葉山理緒と九重美咲 11
「りーおー」
大学の廊下を歩いていると、正面から香澄が大きく手を振ってきた。
食堂に向かう途中の足を止めて、小さくて手を振り返す。
香澄はとてとてと小走りで寄ってきた。
「講義じゃなかったっけ、サボり?」
「休講になったから食堂行こうとしてたの」
「じゃあアタシも一緒に行く!」
「はいはい、じゃあ行こうか」
「あとデートの話聞かせて!」
「…………」
要求はとりあえず流して、香澄と並んで歩きだす。
廊下を歩いていると、時折すれ違う生徒が香澄と挨拶しあうのを何度か見ることになった。香澄はその度ににこやかに応対して冗談を飛ばしたりして笑っていた。
香澄はサークルもいくつか兼部していて、顔が広く友達もやたらと多い。陰キャで友達がほとんどいない理緒とは正反対の性質を持っていて、どうして自分の友達をやれているのか疑問に思うことがないわけでもない。
こういう光景は香澄と大学内を歩いているとよく発生するのだが、香澄に普通の友達が増えていることに安心と焦りを感じることがある。明るさは変わらないまま良い方向に進んでいっているように見える香澄と比べると、自分は何も進めていないのではないと思ってしまう。周囲の人間に置いて行かれているような感覚は、被害妄想だとはわかっているのだが。
どうすれば、歩みに追いつけるのだろうか。
「理緒は何食べるの?」
香澄は何故だかふらふらを揺れて歩きながら訊いてくる。
「あーどうしようかな……うどんにでもしようかな。香澄は?」
「日替わりにするよ。シェアしようよシェア!」
「別にいいけど……今日の日替わりなんだろね」
話しているうちに食堂に着いた。休講のお陰でお昼時よりは前に来れたので、あまり利用客の姿もなかった。並ばずに済みそうで、少し安心した。
食券を買い、注文したメニューを受け取って窓際の席に着く。窓からはテニスコートが見えるのだが、さすがにこの時間は無人だった。
日替わりはエビフライ定食だった。エビフライを分けてもらい、代わりにうどんを食べさせる。理緒はどうにもこのシェアとかいうものに馴染めない。嫌というわけでもないので、やりたがる香澄を拒否はしないのだが。
「七味入れていい?」
「ダメ。あんた入れすぎるでしょ」
七味を香澄の手が届かない位置に動かしながら拒否する。
香澄はそれでも気にした風もなくうどんを一口すすった。うーんと満足そうに声をあげて、器を返してきた。
「それで、デートはどうだったの?」
出し抜けに話を変えた香澄のにやにや顔を見ずに窓の向こうを見る。ガラスに映った自分の気まずそうな顔を見ながら答えた。
「……また会いましょうってことになったよ」
「じゃあ上手くいったんだ!」
「上手くいったっていうのもなんか違うんだけど……」
どう説明しようかと口ごもる。同時に思い出すことがあった。
「そういえば、あのワンピース着ていったよ。いくらだったの?」
「気に入った?」
「返してもあんたは着れないでしょ。払うから言ってよ」
「うんにゃ、あげるよ。誕プレってことでもらっといて」
「まあ、そういうなら……」
理緒の誕生日は七月七日で、今は五月なのだがそれぐらいは誤差だろうと受け取ることにする。ちなみに香澄は七月八日が誕生日で、理緒とは一日違いだ。
あのワンピースをまた袖を通す日が来るかというと、微妙なところではあるのだが。
「で、美咲ちゃんとは良い感じなの?」
「……美咲とは」
どう話しても自分の恥に触れることになるのだが、香澄の前では取り繕ってもしょうがないかと諦めた。
多少オブラートに包みながら、美咲とのデートの一部始終を話した。
香澄はふんふんと頷きながら聞いている。話しながら自分の短気さに呆れてしまうが、香澄はそんな素振りもなく感想を述べた。
「良い感じだね!」
「どこが……かなりやらかしてるってのはあたしだってわかってるよ。それでもあたしに構う理由がわかんないんだよね」
「理緒のこと好きなんじゃないの?」
「……単純に言うよね」
「単純だよ。アタシは理緒のこと好きだから親友やってんだし」
あっさりと言い返されて、鼻っ面を叩かれた心地で黙り込む。
香澄の言う好きは友情のそれだ。好きという言葉に引っ張られた思考をしていた自分に気づき、内心で反省する。恋愛の意味だけで関わることを考える必要はない。
かといって、それはそれでどうしてだかわからないのだが。
「でも、理緒だって美咲ちゃんのこと好きでしょ?」
「どうしてさ」
「また会おうって言われてオッケーしたのってそういうことじゃん」
「それは……」
そういうことになる、のだろうか。やっぱり単純に言いすぎている気がして、どうにもしっくり来ない。しかし、理緒自身にもどうして美咲の誘いを承諾したのか、はっきりとした理由を説明はできない。
美咲は話しやすいと思う。美咲の技術だとかそういうのではなく、相性が合うと言うのか。
けれど、会って話して、次はちゃんとできるかというとまったく自信がない。
「……そもそも、何を話す気なんだろう」
「エロい話?」
「するわけねえだろ」
半眼で睨んでやると、香澄はけたけたと笑った。
まったく、と話を仕切り直す。
「あんな風に踏み込まれるって思ってなかったからついカッとなっちゃったけど、またやられたらキツいよ」
「嫌だって言えばいいじゃん」
「言ったよ」
「じゃあ大丈夫じゃない? それでも言ってくるなら今度こそ帰っちゃえばいいよ」
「そんな無責任な……」
うめく理緒に、そもそもさ、と香澄は箸を指してきた。
「美咲ちゃんにこだわれって言ってるわけじゃないよ。理緒が人に興味持つの珍しいから、会って話すのはいいことだって言ってるだけで」
「…………」
「世の中ロクでもないやつもいっぱいいるし、良い人もいっぱいいるし、出会えるかは運だもん」
「……そんなもんかな」
「そんなもんだよ。重く考えずに興味があったら話してみて、ダメなら撤退。良かったら付き合いを続ける。そんだけ」
「撤退って……」
「それは大事だよ。理緒はわかってると思うけど」
突き放すような言い方に、かすかに胸が痛む。
「わかってるよ」
「それならいいけど。なんなら美咲ちゃんと話してるの中継したっていいよ?」
「するわけねえだろ」
やり取りにひと段落つけて、はぁと一息つく。
少しの躊躇いを持って、隣の親友に内心を吐露する。
「なんていうかさ……あたしも前に進みたいんだよね」
「真面目な話?」
「あたしはいつも真面目だ」
言い返すと微妙な眼差しで見返された。軽くイラっとはしたが、無視して続ける。
「あんたも、沙耶も、高校の時からすごく変わったじゃない? それに比べたら、あたしはずっと進めてないんじゃないかって思ってさ。少しでも、そういうのやっていかなきゃって……」
言いながら、昼間からシラフで何を話しているんだと顔が熱くなる。
香澄はと言えば、呆れたような横目を向けてきていた。
「理緒さ、あれだけ色んなことがあって前に進めてないとかいうの?」
「……あったからだよ」
小声でうめく。
香澄は少し考えるようにしていたが、飽きたかのようにかぶりを振った。
「まあいいや、そういうのアタシはうまく言えないし。アタシが言えるのは、ごちゃごちゃ考えずに会いたいって思ったら会いなよってだけ。考えすぎると疲れない?」
「あんたは考えなさすぎ」
「でも楽しんでるもーん」
けらけらと笑われて、しかし言い返す言葉はなかった。
香澄はいつも楽しそうにしている。ごくたまにへこんでいるときもあるが、それでも楽しそうに見えるから不思議だ。
そんな香澄を羨ましいと思うが、口にすると調子に乗るので黙っておいた。
「……美咲に会うよ」
「うん? そういう話だったじゃん」
「そうだったけど、そうじゃなくて。あたしも、少しは頑張ろうかなって」
「じゃあ、理緒も美咲ちゃんと仲良くしたいってことなんだね」
「え?」
理緒の訊き返しは聞こえなかったのか、香澄は納得したようにうんうんと頷いて定食を食べている。
理緒もそれ以上話すことはせず、緩慢な動作でうどんをすする。
(仲良くしたい……?)
理緒の内心をまとめると、そういうことになるのだろうか。
香澄の指摘に、胸がざわめく感じがあった。
美咲と会う、という決断に何かしたの重みが加わったように思えた。
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