葉山理緒と九重美咲 6
美咲は素早い手つきで理緒がくわえている煙草を奪い取 った。紫に鋭い目を向けて、声を張り上げる。
「子供に何させてるんですか! 煙草なんて渡して!」
紫はぽかんとして美咲を見返していた。理緒もどうすればいいのかわからず、紫と似たような顔をしていたが。
美咲は理緒に視線を転じると、その手をつかんできた。
「行くよ理緒ちゃん!」
言うなり理緒を店の外まで引っ張っていく。とっさのことで逆らうことも思い浮かばずに、美咲に連れられて行く。
店を出る寸前に後ろを見ると、紫と目が合った。すでにぽかんした表情ではなく、
(笑ってるよ……)
呆れた気持ちで内心でうめく。面白がっているなと半眼で見返すのだが、美咲に引っぱられて視界からは消えてしまった。
店の外に出ても、美咲は理緒を引っ張ったまま進んでいる。逆らわずに歩きながら、さきほどの美咲の目を思い返す。
困惑と心配で揺れていた目。だが、
(やっぱり、真っすぐな目だな)
どう説明すればいいのかはわからないが、美咲の目にはそう思わせるものがあると理緒には感じられた。
呑気に考えていると、美咲の足が止まった。追突しそうになって慌てて理緒も止まった。
公園だった。美咲と会った公園よりは小さい公園だ。遊具がいくつかあり、申し訳程度のベンチがあるだけの、ありふれた公園だ。公園には誰の姿もなかった。
ベンチまでともなわれ、美咲が先に腰かけた。隣のスペースを軽く叩いて座るように促してくる。
大人しく座って美咲を見る。美咲は地面に視線を落として大きく溜息を吐いていた。さっさと本当は成人していると言えばいいのだろうが、どうしてだか口が開かなかった。
ややあって、美咲は意を決したように頷いてこちらに向き直った。理緒からとった煙草を手に詰問してくる。
「理緒ちゃん、これ吸おうとしていたの?」
「……う、うん」
「ダメだよそんなことしたら!」
「…………」
美咲の勢いに圧されて黙り込む。
いくらなんでも、正面から当たり前の注意をされるとは思っていなかった。美咲とは一週間前に会ったばかりで、友達という関係ですらない。
不思議な新鮮さを感じていると、美咲が畳みかけてきた。
「これは大人が吸うもので体に悪いし、そもそもどうしてこんなものを……」
畳みかけてきたというより、混乱したまままくしたているといった様子だったが。
さすがにこれ以上黙っているのはよくないだろうと、隙間を見つけて手を挙げた。美咲は話を止めて、不思議そうに見つめてくる。その顔はどこか泣きそうにも見えた。
ポケットから財布を取り出し、中からあるものを取り出して美咲に突きつける。
美咲は落ち着かない様子のままそれを受け取った。裏返したりしながら、表情が次第に怪訝なものになっていく。
「学生証……?」
「そ、あたしが通ってる大学の」
大学、のところに力を込めて答える。
美咲はほとんどわからないぐらい小さく首を縦に振り、はっと理緒に向かって叫んだ。
「だ、大学!?」
「そうだよ、今年で大学三年生」
「え、え、じゃあ」
完全に混乱している美咲から学生証を回収して、顔写真を指してから入学日のところを示した。
「これが入学した日で、ほら二年前の日付でしょ? あたしはストレートで入学したから、今は三年生で二十歳なんだよね」
「は、はたち……」
美咲はうめいて、学生証と理緒の顔とを見比べている。困惑を顔に張り付かせて、ぽつりとつぶやいた。
「じゃあ、嘘ついてたってこと?」
「あたしは年下だって言っていなかったと思うけど」
「あ、いや、そうだけど……」
美咲はとにかく混乱していて、事実を受け入れるのに時間がかかっているようだった。そんなにか? と思わないこともないのだが、両手を合わせて謝罪する。
「ま、わかっててほんとのことを言わなかったのはあるから、それはごめんね」
理緒の声が聞こえていないのか、美咲はうなだれたまま応えなかった。
学生証をしまい、美咲の指からこぼれ落ちていた煙草も回収する。地面に落ちたのでもう吸えないが、捨てていくわけにもいかないだろう。
周囲に視線を向ける。人の姿はない。車も人も通るのだが、誰も公園には入ってこない。理緒は公園で遊ぶ子供でなかった。まったくそうしなかったわけではないが、馴染みのなさは強く感じる。
気温は少しずつ上がってきている。暖かくなる分には大歓迎なので、この調子で過ごしやすくなってほしい。
美咲とまた会うことになるとは思っていなかった。近所に住んでいるのだし偶然会うことは確かにあるだろうが、あんなタイミングで出くわすとは予想もしていなかった。
(サキさんお腹空かせてるかな)
ご飯を作ってあげると話したのだが、その前に美咲に連れられてきてしまった。その時に笑っていたので罪悪感もないが。
「じゃあ理緒ちゃ……理緒さんは」
立ち直った美咲が声をかけてきた。そちらを向いて、からかうように言う。
「別にちゃん付けでもいいよ?」
いいえ、と美咲は生真面目に首を振った。
「理緒さんは二十歳なんですよね」
「うん、酒も煙草も大丈夫だよ」
理緒の返事に、美咲は深く頭を下げてきた。
「すみません、わたしさんざん失礼なことを……」
「いいよ慣れてるから」
手をひらひらと振って受け流す。本当にまったく気にしていないのだが、美咲は不安そうな眼差しでこちらを見上げてきた。
「さっきも言ったけど、あたしも誤解をそのままにしてたんだしお互いさまってことにしようよ」
そこまで言うと、美咲はやっと頭を上げた。かと思ったらまたすぐにうなだれてしまった。
理緒も困って、控えめに訊ねる。
「えと、どうしたの?」
「お店の人にも失礼な態度をとってしまって……」
ああ、と思い出す。確かに紫からすれば訳が分からなかっただろう。
「大丈夫だよ、面白がってたから」
「あとで謝りに行きます」
あくまで生真面目に言う美咲に笑って、ところでと訊ねる。
「あたしのこと何歳だと思ってたの?」
「え?」
「未成年だと思ってたのはわかったけど、実際は何歳だって思ってたのかなって」
「えーと……」
美咲は露骨に目を逸らして、ぼそぼそと答えた。
「十五歳ぐらいかなーって……」
「へぇ」
半眼で顔を近づけると、美咲は観念したように白状した。
「すみません、十二歳だと思っていました」
「ふーん」
そのまま半眼で見ていると、美咲は両手を見せて降参した。
「あ、あの本当にすみません」
「冗談だよ。ほんとに怒ってない、いつものことだから」
軽く言うと、美咲はようやく笑みを見せた。なんとか浮かべたというものには見えたが。
「でも、こうして話してると年下って間違えてたわたしがおかしいですよね。年上の人って感じです」
「いいよ、気を遣わないで」
苦笑して手を振る。美咲は慌てて言い足した。
「いえ、本気ですよ。なんで間違えてたんだろうって不思議で」
「ふうん」
軽く流して、背もたれにもたれるようにしながら美咲の顔を覗き込む。
慌てていて、照れ隠しのような笑顔の美咲の瞳は、どうしても引き込まれるものがある。
どうして、美咲はこんな目ができるのだろうか。
自分は、今どんな目をしているだろうか。
不思議なぐらい、美咲の目が気になってしまっている自分に疑問を覚える。
『気になるんなら、素直に突っ走ったほうがいいよ』
思い起こされる香澄の言葉に胸中で首を振る。
露骨に見つめすぎたか、美咲が照れたように訊いてきた。
「あの、なんかついてますか?」
「ん、いやキレイな目だなって」
「え?」
面食らった美咲に、何も考えずに口走ったことに気が付いた。
「あ、いや」
首を振って、どう誤魔化そうか考える。結局何も思いつかずに、力技で行くことにした。
「美咲って正義感が強いんだね」
「正義感、ですか?」
美咲がきょとんと訊き返す。
話についてきてくれたことに安心して言葉を続ける。
「だって子供が煙草吸ってるって思ってあたしを連れ出したんでしょ? 子供じゃないけどさ。なかなかできないことなんじゃないかな」
言ってからこれ嫌味っぽくないかなと気になったが、美咲は案の定というべきか複雑そうに顔をしかめた。
なにかフォローを言うべきか考えていると、美咲の方が躊躇うように口を開いた。
「法律に反してますし普通だと思うますけど……」
「まあ、それもそうか……」
力技すぎて発言もズレてしまったようだった。頭を掻いて、誤魔化しを言い足した。
「でも、他人のためにあんなに怒れるっていうのはすごいことじゃないのかな」
「それは理緒さんのことが心配だったからで……」
「心配?」
きょとんと訊き返す。まるっきり予想していなかった単語が飛んできた。
美咲はだったとばかりに口を手でふさいだ。わかりやすぎるリアクションだが、話題は逸らせたようだ。だが美咲の発言は気になったので掘ってみることにする。
「心配ってどういう意味?」
「いえ、別に……そういえばさっき目がどうとか言いました?」
反対に掘り返されて、ぐっと言葉を詰まらせる。
こめかみに指をあてて目線を逸らす。じっと見られているのを感じて、諦めて答えた。
「……美咲の目がキレイだなって思ったんだよ」
「キレイ、ですか?」
おうむ返しに訊き返す美咲を見ないまま、小さく頷く。
「素直で真っすぐなすごくキレイな目だと思ったから」
言いながらだんだんと恥ずかしくなってきた。何を言っているのだという羞恥で美咲の方を見れないままだった。
美咲はうーんとうなった。
「えっと……褒められてるんですか?」
「褒め、てるよ。うん、すごい美人だし」
「美人って……」
「言われるでしょ?」
美人というのには照れはない。目は印象の話だが、美咲が美人なのは完全な事実だ。
アイドルかモデルでも余裕で通用しそうなルックスだ。理緒はそのあたりに詳しいわけではないのだが、並んでも違和感はまったくないだろう。
「言われるかなぁ……あ、でも目のことを言われたのは二度目です」
「へぇ、そうなんだ」
「はい。だから、なんだか嬉しいです」
本当に嬉しそうに無邪気に笑う美咲に微苦笑で頷く。この子は目だけではなく言葉も素直だ。嬉しいということを素直に言えるのは、家で愛されて育ってきたのだろうと思わされる。
「理緒さんだって、すごくかわいいじゃないですか」
「まあ、小っこいからね」
淡々と告げると、美咲はぶんぶんと両手を振った。
「いやそうじゃなくて!」
慌てる美咲に、くすりと笑いがこぼれた。
からかわれたと気づいたようで、美咲は安心したような笑みを浮かべて言い足した。
「理緒さんってなんか猫みたいでかわいいと思います」
『理緒って猫みたいな可愛さだよね』
過去に言われた言葉が、美咲の声と重なるようにして頭の中に響いた。
目の前にいるのが誰なのか、わからなくなった。確かめるために名前を呼ぼうとしたが、何を口にすればいいのかわからない。口を開いても、何も言葉は出てこない。
心臓が大きく脈打った。
「――さん」
何かが聞こえる。誰が、何を言っている?
「理緒さん!」
美咲の呼び声が耳を打った。眠りから覚めたように視界が鮮明になっていく。
「あ……」
目の前には美咲がいた。当たり前だ。美咲と会って話していたのだから。
「大丈夫ですか? どこか具合良くないんじゃ……」
遠慮がちな言葉に、平静を取り繕って手を振る。
「大丈夫だよ。ちょっとした貧血だよ」
答えながら、もう帰ろうと考える。美咲の前だと自分は普通でいられない。美咲は何も悪くない。悪いのは、自分だ。
心配そうにしている美咲に笑いかけて、立ち上がる。
「あたしもう帰るね」
「あ、はい」
つられたように美咲も立ち上がった。連れたって公園を出たところで、美咲に向かって訊ねた。
「美咲はどっち?」
訊かれて戸惑ったようだったが、理緒の目線で意図は伝わったようだった。控えめに来た方向を指さした。
「わたしは……お店の人に謝ってきます」
「そっか、あたしはあっちだから」
違う方向を指さす。美咲と同じでなければそれでよかった。紫の昼食を作れないかもしれないが、それは後で謝っておこう。
美咲が何かを言いたそうにしたが、さえぎるように先に告げる。
「じゃあね」
そのまま帰ろうと背を向けて歩き出す。これで、もう変なことは考えなくていい。
だが、そんな理緒の足はすぐに止められることになった。
「理緒さん」
呼びかけに、縛り付けられたように足が止まった。「何?」と首だけで振り返る。
美咲は声をかけてはきたがしばし躊躇ったあとに訊いてきた。
「また会って話してもいいですか?」
「どうして?」
訊き返すと、美咲は目を泳がせて口をつぐませた。
意地悪な言い方をしたことに苦い後悔がこみあげてきた。適当な返事をして流してしまえばそれでよかったのではないか。
どうにも調子を崩している。それが美咲には何一つ関係がないことに罪悪感も感じるが、どう立て直せばいいのかもわからない。
だが美咲は戸惑いながらも言葉を返してきた。
「お詫びです。失礼なことを言ったのでなにかごちそうさせてください」
明らかに今思いついたような口実に眉根を寄せる。美咲は一体どういうつもりこんなことを言ってきているのだろう。
断るべきだ、そう思い、口を開く。
「わかったよ、じゃあ、連絡ちょうだい」
「はい!」
ほっとしたような美咲の笑顔に、曖昧に笑って今度こそ公園を出る。
歩みを進めながら、苦い後悔が押し寄せてきていた。
(なんで断らなかったんだろう)
しばらくひきずりそうな自己嫌悪の重みを感じる。
とにかく帰って、酒を飲みたかった。
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