葉山理緒と人見ゆあ 8
「ここが理緒のおうちかぁ」
「う、うん……」
部屋に入るなりはしゃぎ声をあげるゆあを見ながら、理緒は落ち着かない思いでいた。
家に入れたことがあるのは、香澄と沙耶の二人だけだ。その二人は家にいても落ち着かないなんてことはないし、むしろリラックスできる(香澄はうるさいが)。
ゆあが――恋人が家の中にいるというのは完全に初めてのことで、嫌でも緊張が高まる。自分の家なのに落ち着かない気持ちにさせられ、つい視線があちらこちらに飛んでしまう。
一方のゆあは気楽そうに部屋を眺めまわしていた。
「一人暮らしにしては結構広いね」
「そう、かな」
「うん。もう一人ぐらい住めそう。てかさ、なんで一人暮らししてるの?」
「……っ」
ゆあの質問に答えられず、身体が震える。
適当に答えればいいだけなのに、どうしても口を開くことができない。
部屋を観察していたゆあが、理緒の返事がないことを不審に思ったように振り返った。
「どしたの?」
「…………」
「家庭の事情みたいな感じ? ま、どこにでもあるよねそういうの」
簡単に言い切られて、一瞬思考が停止した。
どこにでもある? あんなことが?
頭の中に疑問符が湧いて出てきて、呆然とゆあを見つめる。
ゆあは軽く首をかしげて、微苦笑を浮かべると理緒を抱きしめてきた。
「えっ、ゆあ!?」
驚いて見上げる理緒の目に、ゆあの優しい微笑みが映った。
「大丈夫だよ。理緒にはわたしがいるから、なーんも心配しなくていい」
「……ゆあ」
ゆあの手がぽんぽんと理緒の頭を撫でる。ゆあが特別背が高いわけではないが、理緒が小柄なせいですっぽり包まれているような感覚だ。
照れが限界にきて、ゆあの顔を見ることができなくなった。うつむいてゆあの胸のあたりに顔を埋める格好になる。
「好きだよ、理緒」
耳元で囁かれて、背筋がぞくりとする。
よしよし、と理緒の背中を叩いてゆあが離れた。
「二人きりだとこういうこともできるね。毎日来ようかな」
「ま、毎日……」
「嫌なの?」
「嫌っていうか……」
ゆあの口ぶりは本気なのか冗談なのかあまりわからない。
戸惑う理緒を見て愉快そうにしているあたり、やっぱりからかわれているだけなのかもしれない。
ゆあはソファに座ると、隣のスペースをぽんと叩いた。
恐る恐るわずかな距離を置いて理緒が腰かけると、すぐさまにその距離を潰してゆあが密着してきた。
「二人きりなんだから、遠慮しないでよ」
「二人でも恥ずかしいんだけど……」
「ふうん? 理緒って誰かと付き合うの初めて?」
「そ、そうだよ」
付き合うというか、人を好きになったのもおそらくゆあが初めてだ。
そこまで言うのはさらに恥ずかしかったので口にはしなかったが。
理緒の返事に満足したようにゆあは深く微笑んだ。
「わたしも、理緒が初めて」
「……っ」
さきほどより強い照れが来て、完全にゆあの顔を見れなくなった。
初めて、という言葉が嬉しかったというわけではない。そのこと自体は、理緒にとってあまり関心のない部分だった。
ただ、ゆあがとても嬉しそうにしているのが胸を打った。
ゆあが喜んで笑顔になっていることが、恥ずかしくも嬉しかった。
「……えっと、なんか、する?」
「なんかって?」
照れを振り払うように発言するが、あっさり訊き返された。
なんとなく周りを見渡す。そんなに物がある部屋というわけでもなく、なにかするといったところで選択肢なんてそんなにはない。
「ゲ、ゲームとか」
「理緒、ゲームするの?」
「う、うん」
こくこくと頷く。まだ照れが残っていて、ゆあの顔は見れないままだが。
ゆあはわずかに考えるそぶりを見せたが、すぐに小さく首を振った。
「今日はいいや。やったことないし」
「そ、っか……」
拒否されてしまい、それ以上に何かを提案することもできない。
無言になってゆあのことを見れないままの理緒の耳に、くすくすと笑い声が聞こえてくる。
そっと目線だけを向けると、口元を押さえたゆあがぷるぷると震えていた。
「ゲームって……」
「ご、ごめん。変なこと言った?」
「そういうわけじゃないけど。理緒って良い子だね」
「……そんなことないと思うよ」
「ううん。理緒は良い子だよ。純真で、悪いことなんかしたことなさそうで」
ゆあの断言するような語り口に、かすかに胸がちくりとした。
理緒は自分が良い子などと思ったことはない。反対に悪い子であるという自覚が特別あるわけでもない。真っ先に浮かぶのは飲酒と喫煙だが、始めはともかく今では罪悪感などはほとんど感じない。
自分ではないイメージを押し付けられているような気がした。ゆあのからかいだとしても、微妙な気持ちになってしまう。
だからか、理緒の中に反抗心のようなものが芽生えてきた。その思いのまま、ぽつりと告げる。
「悪いこと、したことあるよ」
「なに?」
「お酒と煙草、やってる」
しん、と部屋に静寂が訪れた。
勢い任せの発言に理緒が失敗したと青ざめるのと同時に、ゆあが弾かれたように笑いだした。
「あっははははははは!! に、似合わな……!」
腹を抱えて笑い続けるゆあに、こっそり胸をなでおろす。どうやら冗談だと思ったみたいだ。
それでも、このままでいればいつかは発覚してしまうかもしれない。その時にゆあはどういう反応をするのだろうか。
こんな不安を感じるのも、初めてだった。友人たちには自然とバレたが、自分から話したわけでもなくそのあたりのことは気に留めていなかったのだ。いや「お酒ぐらいみんな飲んでるよ」と言った香澄とそれを鵜吞みにした自分が悪かったのだが。理緒にとっての高校生活最初の友達である香澄が酒を飲んでいたので感覚が変になってしまった。とこっそり香澄のせいにしておく。
ともあれ、ゆあに対してどうするのか……少なくとも、今は言えそうにはない。
しばらくしてようやく笑いやんだゆあは(目に涙まで浮かんでいた)、右手を挙げて手のひらをこちらに向けてきた。
いぶかしく思いながら同じように右手を上げると、その手をぎゅっと握られた。
「手もちっちゃいね。理緒」
顔を近づけて、ゆあがささやく。ゆあの髪が揺れ、甘い匂いがかすかに鼻をついた。
「やっぱり好きだな」
「……あたしも」
「うれしい」
微笑むと、ゆあの顔がどんどんと近づいてきた。理緒が後ろに下がろうとすると、空いていた腕を背中に回されて動けなくなる。
さすがにゆあが何をしようとしているかを察して、自身の唇を手のひらで覆った。
「……ダメなの? 付き合ってるんだし」
「まだ二日目……」
「だけどさ、したいんだもん」
「……ごめん、まだ」
拗ねるように唇を尖らせるゆあに、理緒は一つの感情に支配されていた。そんなことを感じてはいけないと思っても、どうしても理緒の内心を満たしてしまう。
(――怖い)
「じゃあ、次にね」
顔を離して、ゆあが仕方ないという風にうめく。
「良い子の理緒にはまだちょっと早かったみたいだから。今日はこれで我慢する」
繋いだままの手をにぎにぎとして、ゆあが柔らかく微笑む。
好きな表情だったが、理緒の内心はそれどころではなかった。
怖い、という気持ちをなんとか抑え込んで、ゆあを真似て笑い返した。
ちゃんとできてないのは、自分でもわかっていた。
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