葉山理緒と九重美咲 5

「うーん……」


 何度見ても、変わらないものは変わらない。

 美咲は勉強に集中できていないことを自覚して、ゆるく息を吐いた。スマートフォンには、着信はない。

 だがそれを期待するのもおかしな話だともわかっている。美咲は期待している相手にメッセージを送ったわけではないのだから。

 スマートフォンのケースを閉じて、視界に入らないようにベッドに放る。

 これで勉強に集中しようと机に向かうのだが、数分でベッドをちらりと見てしまう。

 理緒と出会って、ちょうど一週間が経った土曜日の午前十時だった。今日は特に用事もなく、宿題を片付けようとこうして机に向かっている。少なくとも、形だけは。

 この一週間、喉にひっかかった小骨のように理緒の存在が気になっていた。理緒からの連絡はやはりないし、美咲だって何もしていない。

 何か送ろうかとは何回も思った。軽い挨拶でも、また遊びに来てよとか、そんな他愛もないことですら何も送れずにいた。

 ユキを保護してくれたことはとても感謝してる。ケーキを食べてもらっただけでは返せないぐらいだとも思ってはいる。けれど、美咲が理緒のことを考えているのはまた別なのだという自覚もあった。


(うーん、かといって……)


 理緒は、一目見てユキに似ていると感じた。猫っぽいというか、なつかない野良猫かのような印象を美咲に与えた。ユキが理緒になついていたのも、二匹の猫が寄り添っているように見えた。

 一番気になったのは、家のことを訊いたときの反応だった。美咲としても深い意味はなくただ流れで言っただけのものだったが、理緒の様子はおかしかった……と思う。

 あれぐらいの年齢なら――小学校6年生、いやさすがに中学生ぐらいか――家族に対して素直な気持ちを持てないことは不思議なことではない。というより自然なことともいえる。

 何もおかしくはない。それなのにどうしてだかあの時の理緒が気にかかってしょうがない。たまたま家族と喧嘩していたとか、なんともないことなのかもしれない。だけど、理緒の子供らしからぬ傷ついた表情が頭から離れなかった。

 一言で言えば。


(心配、なのかな。理緒ちゃんのこと)


 それを言葉で認識すると、机に突っ伏した。力なくうめく。


「何様だよ、わたし……」


 胸にほのかな自己嫌悪がこみあげてくる。

 こんな風に人とかかわるのは自分にも相手にもよくはないと知っているのに。

 このまま、互いに連絡しないままの方がいいのかもしれない。

 苦い思いでそれを認める。とはいえそれはそれで勉強をする気持ちも完全に切れてしまった。

 どうしようかなとうだうだしていると、スマートフォンが鳴った。ベッドに飛び込む勢いでスマートフォンを手に取り確認する。


『買い物してきてくれる?』


 一階にいる母親からだった。

 思い切り力が抜けた。反射的に断る返事を送ろうとして、理性が『いいよ』と返信させた。

 外着に着替えて、部屋を出る。リビングでは和香がテレビを見ていた。


「もう買い物なら直接言ってよ。誰かと思ったよ」

「誰だと思ったの?」


 さらっと訊き返されて、ぐっと言葉に詰まる。理緒のことを考えていたとは、なんとなく言いにくかった。

 和香ははい、と財布を渡してきた。


「買うものもメッセージで送っておくから。美咲も買いたいものあったら買っておきなさい」

「はーい。行ってくるね」


 家を出るとすぐにメッセージが来ていた。野菜やら、トイレットペーパーなどだ。自分はチョコでも買おうかなと考えながらスマートフォンをポケットにしまう。

 行先は遠いわけではないが、自転車で行く方が楽だ。だけど、今日はなんとなく徒歩で行くことにした。

 日差しはあるが、吹く風はやや冷たい。今年の春はなかなか気温が上がらないと天気予報でも言っていた。もう五月になろうとしていて桜も咲くのだから、そろそろ暖かくなってほしいのだけど。

 歩きながら、視線をさまよわせているのを意識した。最近は登下校の時にも近所では同じようにしている。

 理緒の家は近所で、偶然会うことも十分ありえるはずだ。会ってどうするのかはわからないけれど、歩きながらつい探すのがここ最近の癖になっていた。

 まるで、好きな人を探すかのように。

 美咲は内心にぶんぶんと首を振る。相手は小さい中学生で、同じ女の子だ。そういう意味で探しているわけではない。

 頬が熱を持つのを感じて、手で軽く仰ぐ。

 道を曲がって枝道に入る。細く人通りのない道で、明るいうちではないと歩きたくないが、スーパーに行くにはここを通るのが近道だ。近道でも普段はあまり通ることはしないが、今日はたまたま気が向いた。

 道を進んでいくと、ある建物が目に入った。


(まだあったんだ)


 小さな店だ。雑貨屋というのか駄菓子屋というのかよくはわからない。店自体は古いが、意外にいろいろなものが売っていたような記憶がある。美咲自身も小学生の時に買い物をしたことがある。

 しかしもう何年も行っていない。この道を通るたびに「まだあったんだな」と思い出す。

 店を通り過ぎる時、店内に目を向けてみた。すると、知った顔がレジで買い物をしているのが見えた。

 美咲は足を止めて、その人物を見た。顔より、気になるものを手に持っていた。

 煙草だ。煙草の箱を手に取って、店主と話している。

 その人物は煙草の箱のビニールを破り、中から一本を口にくわえた。

 煙草を買うどころか今まさに吸おうとすらしているのは。


「理緒……ちゃん?」


☆☆☆


 煙草が切れた。

 空になった煙草の箱を振る。空なので当然何の手ごたえもなく、あーとうなってゴミ箱に捨てた。

 目を覚まして一服しようとしたところだった。昨夜最後の一本を吸って、明日買いに行こうと思って寝たのを思い出した。


「買っておいてよ昨日のあたし」


 自分でもよくわからない八つ当たりをして、仕方ないなと出かける支度をする。といっても上着を羽織るだけだ。

 外に出ると、既に倦怠感を強く感じた。土曜の朝っぱら――実際には十時半だが――から外出する習慣は理緒にはない。

 目当ての店はすぐ近くで、慣れた調子で入っていく。

 店内には客の姿はない、どころかレジにも誰もいなかった。奥の空間に向かって、声を張り上げる。


「サキさーん、いるー?」


 呼びかけからややあって、奥から女性が面倒くさそうに出てきた。

 背中の中ほどまでの黒髪に金のメッシュが入っていてる女性だ。機嫌が悪いような目つきは見るものを委縮させるが、機嫌の問題ではなく素のものだと理緒は知っている。


「いるに決まってるだろ店開いてるんだから」

「レジにはいようよ」


 理緒の指摘を無視して、女性はどっかりとレジの椅子に座り込んだ。

 羽柴紫はしばむらさき、26歳。この雑貨屋だか駄菓子屋だかわからない店の店長だ。もともとは紫の祖母が経営していた店だったが、退いてからは完全に紫の店になっている。

 理緒がこの店に通い始めたころは、まだその祖母が店長だった。紫は手伝いとして店番をしていて、理緒はむしろ紫とよく話していた。

 付き合いはもう五年になる。そのころから、理緒が買うものは決まっている。


「ほら、いつもの。何箱だ?」

「二……やっぱり三で」

「少し数増えたんじゃないか? ついこないだ買ったばかりだろ」

「そうかな。変わらないと思うんだけど」


 頬を掻いてうめく。

 この店は、紫が経営するようになってから明らかに煙草の取り扱いが増えた。理緒は同じものしか買わないのだが、どんどん煙草が店のスペースを侵食していくのを不思議な気持ちで眺めてきた。通い始めはこの店にもまだ小学生の姿があったが、今ではほとんど見ることはない。それどころか煙草好きが来ているのを見ることがあるぐらいだ。理緒はよくわからないがマニアックなものがあるらしい。

 代金をトレイに置く。紫はレジの下から雑にマルボロの箱を出してきた。

 受け取る前に、気になったことを指摘する。


「サキさん、痩せた? ちゃんと食べてる?」

「いっちょ前に人の心配して。あんたこそ食べてるのかよちっこいまんまで」

「サキさんよりは健康に食べてるよ」


 呆れた息を吐いて、煙草と釣りを受け取る。ポケットに入れる前に、少し考えた。


「ちょっと、中入っていい?」

「ああ、いいぞ。吸ってくのか」

「うん、それとお昼ご飯作るよ。何もないでしょ?」

「そうだな……じゃあ頼むよ」


 紫の了承を受け、煙草の箱を開けて一本を口にくわえる。店内ではさすがに吸えないが、中では吸えるところはある。

 と、店のドアが開いた。珍しいなと思いつつ視線を向けると、思っていなかった人物がそこに立っていた。


「理緒ちゃん……!」


 美咲が焦った表情で足早に近寄ってきた。

 あ、とくわえている煙草に気づいたが、もう遅かった。

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