葉山理緒と九重美咲 10
理緒の問いに、美咲は明らかに狼狽して答えた。
「え……理緒さんへのお詫びに、ですけど」
「口実でしょ。話したいって言ったじゃない」
指摘に、美咲は口をつぐませた。完全に困っているが、ただ美咲の言葉を待つ。
なんだか詰めているみたいだが、無理に話させようと思っているわけではない。話しづらいのならいいのだが、結局気にはなってしまっている。
理緒も、男の人に声をかけられることはある。男の人に話したいと言われれば、そういう目的かと判断して警戒するだろう。
だけど美咲は……
『葉山さん、よく来ているよね』
いやいや、と内心で首を振る。あの時とは違うはずだ。
美咲はかなり長く躊躇っていたが、やがて絞り出すように言葉を発した。
「理緒さんが……気になるんです」
「気になる」
おうむ返しにつぶやく。まさか、と一瞬脳裏に浮かぶものがあったが、美咲は予想外のことを口にした。
「気になるっていうか……心配で」
「心配?」
今度こそ美咲の話がわからなくなってうめく。美咲の表情はずっと苦虫を嚙み潰したように歪んでいて、この先を促すかを躊躇わせる。
迷いながらも、踏み込む心地で訊ねる。
「それ、前も言ってなかったっけ。どういう意味なの?」
「理緒さんが何回か変な顔をしていたことです」
変な顔と言われ更に反応に困った。いったいどういう意味なのだろうか。
理緒の困惑に答えるように、美咲はぽつりと語りだした。
「……話してると時折遠い目っていうか、何かをこらえるようにしていて。わたしが何か変なこと言ってしまったのかなとも思ったんですけど、だとしたら何だろうって」
心当たりが胸を疼かせる。美咲と話して、自分で勝手に様々なことを重ねた。美咲とは関係ないことを考えて、感情を隠すこともできなかった。もっと普通にできていたら良かっただけだ。
自分が悪かっただけだ。
「理緒さんが、どうしてそんな顔をするのか気になってしまって……」
「もういいよ」
遮って、美咲を見つめる。
見返してきた美咲の瞳は不安そうに揺れていた。
「あたしがどんな顔をしてても、美咲には関係ないよね」
「……それはそうですけど」
「だったらここで話は終わりにしようよ。あたしが悪かったよ、ちゃんと普通にするから」
言ってから後悔した。これでは自分は取り繕ってしゃべっていますと表明しているようなものだ。
美咲と話していると調子が狂う。でもそれは美咲が悪いわけではない。理緒の問題でしかないのだ。
普通にできない自分に、これ以上美咲を巻き込みたくはない。
その考えが浮かぶと、もう堪えられなかった。
「ごめん、帰る」
「え?」
訊き返す美咲に答えず、財布から五千円札を抜き出してテーブルに叩きつけるようにして置く。その勢いで立ち上がり、走るようにして店から出た。
「理緒さん、待って……」
美咲の制止を背中で受けながら、廊下を早足で移動する。エレベーターはちょうど三階で止まっていた。乗り込んで、すぐにボタンを押す。
エレベーターのドアが閉まる寸前、美咲が喫茶店から出てくるのが見えた。
ビルから出て、行先のことは考えずに早足で歩き出す。五分ほど歩いて、街の中心にある公園に着いた。東西に長く伸びる有名な公園だ。
公園に入り、テレビ塔の方向に進んでいく。その歩みが次第に遅くなり、やがて止まった。
「何やってんだあたし……」
自分の恰好を見下ろしてうめく。気合が入ってるような恰好が、いっそ滑稽に見えた。
わけのわからない感情が内心を支配していたのが、少しずつ冷えていく。言いようのない後悔が代わりに胸を満たしていき、ひざを抱えて泣き出してしまいたい衝動に駆られた。
(あたしは、なんにも進んでいないんだな……)
あれから、たったの一歩だって前には進めていない。
美咲とのデートは、ただそれを確かめただけだったのかもしれない。
弱い自分はそれをさらして美咲に気にさせてしまっていた。強くなれれば、そんなことを気にせずにやっていけると思っていたのにできていなかった。
本当に自分が情けなかった。これから、強くなれるような気もしない。
美咲にちゃんと謝りたかった。こんな自分が……
「理緒さん!」
後ろから、ぐっと両肩を掴まれた。
心底から仰天したが、表には何も出てこなかった。
振り返るのが怖かった。たぶん今も美咲の言う変な顔をしているに違いない。
「ごめんなさい、わたし……」
美咲の声はにじんでいた。泣いているのだろうか。罪悪感を覚えながら振り返る。
美咲は泣いてこそいなかったが、悲しんでいる瞳が理緒をとらえた。その先の言葉もなく、ただ理緒を見ている。目を離すことができないまま、言い訳するように言葉を発した。
「美咲は悪くないよ」
言っても、美咲はふるふると首を振るだけだった。
美咲の手を引いて、傍のベンチを示した。お互いに何も言わなかったが、美咲は小さく頷いて二人してベンチに腰かけた。
そうしたところで、何か言葉が出てくるわけでもなかった。そもそも美咲が追いかけてくるとは思ってもいなかった。
横の美咲を見れないまま、謝罪を口にする。
「……ごめんね」
「…………」
「大人気なかった。美咲が悪いわけじゃないんだよ、本当に。怒ったわけじゃない、ただ、あたしは……」
その先の言葉がうまく出てこなかった。考えてもまとまらない言葉を出すのを諦めて、ただ感情のまま話す。
「あたし、こんななんだ。いい大人がみっともないけどさ。美咲が気にするような人間じゃないんだよ。だから、もう話すのやめよう」
「嫌です」
はっきりとした即答に、驚いて美咲を見る。
美咲は泣きそうな顔をしていたが、はっきりとした強さのある目で理緒をとらえていた。しかも、美咲の手が理緒のワンピースの裾を掴んでいた。
「わたしは、理緒さんと会いたいです。話したいです」
「……どうして?」
心底わからなくて訊ねる。理緒だったら、話したいとは思えない。
「わからないです……でもそうしたいんです」
美咲自身もよくわかっていないような口ぶりだった。当然、聞いている理緒の方がわからないが。
「理緒さんが嫌なら、関わったりしません。でも……」
その先は言わず、ワンピースの裾を握る手を強めてきた。
まるで別れ話がこじれたカップルみたいだと他人事のように思う。周囲からは、どのように見えているのだろうか。
実際はカップルどころか友人とも言えない関係だ。これを終わらせるのか続けるのか、今は理緒の判断にゆだねられている。
(嫌なら……?)
理緒は、美咲に関わって欲しくないのだろうか。
考えても、まったくわからなかった。美咲のことを言えやしない。
美咲と目を合わせた。その瞳を見据えて。
「わかった」
美咲の裾を握る手に、自分の手を重ねる。
「また、話そう」
言葉がゆっくり聞こえてきたかのように、美咲はゆっくりと笑顔を見せた。泣き笑いのような表情で、弾けるように頷いた。
その表情が、理緒の心を激しくざわつかせた。
(本当に、なんで……)
自分のことも、美咲のこともまったくわからない。
それなのに、どこかほっとしている自分がいた。
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