紫煙をなんとなく目で追う。

 習慣になっている喫煙は、理緒の気持ちを多少なりとも落ち着かせた。

 スマートフォンを確認すると、メッセージが来ていた。少し緊張しながら確認すると、香澄からだった。「これ美味しい!」とラーメンの画像が送られていて、どう返そうか指を遊ばせる。

 結局思いつかなくて、適当なスタンプを送っておく。そのままスマートフォンをしまおうとして、やっぱりと操作を続ける。

 美咲からのメッセージはない。というか、最後に送ってきたのは美咲だ。理緒が美咲を拒絶してからの唯一のメッセージだ。会って、ちゃんと話したいというものだ。

 すでに数日前になっているメッセージで、返信はしていないままだ。


『ゆあと同じ』


 どうしても頭によぎる言葉を振り払いたくても離れてくれない。美咲は謝りたい、というがそれもゆあと同じな気がしてしまう。

 倉橋は離れた方がいいと言った。離れるのなら、このまま無視するかブロックでもしてしまえばいい。それだけで事は済む。

 後から謝られても余計に辛くなるのは、ゆあの時にも思ったことだ。なにしろ、美咲は――


(……あれ?)


 美咲は寝ている理緒にキスをした。これ自体理緒には信じられない行為だが、美咲はどういうつもりだったのだろう。

 好きだからと美咲は言っていた。好きな相手に触れたい、というのは理緒もわかる。

 だからって寝てる間になんて、と怒りが湧いてくる。せめて、起きてる時にちゃんと言ってくれたら……


(……いやいや)


 軽く首を振る。そうしなかったからこうなっているのだ。

 両想いとわかったタイミングで発覚したのが最悪だった。激しい嫌悪感に任せて美咲を拒絶したが、あれでよかったのだろうか。

 浮かんでくる美咲の顔はあの天真爛漫な輝く笑顔と真っすぐな目だ。それを想うだけで、どうしても胸は高鳴る。

 ゆあを好きだった時と同じ感覚だ。一度芽生えた気持ちはそう簡単に消えてはくれない。あんなことをされても、まだ気持ちが冷めていないことに自分でも驚く。

 美咲をまだ好きなことは否定できない。会いたいといえば、そうかもしれないとも思う。メッセージに返信をすれば、それは叶うかもしれない。

 二の足を踏むのは、ゆあとのことがあったからだ。ゆあも最初は優しかった。同じことを繰り返したくないという気持ちは消えてなくなったりしない。

 どうすれば、美咲はゆあと違うと信じることができるのだろう。


(……返事、しようかな)


 スマートフォンに文章を打ち込んでいく。書いては消して、納得のいかなさにだんだんとイライラしてくる。

 こねくり回しているうちに完全に迷走した。ふと煙草がすっかり短くなっていることに気づいて、新しい煙草を取り出す。

 と、喫煙室のドアが開いて倉橋が入ってきた。


「や、葉山」

「……どしたの?」


 普通にびっくりして訊ねる。倉橋は煙草を吸わないと言っていたような。

 入れ違う形で社員が出ていき、喫煙室には理緒と倉橋の二人だけになった。

 それを確認するように目線で見送って、倉橋は理緒のすぐ隣で壁によりかかる。


「一人でも暇でさ」

「煙草の匂い嫌じゃないの?」

「ぜんぜん」

 

 どうでもよさそうに言い放って、理緒の指に挟まれている煙草に目をやる。


「親も吸ってたからかな。あんまり抵抗ないんだ。吸ってもいいかなって思えるぐらい」

「吸ってもいいことはないよ」

「でも葉山は吸ってるじゃん」

「あー……てか、それなりにお金飛ぶよ」

「……だったらいいかな」


 あっさりと翻す倉橋に苦笑する。理緒は喫煙者の中ではそこまで吸う方ではないと(自分では)思っているが、それでも出費としては意識せざるをえないものにはなっている。酒と煙草をやめればそれなりに浮くのはわかっているが、だからといってやめられるものでもない。他に使うあても思いつかないし。

 倉橋はお金を趣味に使いたいというようなことを言っていたし、喫煙するような理由もないだろう。

 そもそも健康的にリスクがあるものだが、それを喫煙者の理緒が言うのもな、と黙っておく。

 倉橋は理緒の反対の手に握られてるスマートフォンを見ていた。


「スマホでなんかしてたの? ゲームとか?」

「あー、いや……スマホのゲームはあんまりやんないし」

「そっか……ひょっとしてだけど、美咲からなんか来てた?」

「来てないよ」


 少しどきっとしながら否定する。なにもしていないのに、妙に後ろめたい気持ちになってしまう。


「てかさ、ブロックしたら?」

「え、なんで……」

「だってこれ以上つきまとわれたら困るよ」

「つきまとわれたらって」


 とっさに反発するのだが、言葉が続かない。

 気まずく目を逸らす理緒に倉橋は淡々と続ける。


「人を傷つけるようなやつに構ってやっても時間がもったいないよ。そういうやつはいつまでも食いついてくるんだから、こっちからきっぱりと遠ざけないと」

「……でも」

「あんなことされて、まだ好きなの?」


 焦れたように言ってくる倉橋の目は、怒りの陰が見えた。

 スマートフォンをぎゅっと握って、倉橋に言い返す。


「……好きだよ。悪いの?」

「悪くないよ。葉山はなにも悪くない。悪いのは全部美咲だよ、だから離れなきゃ」

「あたし、まだちゃんと話してないんだよ」


 繰り返しの倉橋の話を遮る。これ以上倉橋の話を聞いていたくなかった。このまま聞いていたら、何も言えなくなってしまう。

 どこかで覚えのあるような感覚に戸惑いながら、続ける。


「美咲がしたことは嫌だったけど、話をちゃんと聞いてない。あたしが一方的に遠ざけて終わるのは、よくないような気がするんだ」

「どうせロクなこと言わないよ。わかってるの? 葉山はわざわざ傷つきに行ってる」

「なんでそんなことわかるの?」

「葉山も言ってたからだよ。元カノの謝罪を聞いて、どうだった? 嫌な思いしたんじゃなかった?」


 ゆあの最後の謝罪は、理緒の心をぐちゃぐちゃに搔き乱した。いくつもの「どうして」が浮かんできて、とても悲しかった。

 あの時、理緒は完全にゆあを拒絶した。これ以上話は聞かないと、関係を完全に絶った。

 嫌な思いをしたのは確かだ。ゆあはスマートフォン越しとはいえ別れることを了承していたのだから、会う必要はなかったといえばなかった。なぜそうしたのかだって、いまだにはっきりとはしない。

 もしゆあの謝罪を聞かなかったら、どうなっていただろうか。想像しようとしても、うまく浮かんでこない。


「僕が嫌なのは、ああいうやつらの厚かましさだよ。謝ったらもう済んだと勘違いしてのうのうと生きてやがる。もっと申し訳なさそうに隅っこを歩いて生きていけばいいのに、当たり前の顔して……!」

「倉橋」


 倉橋の様子に不穏なものを感じて、おずおずと呼びかける。

 倉橋は血走ったような眼をしていた。背筋がぞくりとしながら、浮かんだ疑問を口にする。


「誰の話してるの……?」

「誰って……美咲だよ」


 明らかな誤魔化しだったが、あまりにも明らかだったので理緒も追及はできなかった。

 とにかく、と倉橋は微妙な調子で続けた。


「会わない方がいいよ。後悔する」

「会わない方が後悔する、かも」


 ぽつりと言い返すと、倉橋が眉をしかめた。

 顔を合わせず、床に視線を落とす。火の点いていない煙草をずっと指に挟んだままだ。喫煙者でない人がいると吸いにくいのもあるが。

 美咲の行為はともかくとして、そこまで悪く言われると面白くないと思ってしまう。倉橋は理緒を心配しているのだとしてもだ。

 会わないと後悔する、というのは口にして妙にすとんと腑に落ちた。結局のところ会いたいのかもしれない。その先のことは……


「会って思いっきり拒絶してやるって感じ、じゃないよね」

「違うよ。美咲の話を聞く」

「……わかった」


 小さく、しかし確かに倉橋のため息が聞こえた。


「じゃあ僕も一緒に行く」

「……え?」


 予想外すぎる言葉に、指からタバコが滑り落ちた。

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