葉山理緒と人見ゆあ 9
「あのさ……彼女、できた」
「ふうん。あ、沙耶? そっちのそれとって……沙耶?」
「…………」
理緒の報告に、沙耶は顔面を硬直させて香澄の袖を引っ張った。
香澄は一度理緒の顔を見て、沙耶の顔に視線を戻した。ふむ、と考えるようにして、
「彼女!?」
「……わざとやってない?」
半眼でツッコみを入れるのだが、香澄は聞こえていないようにまた理緒と沙耶を交互に見た。
「彼女!?」
「……いや、まあ、うん、そう」
面倒くさくなって適当に応じる。緊張しながら報告したのに、一瞬でその緊張を壊されてしまった。
恋人ができたら報告しあおうなんて決めごとはないが、話しておこうと思いこうして報告した。それでも数日はどうやって言おうか悩んで遅れてしまった。
沙耶は明らかに頬をひきつらせていて、香澄は少し困ったようにしている。
なぜだか微妙な空気になった室内に落ち着かずに、「一服」とベランダに逃げ込んだ。
ベランダに入り、後ろ手に窓を閉める。煙草を取り出したものの、吸う気になれずに咥えたままライターを持った手をだらりと落とす。
「吸わないのー?」
「あー……」
ベランダに入ってきた香澄にスペースを開ける。咥えたままの煙草を手にとって、どうともせずに横の香澄を見る。
「沙耶は?」
「トイレだって」
「そっか……」
頭を掻いて、怪訝にうめく。
「あたしに彼女ができたのって変かな」
「どうして?」
「なんか微妙な反応だったから」
そう言っても、自分がどんな反応を期待したのかと問われるとよくはわからない。祝福なのか、それとも別の何かなのか。
彼女ができたのは初めてで、この仲間内でそんな報告をしたのも理緒が初めてだ。もしかしたら何か変なことをしてしまったのかとも思ってしまう。
香澄は不思議そうに理緒を見つめて言った。
「微妙なのは理緒の方だよ」
「あたし?」
「彼女できたってわりにはしゃいでる感じじゃないから」
「……そうかな」
「まあ、はしゃぐ理緒っていうのもあんまり想像つかないけどさ」
香澄は部屋の中に視線を向けて、ぼやくように続ける。
「図書室の人? ゆあだっけ」
「そ。付き合うことになった」
「良かったね」
「……ありがと」
一応礼を口にして、香澄の横顔を見つめる。
普段から何を考えているのかよくわからない友人だが、この時はいつも以上によくわからない。
それを言うのなら、自分自身のこともわかっていない。香澄の指摘は実のところ的を射ており、理緒もはしゃいでいるとは言い切れない。ゆあと一緒にいると強い照れと楽しさを感じるのだが、離れると色々と不安を感じてしまう。
「理緒が一番に彼女作るとは思わなかったな」
「……香澄が最初かなとはあたしも思ってたよ。てかいないわけ?」
「いない。アタシは……ピンとくる人がいないから」
香澄は言いづらそうに答えて、理緒に向かってにへらと笑った。
「理緒が好きな人と付き合えてるのならそれでいいんだけどさ」
「なんか含みある言い方」
「そんなことないけど……それよりさ、えっちできるの?」
突然の言葉に、理緒の身体と頭が硬直した。
手の中からライターが零れ落ちてかつんと音を立てても、理緒はしばらく動けないままでいた。
香澄がライターを拾い上げて渡されると、ぎこちない動きで受け取った。
「変な、こと。言わないでよ」
「ごめん。でも、付き合ったらするもんじゃないの?」
「しなきゃだめ?」
「だめってことないけど、まだしてないんだ」
「………………付き合ったばかりなんだけど」
「ん? んー、あ、そうか。てか、話したの?」
「……まだ」
否定してから、ゆるく首を振る。
「どう話せばいいのか、わかんない」
「アタシや沙耶にしたようにすればいいんじゃないの?」
「…………」
「彼女ってなると、やっぱり違う?」
「……違うかな」
うっそりと認める。そのことを考えると、際限なく不安が膨らんでしまう。
仲の良い友人と、彼女であるゆあとでは様々なことが違う。その違いはいまだ手探りで探っている状態であり、きっとこれから少しずつわかっていけるものではないかと淡い期待を抱いている。
同時に感じるのは怖さだ。ゆあに拒絶されるのではないかという恐怖が、常に頭の片隅にうごめいている。
実際、この恐怖は香澄や沙耶にも感じていたことがある。友人になった当初は、よくそんなことを思って勝手に不安を感じていた。時間が経ち、そんな恐怖は薄らぎ今や頭によぎることもないが。
だからこれは今だけのものだ。そう思いたい理性とは裏腹に感情はささくれたっている。
内心でこっそり溜息を吐く。
それが聞こえたかのように、香澄が横目を向けてきた。
「アタシ、ちゃんと付き合ったことって多分ないけどさ……理緒は楽しくないの?」
「どうして?」
「ずっと難しい顔してる。もっと嬉しそうにはしゃぐもんだと思ってたけど」
「……嬉しくないわけないよ」
好きだと思える人に好きだと言われて、はしゃいでいないわけはない。
一緒にいたいと、あの笑顔を独り占めしたいと、そんなことを思ってしまっているから。
「あ」
「なに?」
「今の顔良かった」
「なにが」
「好きな人のこと考えてる顔」
「…………」
香澄の指摘は無視して、心持ちそっぽを向く。
部屋の中をなんとなく眺める。トイレに行ったらしい沙耶はまだ戻ってはいないようだ。どちらかといえば落ち着いている沙耶と話をしたかったが。
部屋の中に戻ろうと思ったが、香澄が微妙にふさぐ形で立っているために戻ることができない。邪魔をしているつもりはないだろうが、まあいいかと手すりに寄りかかる。
手の中の煙草を仕舞い、香澄を見上げる。香澄はにっこり笑って手など振ってきたので、適当に振り返した。
「……キスされそうになってさ」
「うん」
「すごく怖かった」
「そっか」
香澄の返事は短かったが、何を言おうか考え込んでいるのが表情からはくみ取れた。
「理緒は、したくないの?」
「わかんない。したくないっていうのも多分違うんだけど……どうしても怖くて」
「やっぱり理緒のこと話した方がいいんじゃないかな」
「…………」
「アタシも沙耶も、理緒のおかげで仲良くなったし。理緒が真面目に話してくれてるのってアタシはすごくうれしかったよ。だから、理緒がそうすれば通じるよ」
「……そうかな」
香澄が言うほど楽観的には考えられずにうめく。
「うん、別に全部話せなくても、理緒が思ってること言えばいいんじゃない?」
「……そうだね」
少しだけ前向きに頷いて、立ち上がる。
「そうしてみるよ。言わなきゃ、伝わんないよね」
思い返せば、ゆあに対してはあまり考えてることなど話していなかったかもしれない。香澄の言う通り、香澄や沙耶にはそういった遠慮は薄いのだが、ゆあだけはどうにも勝手が違ってしまっている。
キスされそうになった時も、言えば止まってくれたのだから、言えばきっと通じるはずだ。
「いろんなことがさ、うまくいけばいいよね」
ぽつりとそんなことを言って、香澄が部屋の中に戻っていった。あまり香澄らしくない、微妙なトーンだった。
なんとなく部屋に戻れずにいる理緒の視界で、香澄がトイレの方に歩いていくのが見える。沙耶はまだ戻ってきてないが。
いろんなことがうまくいけばいい。
高校生活も二年目に入り、親友もでき、一人暮らしにも慣れ安定した日常を送れている。最近では恋人もできた。一般的に言えば、いろんなことがうまくいっている状態と言えるはずだ。
それなのに不安が心の中にはあるのは、どうしてなのだろうか。
胸の内にちくちくした何かを感じて、理緒は思いきり天を仰いだ。
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