葉山理緒と九重美咲 4
アパートに帰り着くと、入り口の壁にもたれていた人影が大きく手を振ってきた。
「おーい、理緒ー」
「香澄?」
口の中でつぶやき、半眼でその相手を見やった。今朝がた部屋から追い出した友人だった。
「理緒、お帰りー!」
人懐っこい笑みを浮かべた友人の
「なんでいるの」
香澄は高校生からの付き合いで、親友と言っていい間柄だ。同じ大学に通っていて、理緒の家には頻繁に遊びに――飲みに――来る。
香澄はとてもキレイな黒髪のショートヘアで(本人は濡羽色と言っているのだが、理緒はどんな色なのかは知らない)、ルックスもスタイルもいい美人だ。ゆったりとしたコートを羽織っていて、そのスタイルは目立たないが。
ガールズバーでアルバイトをしているようで、昨晩は営業終わりに酔っぱらった状態で理緒の家に転がり込んできた。とりあえずは泊めてやり、朝になってから「とっとと帰れ」と蹴りだしたのだったが。
「なんでって、メッセージ送ったじゃん。行くって」
「え、ほんと?」
見逃したのかとスマートフォンを確認するのだが、香澄からのメッセージは来ていなかった。香澄とのやり取りは、三日前のものが最後になっている。
「来てないけど」
「えー、嘘だー」
香澄は帰宅に笑ってスマートフォンを取り出した。操作してすぐに「あー」と嘆息した。
「違う人に送ってたや。まあいいや、遊びに来たよ、入れて!」
「あんたねぇ……」
呆れている理緒の前に、ビニール袋が突きつけられた。
「なにこれ」
「理緒の好きなウィスキー買ってきたんだけどなー」
袋の中を覗き込むと、確かに理緒の好きなジャックダニエルが入っていた。腕を組んで、悩むふりだけをしてから告げる。
「よし、入室を許可する」
「わーい、理緒大好き!」
「晩御飯は食べてく?」
「食べる食べる。でもパスタ以外がいいな」
「あー……じゃあなんか作ったげるよ」
「やったぁ! 理緒大好き!」
「そうだ、沙耶も呼ぼうよ」
もう一人の親友の名前を出すと、香澄かぶりを振った。
「さっきメッセージ送ったけど、今日は無理だって」
「そっか。社会人は忙しいんだろうけど……最近会えてないな……」
部屋に入ると香澄は理緒より先に中に入っていき、勝手に指定席にしているところにクッションを置いて腰かけた。クッションは香澄が自分用にといつの間に置いていったものだ。この部屋にはそういう香澄の私物が色々と転がっている。
香澄はテーブルにウィスキーを置いて、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してロックグラスもテーブルに並べて飲む準備を始めだした。
そんな香澄をやや複雑な気持ちで眺めていたが、やがて諦めてトートバッグを放り投げて席に着いた。
「買い物でも行ってたの?」
「ん?」
香澄は視線をトートバッグに向けていた。ああ、と首を振る。
「違う違う。えっとね……」
ロックグラスのウィスキーを一口飲み、ユキが部屋に入ってきたところからかいつまんで話した。
聞き終えた香澄はふーんと頷いた。
「そんな可愛いんだ、美咲ちゃんて」
「ん、そう……だね」
「見たいなー、写真とかないの?」
「撮ってないよ……」
呆れてうめき、ウィスキーをあおる。
香澄も同じくあおり、しれっと訊いてきた。
「付き合うの?」
ウィスキーを吐き出しかけてげほげほとむせた。
立て直して、香澄を睨みつける。
「あのね、今日会ったばっかの相手にそんなことあるわけないでしょうが」
「それ、なんか関係ある?」
「大体、高校生の女の子なんだし」
「それも関係なくない?」
「…………」
返す言葉を失って、目線を落とす。なんていうか、香澄はこういうやつだ。
黙っていると、空になったグラスにウィスキーを注がれた。目で水を示すと、そちらも足してくれた。少し水が少ない気がしたが、まあいいかとグラスを手に取る。
ちびりと口をつける。何か言った方がいいかと言葉を探していると、香澄の方から口を開いた。
「付き合いたいって思ってないの?」
「……なんでさ」
「理緒の話し方。気に入ったのかなって」
香澄の指摘は不思議と理緒を動揺させた。少なくとも理緒はそんな話し方をしたつもりはない。香澄は大雑把な性格だが、意味のないあてずっぽうを言う性格でもない。
香澄なりにそう感じる何かがあったのだろうかと、思わず内心を探る。
美咲は良い子だと思う。明るくて、美人で、ちょっと抜けてそうだけど優しくて。
だからと言って、付き合いたいだとかはない。今日会ったばかりの相手に、そんなことをすぐに考えるわけはない。
内心に結論を出して、口を開く。
「良い子だなとは思うけど、そういうんじゃないよ」
「連絡先交換したんならさ、デートに誘っちゃおうよ」
「誘わないよ……」
「えー、つまんない」
「あんたのつまんないは知らないよ」
言下に切り捨てる。香澄はめげずにじゃあさ、とテーブルに身を乗り出した。
「気になる人とか、今いないの?」
「いないよ」
答えて、ごまかすようにウィスキーを飲み干す。少し飲みすぎている気がする。良くないペースだ。
香澄はそっかと素直に頷いた。かと思ったらでもさ、と話を続けた。
「気になるんなら、素直に突っ走ったほうがいいよ」
「いやだからさ……」
言い返しそうになって、やめる。このままだとずっと香澄のペースになるので、質問を返すことにした。
「香澄こそさ、気になる人はいないの?」
「んー、いないよー」
いくぶん怪しい呂律で返事をしてくる。いつの間にかジャックダニエルの瓶が結構目減りしていた。いくらなんでもこんない減るだろうかという量だったので、瓶をこちらへ寄せて香澄に触れさせないようにする。
「面白い人はいるけど、ぴんと来る人っていうのは中々いないよね」
こう言っている香澄は、男女問わずに付き合う未満の微妙な付き合いを繰り返している。香澄の基準に合う相手は見つからないようで、すぐに別れてしまっているようだった。高校生の時はもっと派手にしていたことを想うと、随分と落ち着いたと言っていいだろう。
香澄は、理緒にとってかけがえのない親友で、話しやすい相手だ。一番素を見せられるし、気を張ることなく自然に話すことができる。
だから、香澄のことは大事だ。自分も、香澄にとっての大事で在りたいと思う。
香澄に良い人が見つかれば、それは良いことだと思う。
(逆に、香澄もあたしにそう思ってるのかな)
そう思うと、どこか気恥ずかしい感覚があった。
そんな理緒の感情を知らずに、香澄は続ける。
「でもさ、だからこそそういう人がいればちゃんと捕まえたいよね」
そう語る香澄はいかにも楽し気だ。
自然と頬が緩んだ。香澄はきっと機会があれば捕まえるだろう。そういう真っすぐさは、素直にうらやましいと思う。
真っすぐな――
ベランダに目を向けて、ぽつりと言葉を漏らす。
「目が、さ」
ジャックダニエルの瓶に手を伸ばしていた香澄は(理緒はその分遠ざけていた)、動きを止めてこちらを見てきていた。
それを感じながら、話を続ける。
「すごくキレイだったんだよね。真っすぐで、輝いてて」
「例の、美咲ちゃん?」
香澄の問いに首肯する。アルコールが舌を滑らかにしている感覚が、意味もなく心地よい。
「それがさ、いいなあって思ったんだよ」
「ぴんと来た?」
「そういうのじゃなくて、ほんとにただいいなあって思っただけ」
ベランダを見ていたところで、何か変化があるわけでもない。何かを期待しているわけでもない。
香澄に視線を戻すと、じーっと理緒の顔を覗き込んできていた。見返して、告げた。
「ほんとに、ただそれだけ」
「……そっか」
香澄は笑みをたたえて、ふうんと静かに頷いた。
陰からこっそり瓶に伸ばしてくる手を軽く叩く。
「いや、このウィスキーそもそもアタシが買ったんだけど」
「ちょっとペース速すぎ」
不満顔の香澄に軽く笑い、仕方ないなと注いでやった。香澄は酒にはかなり強いのでそうそう潰れはしないだろうが、その分はしゃぐ時間が長くなる。それも、まあいいかと受け入れることにする。
香澄に話したことに嘘はない。ほんとに、ただそれだけのことだ。
それに、もう会ったりすることもないだろう。
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