葉山理緒と九重美咲 14
「美咲」
名前を呼ぶと、美咲ははいと笑った。
制服を着ているということは学校の帰りだろう。前回会った時とはかなり印象が違う気がした。メイクも控えめで、リボンもつけてはいない。真っすぐな目だけは、変わらずに理緒をとらえている。
「理緒さんかなって思ったんですけど、やっぱりでした」
両手を合わせて笑う美咲に、なんとなしに苦笑する。
「よくわかったね、あたしだって」
「わかりましたよ?」
人通りの多い道で、一際背の低い理緒をよく見つけたなと思ったのだが。
なんてことなく応える美咲に、そんなこといってもしょうがないよなと頭を掻く。
「学校帰り?」
「はい、前理緒さんと行った喫茶店に行ってて。帰ろうとしたら理緒さんが見えたので」
「ふうん。美咲は地下鉄?」
「はい……」
不思議そうに首肯する美咲に、変なことを訊いたと自覚した。家が近所なのだから、最寄り駅だって近くのはずだ。
「それじゃ、一緒に帰ろうか」
「はい!」
誤魔化すように指を振って提案すると、美咲は元気よく頷いた。
美咲と横に並んで歩き出す。すぐに階段を下りて、地下鉄駅直通の地下街を通る。地上よりは人が密集していて、熱も少しこもっているように感じられた。
「理緒さんは買い物ですか?」
「うん。ちょっと服を」
見せつけるように袋を軽く持ち上げる。
美咲は面白がるような目つきで覗き込んできた。
「どんな服を買ったんですか?」
「あー……今度着ていくからその時にね」
「じゃあ、楽しみにしておきます」
美咲はにこにこしてて機嫌が良さそうだ。あの喫茶店はお気に入りと言っていたし、楽しんだのだろう。
「美咲の制服、初めて見た」
「そうですよね。シンプルですけど、可愛くないですか?」
美咲の制服はわかりやすいセーラー服だ。理緒の高校はブレザーだったので、新鮮さはある。
理緒に見せるかのように制服の裾をつまんで見せる美咲を、手つきでやめさせる。いろいろな意味で目立ってしまう。行為もだが、美咲は美人なので余計に目立つし周囲の視線を感じる気がする。
美咲は天然っぽいところもありそうだし、そういった意識は鈍いのかなと訝しる気持ちで見上げる。当の美咲はわかってるのかどうかという表情で小首をかしげていた。
「高校生なんだもんね」
「はい、JKになったばっかりです」
どこか胸を張るように美咲。どちらかといえば美咲の顔よりは胸の方が目線が合うため、気恥ずかしくて心持ち目を逸らす。近くで見ると、美咲の胸もかなり目立って見えた。
だからというわけじゃなかったが、美咲に感じたことを告げる。
「喫茶店行った時は大人っぽく見えたよ。同い年かと思ったもん」
「そ、そうですか?」
美咲はまんざらでもなさそうにして、ややあって「あれ?」と首をひねった。
「え、今日はそうは見えないってことですか?」
「さあ、どうだろうね」
「制服だからですよね?」
「どうだろうね」
からかわれてるのがわかっていないわけではないだろうが、美咲は慌てて食い下がってくる。
必死な反応がおかしくて、つい笑ってしまう。
と、美咲が足を止めていた。どうしたんだろうと振り返ると、美咲は顔を赤くしてぼーっとしている。
「美咲?」
「え、あ、なんでもないです! 大丈夫です!」
「そ、そう……?」
ぱたぱたと理緒の横に追いついてきた美咲が、半歩ほど先を歩いていく。
よくわからなかったが、嫌な感じはしないし本人が大丈夫というならいいのだろうと気にしないことにした。
改札を抜けて地下鉄のホームに到着した。電光掲示板を見るとまだ地下鉄は来そうにないみたいなので、少し待つことになりそうだ。
待機列を横に並ぶ。美咲が急に喋らなくなってしまったので、何か言ったほうがいいのかなと考える。
「ユキちゃんは元気?」
「はい。元気ですよ。昨日また脱走しそうになってたぐらいで」
「猫ってそういうものなの?」
「ほかの猫は知らないので……どうなんでしょうね」
理緒も実際に触れた猫はユキしかいない。猫が特別好きというわけではないし、ユキになつかれたのは困惑の方が大きかったが。それでも、感じたことはあった。
「ユキちゃん、可愛いよね」
「はい、とっても。ユキは理緒さんを気に入ってましたし、きっと会いたがってますよ」
「そうかな……」
猫がそんなこと言ったわけではないでしょとはさすがに言わず曖昧に応じる。
本当に気に入られてるとすればどうにも妙な心地だ。動物との接し方もわからないし、実際に会ったらきっと困ってしまうだろう。
「そのうちね」
「はい、楽しみにしてます」
「ユキちゃんが?」
からかいまじりに訊き返すのだが、美咲はきょとんと「え?」とつぶやいて何かに気づいたように猛烈な勢いで頷いた。
「そうです、ユキがです! 理緒さんが来たら喜んで飛びついてきますよ!」
「それは本当に困るな……」
まるで犬のようだ、とこれもイメージの想像が浮かんでくる。いくらなんでもそんなはずがないだろうと美咲を見ると、真っすぐなはずの目がいやに泳いでいた。
何か変なことを言ってしまったかなと会話を振り返る。特に何かあったような心当たりはないし、ないことがむしろ悪かったような気もする。
前に進むとは言ったけれど、こんなところからつまずいてしまっていては先が思いやられる。
考えれば、今までは相手から引っ張ってもらっていた。自分からどうにかという経験は、理緒にはない。
これがどこに行きつくのかはわからないけれど、恋愛であれどうあれ、理緒から進んでいくべきだ。
「あのさ、美咲……」
声をかけた瞬間、地下鉄がホームに到着した。
その音が激しくてちゃんと聞こえなかったらしい美咲がきょとんと首を傾げている。
地下鉄が止まると乗り込むので話す間もなかった。空いた席に並んで座ると、美咲が言葉で訊いてきた。
「今何か言いました?」
「あー、ううん……後でね」
気が削がれてしまって、言い出しにくくなった。地下鉄の中だと迷惑になりそうだし会話もしづらい。
美咲もとりあえずは頷いてくれたので、安心して座ったまま黙り込む。
駅までは10分ほどだったが、やけに長く感じられた。
地下鉄を下りると、すでになんだか疲れていた。紙袋も車内に忘れかけて慌てて取りに行ったぐらいだ。
改札を抜けて駅を出ると、妙な安心感があった。帰ってきたな、とそんな感慨に肩の力が抜けた。
歩き出して、つとめてなんでもない口調を意識して口を開く。
「美咲、次の土日空いてる?」
「は、はい。空いてます!」
「じゃあそこで、デ……出かけようよ」
「はい!」
勢い込む美咲に苦笑を隠して続ける。
「どこがいいとかある?」
「うーん……」
「今ないなら、あとで決めようか。連絡するよ」
「わかりました」
美咲は満面の笑みで了承する。
なんとなく気になって、美咲の目を覗くようにして訊ねる。
「なにかいいことあった?」
「え、どうしてですか?」
「いや、なんとなくだけど」
何回か会って明るい子だとは思っていたけど、今日はどこか様子が変な気がした。明るすぎるというか、挙動不審というか。
美咲はまた挙動不審気味に目を泳がせた。明後日の方向に視線を固定させて、ぼそぼそと答える。
「内緒です」
「……そう」
内緒ということは、なにかはあったということなのだろうか。そう言われると追及するわけにもいかないので、適当に引き下がる。
十字路に行き着き、理緒は右の方向を指さした。
「あたし、こっちだから」
「わかりました。じゃあ、また」
「うん、連絡するから」
手を振り合って別れる。一人になって、ふぅと大きく息をつく。
なんだかとても疲れた。けれど、そんなに悪くない疲労に感じられるのは何故だろうか。
美咲を誘うことができたのはよかった。また会おうという約束はしていたが、日時などの具体的な話は全くしていなかった。
「次の土日のどっちか、か」
口にすると、本当に目の前のことだ。今度こど、和やかに楽しく過ごせればと思う。
それに。
(……楽しみだな)
小さく本音を認めて、微笑をこぼす。
誘うことができたという高揚感が、理緒の気持ちを軽くしていた。
☆☆☆
「ああ、もう……」
理緒と別れて、無意識に早足になりながら熱を持った頬をおさえてうめく。
理緒を見つけて、嬉しくなって何も考えずに声をかけてしまった。そこまではいい。多分。
理緒と話していると、面白いぐらい(面白くない)調子が狂ってしまった。全然普通に話すことができずに、端から見ると怪しい人になっていたのではないかということが気がかりだった。
綾乃に指摘されたことは、まだよくわかっていない。初恋もまだの美咲は、好きというのがどういうものなのかがわからない。むしろ指摘されたせいで、変に意識してしまっている。これは綾乃のせいだと逆恨みすらした。
一番驚いたのは、理緒のふとした笑顔を見れてしまったことだ。
横顔で一瞬見えただけだが、あまりにもキレイで硬直してしまった。幻のような理緒の笑顔が、脳裏に焼き付いている。
笑ってほしいという目標はすでに達成されてしまったのだが、美咲はすでに改めていた。
(もっと、見たい)
ただ欲張っただけだが、今はもうそれだけしか考えられなかった。
もっと、理緒に笑ってほしくて。
それを、見たくて。
コントロールできない感情を胸の内に抱いて家路を歩く。
「次の土日……」
理緒に会えるその日が、既にどうしようもないぐらい楽しみだった。
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