葉山理緒と九重美咲 8
(どうしてこんなことに……)
スマートフォンを適当にいじりながら、理緒は内心でうめいた。
昼前の札幌駅構内だ。日曜日だけあって人通りは相当多く、歩きにくいことこの上ない。小柄な理緒は気を抜くとすぐ人にぶつかりそうになってしまう。
理緒がいるのは南口のオブジェがあるところだ。理緒と同じく待ち合わせをしているような人たちがみんなそろえたようにスマートフォンの画面を覗いて立っている。そうしているのは理緒も同じだが。
ちらりと顔を上げて、周囲を確認してみる。待ち合わせの相手はまだ来てはいないようだった。少し早く着きすぎたかもしれない。
待ち合わせの相手である美咲から予定を決めるメッセージが来たのは、ゴールデンウィーク直前のことだった。理緒の予定はゴールデンウィークでも空いていたが、美咲の方に予定があるということで連休が明けた次の日曜日ということになった。美咲のお気に入りの喫茶店へ連れて行ってくれるらしい。
それをぽろっと香澄に話してしまったことが間違い(と言ってしまおう)だった。理緒の家に飲みに来ていた香澄は、その話を聞いてわかりやすくはしゃいだのだった。
☆☆☆
「デートじゃん!!」
「あー、そういうんじゃないけど……」
理緒の控えめな否定を完全に無視して、香澄はがばっと立ち上がると寝室に勝手に入っていった。
「ちょっと、何してるの?」
理緒は声をかけながら身を乗り出して香澄が何をしているのかを覗いた。香澄はタンスを開けて、一着の服を取り出していた。アプリコットのワンピースだ。それを手に寝室から戻ってきて、掲げて見せた。
「これ着てきなよ、可愛いから!」
「…………」
理緒は半眼でワンピースとついでに香澄の顔を見つめた。言いたいことはいくつかあったが、一番気になったことから口にする。
「あたしそんな服買った覚えないんだけど」
「この前飲みに行ってめっちゃ酔っぱらってたじゃん? その時に買ってたよ」
「嘘でしょ?」
「うん嘘。理緒に似合いそうだなって買って入れておいたんだよ」
「いつの間に……」
頭を抱えてうめく理緒に、香澄はしれっと言ってきた。
「なんで気づかなかったの?」
「あんたねぇ……」
恨みがましい視線を向けるが、香澄は気にした様子もなく両手に持った服を理緒に伸ばしてきた。
「着てみてよ。サイズ合ってるから」
「なんで……いやもういいや……」
色々と諦めて、服を受け取る。香澄は「終わったら言ってね」と後ろを向いた。
部屋から出て行っても欲しかったが、まあいいかと渡されたワンピースに着替えた。確かにサイズはぴったりだった。理緒は自分のサイズもよくわかっていないのに、友人の方が把握しているのがなんだか負けた気持ちにもなる。
ワンピースを着た自分を見下ろして、眉根を寄せる。裾をつまんでぱたぱたとさせて、不満を込めてぼやく。
「こういう可愛い感じ苦手なんだけどね」
「似合ってるんだけどねぇ」
いつの間にかこちらを向いている香澄がしたり顔でビールを飲んでいる。
そもそもさ、と香澄は首を傾げた。
「何着ていくつもりだったの」
「まだ考えてない」
「どうせいつものでしょ」
見透かしたような香澄の物言いに、理緒は何も言い返せずに顔をそむけた。
理緒はファッションにとことん興味がなく、適当に買った服を適当に着まわしているだけだった。余所行きの区別もなく、デートならこれというのもない。よって美咲と会う時もいつもの服装となりそうだったのだが。いくらなんでもスウェットを着ていきはしないが。
横眼で香澄を睨んで、弱々しく言い返す。
「悪いの?」
「悪いでしょ、デートなのに」
「デートじゃないってば」
振り払うように言って、ワンピースを脱ぐ。胸元を隠した状態でワンピースを抱え、香澄に投げつけようとしてさすがに思い直す。
元の服を着て、ワンピースを畳む。
「気持ちだけもらっておくよ。こういうの、やっぱり苦手だし」
「理緒はさ、着飾るのが嫌いなわけじゃないでしょ」
「服は興味ないって」
ワンピースを突きつけながらそっけなく答える。
「でも付き合っている人がいる時はそういうのもやってたじゃん」
香澄の口調もそっけなかったが。痛いところを突いてもきていた。
ワンピースを手元に置く。喫煙に逃げようかとも思ったがそれも癪なので頬杖をついてウィスキーの入ったショットグラスを手に取る。
「今回はそういうのじゃないんだから」
「まぁま、そういう出会いっているあるかわかんないもんだよー」
「いやだから……なんでそんなしつこいの?」
こだわる香澄に抗弁する。香澄は普段からよくわからない絡みをしてくるが、今回はさすがにしつこい気がする。
「なんとなく?」
「あんたね、マジで……」
「そりゃアタシだって恋愛すれば全部解決するなんて言わないよ」
そこまで言って、香澄は考えるように間を置いた。
ややあって、考えた割にはストレートな言葉を投げてきた。
「美咲ちゃんの話してる理緒、楽しそうだったから」
「……そう?」
「ゆあの時と同じ感じだよ?」
動揺から、持っていたグラスを落としかけた。
香澄は申し訳なさそうに笑った。
「大げさかもしれないけどさ、アタシはそう思ったよ。理緒は寂しんぼなのにあんまり人と関わんないし、付き合いが増えるのはいいことだと思うよ」
「…………」
言い返したいことはあったが、飲み込んでただ香澄を見返す。香澄も理緒を心配というか、思ってくれているのはわかってはいる。
これまで、香澄にも沙耶にも多くの心配をかけてきた。支えてもらい、傍にいてくれていることには感謝してもしたりないとは思ってる(特に香澄は口にすると調子に乗るので言わないが)。そんな香澄が言うことは、重みをもって伝わってくる。
香澄はしにくい話も構わずに突っ込んでくる。理緒が明確に避けていても、彼女は気にしない。理緒は香澄のそういうところを理解できないと思いながら、ほんの少しだけすごいとも見上げている。
そんな理緒を見透かしたように、香澄はイタズラっぽく笑った。
「美咲ちゃんとのデート、それ着ていきなよ」
「……わかったよ」
諦めから、溜息をつきながら受け入れる。
「でも、そういうんじゃないからね」
「はいはい」
理緒の言葉はあっさり流す香澄にやっぱりムカつきはしたが、大人なのでやり返さないでやった。
☆☆☆
ということで、今理緒は香澄が(勝手に)買っていたワンピースに身を包んで香澄を待っている。
普段はズボンしか履かないので、どうにも落ち着かない。数年前まで高校の制服でスカートを履いていたはずなのだが、そんなことももう記憶の彼方に飛んでしまっている。
なんだか行き交う人がちらほらとこちらを見ているような気がする。自意識過剰だとはわかっているのだけど、そんなに似合っていないかと卑屈な気持ちになってしまう。
待ち合わせの時間まではまだ十五分ほどある。少し早く来てしまったのかもしれない。スマートフォンをバッグに仕舞ってぼんやりと美咲を待つ。
(あー、もう少しで来るのか……)
だんだんと緊張を感じ来た。会って何を話せばいいのかも、実際何も考えていない。
それに、自分は冷静にいられるのかも自信もない。克服できたつもりでいたわけでもないが、その事実を改めて突きつけられた思いだった。
過去が浮かんでくることが、どうしようもなく情けなかった。理緒の過去は、美咲にはなんの関係もないのに。
香澄との会話を思い返す。美咲との前回の会話を思い返すと、つい苦い顔になってしまう。
(いい加減にしないとね)
自戒を込めて内心でつぶやく。もう二十歳の大人なのだ。美咲よりも年上なのだから……
「あ、理緒さん!」
「ふやっ!」
変な声が出た。慌てて口をふさいで、声のした方に体を向ける。
美少女が立っていた。
いや、美咲だった。輝くような笑みをたたえて、理緒の前に立っていた。
薄くメイクをしているようで、前に会った時より大人びて見える。ゆるくウェーブがかっていて、赤いリボンを二本頭の両側に蝶々結びにしている。その子供っぽさが、ギャップを生んでいてひどく魅力的に見せている。
白い薄手の上着に、黒のロンスカートが目を引いた。
その美咲は両手を組んで歓声を上げた
「理緒さん、すっごく可愛いです!」
「あ、ありがと……」
たじろぎつつも礼を言い、美咲を見て曖昧に笑う。
「美咲も、ほんとキレイだよ」
少し引き気味で言ってしまったのは、実際に引いていたからだ。こんなに美人な子がいるのかと、それぐらいに美咲はキレイだった。
「あ、ありがとうございます」
照れたように言う美咲に、周囲の視線が集まっている気がした。今度は勘違いではないだろうと思わされる。自分とは違い、美咲は真っ当に人の視線を集める魅力があった。
なるべき早くこの場を離れたくて、美咲の手を引いた。
「早く行こうよ」
「え、あ、そうですね。行きましょう」
美咲は普通に手を握り返してきた。それでいて美咲はやや困った顔を浮かべて、どうしようかという視線を向けてきている。
軽く手を振って離させると、美咲に告げた。
「じゃあ美咲が言ってた店、案内してくれる?」
理緒が言うと、美咲は笑みを浮かべて「はい!」と元気よく頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます