葉山理緒と九重美咲 7

 理緒と話したその日の夜、美咲は自室のベッドでもぞもぞとうごめいていた。

 まだ夜の九時を過ぎたあたりだった。寝るには早すぎるのだが、かといってすることも思いつけずに横になっている普段はスマートフォンをいじっていることが多いのだが。

 今はスマートフォンには触れておらず、頭を抱えてじたばたしている。布団をかぶってうんうんとうなり、やがて布団から頭だけを出した。


「ふぅ」


 天井を見つめて、今日の出来事の何度目かの反芻を行う。

 自分の勘違いからくる暴走を思うと顔が熱くなるしまたじたばたをしたくなる。それを越えて、意識は自然と理緒のことへ向かっていった。

 最初に出会ったときは勘違いしていたこともあってただ可愛い子供だと思っていた。だがその前提が崩れたことで印象も変わっていく。

 今回も、前回の時のような傷ついた表情をしていた。今回の方は声をかけても気が付かないほどに深刻そうだった。美咲の何かが地雷を踏んだのかもしれないが、それが何なのかはまったく見当もつかない。

 頭の中で理緒を思い浮かべると、あの傷ついた表情が出てくる。そもそも理緒は全然笑わなかった。軽い微笑かなていどのものはったけど、はっきりと笑うことはなかった。

 気難しい人、というのも多分違う。最初に抱いた懐かない野良猫というのが一番印象としては近い気がする。

 また会って話したいと口にして、自分が一番驚いた。慌てて投げた言葉だった。このままでは理緒が行ってしまうと思うと、勝手に言葉が出てきてしまった。

 どうして? という理緒の問いは正しい。美咲だって、会って何を話すのかなんて何も考えていないのだから。

 会って、話して、それでどうするというのだろう。

 美咲の感触としては、理緒には壁があるように思う。まだ二回しか会っていないんので当然と言えば当然なのかもしれないが、それでもはっきりとしたものは感じられた。それでも会うことは了承してくれたのだから考えすぎなのかもしれないが。

 たぶん、理緒に会いたいんだ。ただ、その理由を具体的に言葉にはできないだけで。

 考えれば考えるほどよくわからなくなってきた。会うまでにはきちんと考えておいた方がいいのだろうけど。

 やがて諦めて、スマートフォンを手に取った。いつもの友人にメッセージを送る。


『起きてる?』


 一分ほど待つと返信が来た。


『起きてるよ。なに?』

『電話していい?』

『いいよ』


 返事を確認して、起き上がって机の上からイヤホンを取る。取り付けてから電話をかけると、相手はすぐに出た。

 相手は淡々とした声で短く応じた。


『どうかした?』

「うーんとね、ちょっと話したくて。何かしてたの?」

『映画見てた』

「あ、ごめん邪魔した?」

『あんまり面白くなかったし。電話していいって言ったのもあたしだしね』

「そっか、ありがと」

『それで? なんか話したいことあるんでしょ』

「うん。あのね……」


 今泉綾乃いまいずみあやのは中学生の時からの友人で、一番仲の良い存在だ。親友だと(少なくとも美咲の側は)思っている。自分と違ってクールで理性的な考えと物言いをするのでとても頼りになる。それでいて時折見せる年相応の表情がとてもかわいらしい。

 そんな綾乃に、今日の出来事をかいつまんで話した。

 話を聞き終えた綾乃は、ふうんと無感動な相槌を打った。


『で、会うの?』

「え、うん。会いたいって言ったし」

『まだ二回しか会ってないのに、なんでそんな気にするの?』

「なんでって言われても……」


 歯切れ悪くぼやく。まさにそこが自分でもわからないところなのだ。

 美咲が何も言えずにいると、綾乃は唐突に訊いてきた。


『好きなの?』


 美咲は目をぱちくりとさせて、思わずスマートフォンの画面を覗いた。テレビ通話をしているわけではないので顔が見えるわけではないが。


「女の人だって言わなかったっけ」

『……そうだっけ、言っていたかな』


 イヤホンからかすかに溜息のような音が聞こえてきた気がした。

 少し怪訝に思いながらも話を元に戻す。


「わたしも理緒さんがどうして気になるのかわかってないっていうか」

『単に気が合って仲良くしたいってこと?』

「そういうわけでも……」

『ないんだ』


 綾乃の言葉に黙ってうなずく。もちろん見えるはずはないのだが、気配で察したようだった。


『美咲の悪いところが出てるんじゃない』

「なに悪いところって」

『わかってるでしょ』

「…………」


 唇を引き結ぶ。綾乃はこういう時に甘やかすようなことは言ったりしない。それが彼女の友情のかたちなのはわかっているし、そういうところがあるから今綾乃と親友でいるのも確かだ。

 逆に美咲は甘やかしの癖がある。これは綾乃にもはっきりと言われているし、自覚も多少はある。まさにその部分を今指摘されているのもわかっている。


「そういうんじゃないよ理緒さんは……ただ」

『ただ?』

「ただ……」


 言葉の先を見失い、黙り込む。

 いや、と苦い思いで認める。見失ってはいない。隠しているだけだ。

 それは自覚してしまったことで、苦い感情が胸の内に広がってきた。


「気になるの」

『そう』


 綾乃の短い相槌は、美咲が隠した言葉をわかっていることを伝えてきていた。

 言葉が続かずに沈黙が少しずつ重たく感じられていく。そんな中、綾乃はやはり淡々と言ってきた。


『気になるなら、会えばいいよ』

「うん……」


 小さく返事をする。綾乃の声には何かの感情が乗っているように聞こえた。気を遣わせただろうか。


『美咲がそう決めたのならそうすればいいよ。ただ……』

「?」

『変な人だったらついてっちゃダメだよ。ちゃんと逃げること』


 綾乃の言葉にきょとんとして、くすりと笑う。ムッとした声を作って言い返す。


「あのね、子供じゃないんだから」

『心配だよ。美咲はすぐについていっちゃうから』

「そんなことしたことないでしょ!」


 イヤホンから、低めの笑い声が心地よく聞こえてきた。綾乃はこうやって静かに笑う。綾乃の、自分が持っていないものをたくさん持っているところが好きだと主思う。


『その人がどうとは言わないけど、変な人はいるから気を付けてってのは本当だよ』

「うん、ありがとう。でも大丈夫」

『女の人はね。男なら気を付けないとダメだけど』

「? なんで男の人だと危ないの?」

『…………』


 なぜだか沈黙が流れた。さきほどより重たい沈黙に、綾乃の呆れの気配が伝わってきて慌てて声を上げる。


「あれ、わたしなんか変なこと言った?」

『いや……美咲、マジで言ってる?』

「う、うん……」

『そっか……いやいいんだ。その人に会うっていうなら楽しんで』

「うん……そうだ、綾乃」

『なに?』

「理緒さん、綾乃と同じこと言ったんだよ」

『同じこと?』

「わたしの目がキレイだって」

『…………』

「嬉しかったよ。そんな風に綾乃と同じこと言うんだから変な人じゃないよ。大丈夫だって」

『……そっか』


 綾乃の返事は、ほとんど聞き取れないぐらい小さかった。

 また変なことを言ってしまっただろうか。


「綾乃、どうかしたの?」

『なんでもないよ』


 綾乃の声は、既にいつもの調子に戻っていた。

 その態度にやや不服を感じた。


「なんかあるなら聞くのに」

『あったらね』


 綾乃の冷静な返事に、ますます不服が増した。

 綾乃は弱いところを見せようとはしない。そういうところが見えそうになっても、すぐに立て直してしまう。だからほんとに弱っているのかがわからなくなるときがある。今も、気のせいなのかどうかはわからない。

 自分がもっとちゃんとしていたら、綾乃にもちゃんと頼ってもらえるのかなとは思うことがある。

 また理緒の傷ついた顔が浮かんできた。

 出会ったばかりの自分ですら、それを晒していた。何らかの地雷を踏んでいたにしても、ああも弱いところを晒すものなのだろうか。自分にはそういうところを見せない綾乃とは正反対だ。あの人は、誰にでもああいう弱いところを見せるのだろうか。

 そのことが気になるし、心配だった。


(心配……)


 理緒が年下の子供ではないと分かった今でも、その言葉が浮かんできている。

 上から目線のように思える言葉は、しかし理緒に対する感情としてぴったりくるものだった。それがどうしてなのかは、自分でもよくはわからないが。

 そこを突き止めて考えるのは、少し怖かった。


『美咲?』

「ん? ……そうだ、何の映画見てたの?」

『ああ……美咲は知らないとは思うんだけど――』


 話題を他愛もない雑談に移行させると、綾乃もついてきてくれた。

 理緒のことも考えずに、友人の会話を夢中で楽しんだ。

 そうしているうちに寝落ちをしてしまい、後日お詫びに缶コーヒーを奢ることになってしまった。

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