葉山理緒と九重美咲 13
理緒はひどく難しい顔をして、それを睨みつけていた。
どれだけ見つめても、わからないということがわかるだけだ。なけなしの知識と言える知識すら持たないまま、この難問に挑戦しなければいけない。
手がかりもとっかかりも何もない。ゲームをするように単純にいかない問題に、理緒は諦めかかっていた。
「それにするの?」
呆れを含んだような問いかけに、振り返らないままうなり声を返す。
「考えれば考えるほどわからなくなってきた。そもそも服ってなんでこんなに高いの?」
「うーん……」
相手はコメントに困ったようにして、理緒の隣に並んだ。理緒はその人物に、助けを求める視線を投げる。
沙耶は明るい金髪に青のインナカラーを入れていて、小顔で大人しそうな顔立ちながらはっきりと派手に見える。服装は変哲もない普通のものなのだが(といっても理緒は持ってないし知らないものだ)、沙耶が着ていると洒落て見えてしまう。
沙耶も香澄と同じく高校生の時からの親友だ。高校生活は主にこの三人でつるんでいて、色んな思い出を共有している。
沙耶は高校を卒業した後、理緒と香澄とは違い専門学校に進んだ。そこを卒業したこの春からはネイリストとして働いている。
働き始めで忙しいようでなかなか最近は時間を合わせて会うことはできなくなっていたが、今日は出勤が遅いということで付き合ってもらっている。 学食で次は何を着ていくのかを訊いてきた香澄が、あのワンピースじゃなければ普段着しかないと言った理緒に勝手に沙耶と話を進めたのだったが。
「服はほんとによくわかんないよ」
「私が決めてもいいんだけどね。それだと理緒ちゃんのためにならないしなぁ」
頭を掻いて嘆息する理緒に、沙耶は困ったように返す。
札幌の中心部にある商業ビルに来ていた。夕方時に近い時間帯ということもあり、平日にも関わらず客の姿でにぎわっている。制服姿の学生もちらほらいるのは、沙耶が言うにはリーズナブルな店だからそうだが(それでも理緒には高く感じる)。
そもそもさ、と沙耶は理緒を覗き込んだ。
「香澄ちゃんからはおしゃれさせてって言われただけだけど、具体的には?」
「人と会うから」
「ふうん、友達?」
「そんなとこ」
短く応答する理緒に、沙耶は疑問そうな眼差しを向けてくる。
沙耶に隠し事をするつもりはないが、うまく説明できる気もしなかった。かといって答えないのもせっかく付き合ってくれている沙耶に申し訳ない。
目を伏せて、言い訳でもするように口を開く。
「……最近知り合った子で、今度また出かけるんだけどそれ用」
「珍しいね、理緒ちゃんが服のこと気にするなんて……」
言いながら、沙耶は少しずつ目を見開いていく。
「ひょっとして……」
「ち、違うから! まだそういうんじゃなくて!」
「まだ」
言葉尻をとらえられて、ぶんぶんとかぶりを振る。
沙耶はくすくすとおかしそうに笑って、そうなんだと頷いた。
「理緒ちゃんにも春が来たね」
「だから、そういうんじゃ……」
「でも理緒ちゃんが服をちゃんとしようとするのって、誰か相手がいる時だよね」
「いや、あたしだって大人になってるから。そういうのもちゃんとするってだけ」
理緒の反論は、沙耶の温かな眼差しに迎えられてしぼんでいった。
深く息を吐いて、ぼそぼそと続ける。
「マジで、そういうんじゃないから。ただ……」
「うんうん、大丈夫。わかってるよ」
明らかに面白がっている沙耶に半眼を向ける。それでも沙耶の笑顔の牙城は崩れなかったが。
もういいやと投げ出して、用件を片付けにかかる。
「どういうのを選べばいいのか、さっぱりなんだよね」
「理緒ちゃんが着たいのがあれば、そこから考えられるんだけど」
「そういうのがないから困ってるんだよ」
「でもちゃんとしたのって思ったんだから、何かイメージはあるんじゃないの?」
「あー……どうだろ」
沙耶を見やる。こんな風に、とは想像したこともない。
香澄も理緒ほどではないがファッションにはそこまで興味はないらしい。しかし理緒の目からすればしっかりしていると思うこともある。こうなると自分の問題なのだなと思わされるが、どうすればいいのかはさっぱりだ。
「別にかっこつけなくてもいいんだよ? 伝わればいいの」
「伝えるって、何を?」
「今日はあなたと会うためにおめかししてますって」
「……なんか恥ずかしい」
「わからなくはないけど、理緒ちゃんだって相手が適当だったらデートは特にどうでもよかったのかなって気持ちにならない?」
「うーん……」
正直あまりピンとこない感覚ではあったが。思い出すものはあった。
前回の美咲は、そういえばかなりめかしていた。家に行った時の普段着と比べれば明らかだ。それに美容院に行ったとも言っていた。その時はたまたま行っただけなのだと思ったのだけど、もしかしたら理緒と会うからだったのだろうか。完全に自意識過剰だろうが、なんだろう、嬉しい、かもしれない。
理緒が着飾ったところで美咲が喜ぶのかはわからないが、何かはすべきではないかという気持ちもある。
前に進みたいとは言ったが、こういうことなのだろうか。
「だとしたら、普段のあたしにも思うところある?」
「ないよ?」
沙耶のにっこり顔に、どこか不安なものを感じる。
沙耶は我慢しきれなかったような笑い声をあげた。
「ほんとにね。そもそも私たちは友達だし、気合入れる間柄ではないと思うよ」
「それならいいけど……考えたら前も沙耶を頼ってるよね……成長しないな、あたし」
「頼ってもらえるのは嬉しいよ? 向き不向きはあるしね。それに、成長しないなんてことないよ」
「うん?」
「理緒ちゃんって服に興味ないけど、それでも今適当に決めるんじゃなくて真剣に考えてるじゃん。相手がどんな人かはわからないけど、嬉しいんじゃないかな」
「そんなもんかな……」
うめいて、目の前の上着を手に取ってみる。これが自分に合うのか、気に入るのか、そういうことも何もわからない。
本気で向いていないのだろうと認める。それで放置してきたツケが今来ているのだろうが。
それからもうんうんとうなってどうにかいくつか候補を決めた。試着をしてもさっぱりわからず、沙耶のアドバイスをいくつか受けながらようやく購入する服を決めることができた。
「これで大丈夫かな……」
「可愛いと思うよ。私が保証する」
「そう言われれると心強いけど」
沙耶の力強い言葉を受けると、安心感がある。試着していても、似合ってるかがどうしてもわからなかった。
会計を終えると、それなりに時間が経っていた。
「時間大丈夫?」
「大丈夫。なんならちょっと空いてるぐらい」
「それじゃ飲みにでも行く?」
「これから仕事なんだけど……」
苦笑いする沙耶に、じゃあ解散だねということで別れることにする。
「今日はありがとね沙耶。今度は飲みに行こうよ」
「うん、なんかあったらまた言ってね」
商業ビルの入口で手を振って別れる。
手に持った紙袋の重みが新鮮で、つい覗き込む。服を買う習慣がない、というか食品と本と煙草ぐらいしか普段は買わず紙袋を手にすることすらほとんどないのでなんだか落ち着かない気持ちになる。
理緒としても用事があるわけでもない。さっさと家に帰ろうか本屋にでも寄っていくか考えながら歩く。通りにも人が多く、なんとなくうんざりしてしまう。
そういえば、美咲と行った喫茶店が近い。よく足を運ぶと言っていたが、もしかしたら今日もいるのだろうか。
(だったら何)
自分自身に呆れたつぶやきを内心でもらす。
頭を掻いて、やっぱりすぐに帰ろうと地下鉄駅を目指す。
「理緒さん」
「え?」
不意に自分の名前が聞こえて、足を止めて振り返る。
「やっぱり理緒さんだ」
制服姿の美咲が、嬉しそうに顔をほころばせていた。
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