葉山理緒と九重美咲 9
美咲の横に並んで、札幌駅を南口から出る。美咲が言うにはお店には十分ほどあれば着くそうだ。
赤信号で待ちながら、ぼんやりと感じたことを口にする。
「今日はあったかいね」
「そうですね。お花見も良いですよね」
日差しに目を細めて、ああ、と頷く。
「いいね。もう散ってきているけど」
「理緒さんはお花見したんですか?」
「うん、ゴールデンウィークに友達と行ったよ」
香澄と例の話をするよりは前のことだ。香澄と沙耶との三人で桜のある公園まで行って花見をした。
美咲は羨ましそうな笑顔で歓声を上げた。
「いいなぁ、楽しかったですか?」
「まあ、ね。ちょっと飲みすぎたけど」
香澄が煽るから悪いと言いたいが、理緒もついつい飲みすぎてしまった。沙耶も珍しく酔ったために、三人とも公園で酔っぱらうというろくでもない花見ではあったが、楽しかったのは間違いない。
美咲はきょとんとした声で訊いてきた。
「飲みすぎたってお酒ですか?」
「そうだよ、二十歳だからね」
つい嫌味な返し方をしてしまった。美咲は「ごめんなさい」とおどけるように両手を合わせて、質問を続ける。
「お酒って美味しいんですか?」
「美味しいやつは美味しいよ。興味あるの?」
からかうように視線を投げると、美咲はぶんぶんとかぶりを振った。
「わたし高校生ですよ。まだ早いですよ」
(あたしは高校生の時から酒も煙草もやってるけどね)
内心でつぶやく。美咲の反応は、正直少しの後ろめたさを感じさせる。二十歳以上だから煙草を吸っていても何かを言われる筋合いはないが、高校生からと知れば前みたいに怒られるだろうかとふと考えた。
「ここです」
到着したのは、大きい通り沿いのビルだった。このビルの三階に、美咲の言う店があるらしい。
エレベーターに乗って、三階まで移動する。店の前まで行くと、美咲ははっとしてこちらを向いた。遠慮がちに、
「そういえば、このお店は禁煙なんですけど……」
「大丈夫だよ、外ではそんな吸わないから」
適当に手を振って答える。まったく吸いたくないというわけではないが、さすがに未成年の前で吸うことはない。というより、喫煙しない人の前では吸うことはないのだが。
美咲は適当に納得したようで、一つ頷いて店の扉を開けた。
シックな感じの店内だった。あまり広くはないが、その分高級感を感じられる。コーヒーの香りが少しだけして美咲が案内した店が喫茶店であることをようやく知った。
「いらっしゃいませ」
店主だろうか、中年の品の良さそうな男性の挨拶に美咲は慣れた様子で応じて、理緒を席に案内した。
カウンターが数席と、テーブル席が三つあるだけで、そのうちのテーブル席に腰かけた。理緒たちの他には、年配の男性が一人カウンター席にいるだけだ。
店主が席までメニューを持ってきた。人の良さそうな笑みを浮かべていて、人と接するのが苦手な理緒でも安心させるようなものがあった。
美咲はメニューをこちらに向けてきた。
「理緒さん、どれにしますか?」
「あー、任せるよ。美咲のオススメで」
「わかりました」
美咲は張り切るように頷いて、メニューを見て考え込んだ。
その間に、改めて店内を観察する。
いかにも隠れ家的な喫茶店で、中心街のど真ん中にこういうところがあるとは知らなかった。こういったおしゃれな喫茶店に来たこともなく、雰囲気を壊してしまわないかと気後れしてしまう。
見回していると、店主と目が合ってしまった。柔らかく微笑まれて、慌てて会釈をする。
「すいません」
美咲の声で意識を引き戻された。店主がカウンターを抜けて、こちらの席まで注文を取りに来る。
美咲はささっと注文を済ませた。よく来ているのだなと思わせる慣れた様子だった。
店主がカウンターに戻ると、年配の男性客が会計を求めていた。常連らしく店主と会話を交わし、店を出ていく。
店内にいる客は理緒と美咲の二人だけになった。それを待っていたかのように、美咲は口を開いた。
「ここ、わたしのお気に入りのお店なんです」
「雰囲気良いよね。落ち着く感じするよ」
まんざらお世辞でもなかった。雰囲気が良くて逆に落ち着かないところがないわけでもないが、たぶんそのうち慣れるだろう。
美咲は嬉しそうに顔をほころばせた。
「そうですよね。友達ともよく来るんです」
「でも、喫茶店のコーヒーって結構いい値段するね」
「その分美味しいんですよ」
自信満々に断言されて、微笑ましい気持ちで言葉を返す。
「コーヒー好きなんだね」
「そう……ですね」
美咲はあごに指をあてて、こくりと頷く。
「喫茶店巡るのが趣味なんです。いろんなお店でいろんなコーヒー飲むのが楽しくて」
楽しそうに話す美咲は、やはり微笑ましい気持ちにさせられる。
理緒はコーヒーは普段飲まないし味がわかるわけでもないので、酒を飲めるだけの自分よりも大人に見えてしまう。
「お待たせしました」
注文したコーヒーが運ばれてきた。美咲がコーヒーについての説明をしてくれるのだが、よくわからずに頭に入ってこなかった。
「ミルクと砂糖は……どれぐらい入れればいいの?」
「飲みながら足したら大丈夫だと思います。飲みやすい銘柄ですし」
最初はそのまま飲めばいいということだろうか。カップを手に取って、息を吹きかけながら慎重に口に含む。熱い。熱くて味どころではなかったので、少し置いてもう一度口に含んだ。
よくわからないまま飲み込む。見ると美咲は上品な仕草でコーヒーを飲んでいる。目を離して、というわけではないが今のうちにそれなりの量のミルクと砂糖を入れかきまぜた。
カップを置いた美咲はいかにも満足そうだった。だが理緒の表情を見て、やや不安げに目を曇らせた。
「すいません。お口に合いませんでしたか?」
「あー、美味しくないわけじゃないよ? あたしにはまだ早かったかなーって……」
言い訳したせいでなんだか微妙な空気になってしまった。早くケーキを持ってきてくれと八つ当たりのような念を店主に向かって送る。
それが通じたのかはわからないが、思ったより早くケーキが届いた。理緒にはロールケーキ、美咲の方には苺のティラミスだ。
お、と声が出た。ケーキにはさすがに心動かされるものがあった。
「いつもありがとう九重さん。二人ともごゆっくり」
店主は優しい声音で言い残して、またカウンターに戻っていった。
事前に美咲から好みについて訊かれていて、そこでロールケーキが好きだと答えていた。美咲の注文はそれを踏まえてくれたのだろう。
「それじゃあいただきます」
フォークを手に、ロールケーキに刺す。期待感を込めて、ゆっくりと口に運んだ。
一口食べた瞬間、理緒は歓声を上げた。
「なにこれすっごい美味しい!」
「ここのケーキ、マスターの手作りで評判なんですよ」
ほっとしたような表情で、美咲が説明する。
へぇと相槌を打ってロールケーキをぱくぱくと食べ進める。半分減ったあたりで手を止めて、コーヒーをもう一度飲んでみる。気のせいかもしれないが、さきほどよりは美味しく感じられた。
美咲もティラミスに手を付けて幸せそうにしている。やはり苺は残すように食べているのが面白い。いちいち絵になる子だな、といっそ感心する心地で見やる。
「コーヒーは自分で淹れたりするの?」
「やりはしますけど、やっぱりお店の味には敵わないですね」
口ぶりから、インスタントの類ではなくて本格的にやっているのではないかと思えた。
美咲はそれよりも、と両手を合わせて目を輝かせた。
「理緒さんのワンピース、すっごく似合ってて本当に可愛いです!」
「あー、うん。ありがとう……」
美咲ののテンションとは対照的に、やや冷えた心地でとりあえず礼を言う。あまり今の自分の姿を直視したくはない。
「まあ、デートだからね。ちょっとぐらいは」
「デート……」
きょとんと、美咲。あ、やばいまずったと口早に言葉を続ける。
「美咲こそびっくりしたよ。美人だと思ってたけど、今日は特にすごいね」
「そ、そうですか? あ、来る前に美容院行ってきたんですよ」
「そうなんだ。そのリボンもいいよね」
理緒の言葉に、美咲は特に嬉しそうな顔を見せた。自分で両方のリボンをつかみピコピコと動かして、
「これすっごくお気に入りなんです! 子供の時にお父さんにもらったんですけど」
「……そっか」
「理緒さん?」
「……お父さんとは仲良いんだ?」
「ええっと……そう、ですね。普通に」
(普通、か)
言われれば美咲のリボンは年季を感じさせるがくたびれているというわけでもなく、大事に使っていることをうかがわせた。
美咲の前で調子を崩す理由が、少しわかった気がした。
「家族が仲良しっていうのは良いことだね」
「ですね。理緒さんは……」
「知らない。元気なんじゃない?」
突き放すように言うと、美咲は困ったように笑っていた。
少し迷って、なんとか言い足す。
「一人暮らしだからね。会ったりはしないよ」
「あ、そうなんですね」
美咲の反応に確かに含まれている安堵を感じて、わずかな苛立ちを覚えた。
美咲はわかりやすすぎると思うが、自分の態度も似たようなものかもしれない。
「一人暮らしいいなぁ。楽しいですか?」
「まあ気楽だよ」
「寂しくなったりしないですか?」
「どうかな、友達がしょっちゅう家に来るし。美咲は一人暮らししたいの?」
「したいです。なんていうか大人っぽくないですか?」
美咲の「大人っぽい」イメージの年相応さに思わず笑みを漏らす。
こんな美咲が一人暮らしするとなると。
「美咲が一人暮らしするって言ったら両親も心配するんじゃないの?」
「そうなんですよ。特にお父さんはちょっと冗談でそういうこと言っただけでもすごく嫌がるんです。理緒さんは反対されなかったんですか?」
「あたしは……別に。親にそうしろって言われたぐらいだから」
「理緒さん、落ち着いててしっかりしてるって感じですもんね」
「そんなことないよ」
さすがにそうは見えないだろうと否定するのだが、美咲は案外本気そうだった。
美咲は急にむぅとふくれて、愚痴を言い出した。
「わたしは子供っぽいってよく言われるんですよね。学校ではしっかりやってるつもりなんですけど、話してると子供っぽい感じがするって……わたし子供っぽいですか?」
「そう……だね。年相応?」
美咲は聞き逃したかのように眉根を寄せた。小首までかしげてうっそりと言ってくる。
「どう受け止めればいんですか」
「普通にとりなよ」
コーヒーが飲みやすい温度まで冷めてきた。慣れてきたのか飲みやすいコーヒーだと思えるようになってきた。お代わりもできるそうだが、この調子なら頼んでしまうかもしれない。
「……親なら子供の心配するものなんじゃない? 可愛がられてるんだから、甘えるようにしたらいいんじゃないかな」
「でもわたしは自立したいんですよ」
「バイトしてないの?」
「大学生になるまではダメだって言われました」
不平そうな顔を作る美咲に、どう反応したらいいのかわからずに曖昧に頷く。本当に箱入りのお嬢様なのだろうかと思わされる。理緒が今までに出会ってこなかったタイプの人間だ。それでも憎めない愛らしさを感じるのは、裏のなさそうな真っすぐさだ。
「理緒さんはバイトしていますか?」
「ううん、今はしてないよ」
三年生に上がる前に少ししていたが、今は完全にしていない。
「美咲は、何かしたいバイトあるの?」
訊ねると、美咲はカウンターの方を見て声を潜めた。
「喫茶店で働きたいんです」
「ここ?」
合わせて小声で返すと、美咲は小さくかぶりを振った。
「ここ、バイト募集してないんです」
「そっか。やっぱりコーヒーが好きだから?」
「はい、自分でも美味しいコーヒーを淹れて人に振舞いたいんです」
そう語る美咲の笑顔はとてもキラキラしていて、吸い込まれそうだと思った。
ぼーっと見つめていると、美咲がきょとんと見返してきた。金縛りから解けた心地で誤魔化すように笑う。
『ぴんと来た?』
頭の中で聞こえる香澄の声に内心で否定する。
(違うよ、そういうんじゃ……)
それに、明るくてこれだけの美人なら……
「美咲さ、付き合っている人いる?」
「え? ……いませんけど」
突然に質問に戸惑いながらも美咲は答えてくれた。
困っている美咲を前に、背中に嫌な汗を感じた。何も考えずに思ったことを口にしてしまった。
「ごめん、変なこと訊いたね」
「いえ、大丈夫ですけど……」
「気にしないで……あー、お代わり頼もうかな」
「あ、はい、わたしも頼みます。すみません」
美咲が店主を呼んで、二人分のお代わりを注文する。
どうにも調子が狂ってしまう。このまま、穏やかにこのデートを終わらせるようにしたい。
理緒は人見知りがかなり強く、打ち解けて普通に話せるようになるまでにかなりの時間がかかってしまう。それなのに美咲は出会って間もないのでもう普通に話せるようになっている。どうしてだかわからないが、美咲はとても話しやすい。
そう考えたところで、ふと思い出した。
今回のことは、美咲のお詫びという話で始まったものだ。だが、理緒としてはそれをそこまで信じていない。お詫びの気持ちがあることを否定がしないが、こんな風に楽しくお茶をしていると余計にわからなくなる。そもそもお詫びを言い出す前に会って話したいと言ったのは美咲だ。
一度気になると気になってしまう。何も言わなければ何事もなくデートは終わるだろうが、これは訊いた方がいいだろうか。
お代わりが届いて店主が戻っていくのを見計らって、質問する。
「美咲はさ、なんであたしと会って話そうって思ったの?」
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