葉山理緒と九重美咲 3

 ユキを拾ってくれたお礼をしたいから家でケーキでもどうかな。

 要するに、そういうお誘いということのようだった。少し迷って、美咲の誘いを受けることにした。


(まあ、暇だしね)


 美咲と歩きながら内心でつぶやく。それよりも、


「理緒ちゃんは猫好き?」

「……わかんない。今まで触ったことはなかったし」

「そうなんだ、ユキは人懐っこいけど――」


 美咲は確実に理緒のことを年下として扱っている。そういう機会が多いので、相手が理緒のことを何歳ぐらいと見積もっているのかはなんとなく見当がつくようになっている。美咲の態度は、おそらく理緒のことを小学生だと思っているそれだ。

 年齢を訊いてくることもなかったので、自分が大学生であると主張するタイミングもなくなってしまった。自分から言うと怒っているととられかねないため、理緒も話を合わせることしかできずにいる。

 そのまま年下の子供という体で道中での会話を重ねた。美咲は高校生になったばかりだということ――やっぱり年下だった――ユキは5歳で、これまでも脱走の前科があること、美咲は一人っ子で今家には母親しかいないことなどを語った。理緒もいくつか他愛もないことを訊かれたので、曖昧に応じた。

 九重家には5分もせずに到着した。大きめの一軒家で、なんというか想像通りだった。いいとこのお嬢様というのは言い過ぎだろうが、伸び伸びと育ったような育ちの良さが美咲からは感じられていた。


「お母さん、ただいまー」


 玄関を開けた美咲が声をあげ、理緒に向かって笑いかけた。


「遠慮せずに入って。理緒ちゃんは我が家の恩人だからね」


 理緒は曖昧に頷いて美咲についていった。玄関からして片付いていて清潔で、思わず居住まいを正されるような感覚があった。

 リビングもちゃんと片付いていて、掃除が行き届いていることがわかった。小洒落たダイニグテーブルや、大画面のテレビ(これはちょっと欲しい)、統一感のある家具が逆に落ち着かなさを感じさせた。

 他人の家の匂いだ。それも、落ち着かない方の。

 ダイニングテーブルにはショートケーキが三皿並んでいる。電話をしてから買ってきたわけもないので、もともとあったのだろうかとどうでもいいことを考えた。


「いらっしゃい、理緒ちゃん」


 声の方を向くと、キッチンから上品な物腰の女性が姿を見せた。電話で話した美咲の母親――和香だろう。理緒は目をぱちくりとさせた。本当に母親かと思うぐらい、若く見える。美咲によく似た美人だ。

 呆けていたことに気づき、慌てて頭を下げる。


「お邪魔します」

「ゆっくりしていって。ユキをつれてきてくれてありがとうね。そうだ、美咲」

「なに?」

「先にユキの足洗ってきてあげて。外歩いたんだから汚れてるでしょ」

「えー、今!?」

「今しかないでしょ。ささっとでいいから」

「はーい」


 美咲は膨れたようにしながらも素直にトートバッグの中のユキに話しかけながらリビングから出ていった。家に入ってもユキを出していなかったことからも、美咲も洗うつもりだったのではないかと思えた。文句を口にしてはいたが、仲が良いのだろう。

 和香は理緒に座るように勧めた。三つのうちどこに座ればいいかわからずにいると、ここに座りなさいと指定された。L字にケーキが置かれている角の席だった。

 理緒が座ると、和香はふんわりと笑いかけてきた。


「オレンジジュースでいいかしら?」

「は、はい。大丈夫です」


 理緒の返事に頷いて、和香はキッチンに引っ込んでいった。すぐにペットボトルとコップを持ってきて、並べていく。自分の分を入れようとしたら止められたので大人しく座ったままでいた。

 オレンジジュースの入ったコップを受け取り会釈する。美咲が来るまでは待とうとコップに口をつけずに置くと、正面に座った和香はくすりと笑った。


「いいのよ、先に食べて。あの子もすぐ来るだろうし」

「あー、いえ。待ちますよ」

「そう?」


 和香は無理にとは言わず、自分の分のオレンジジュースを口にしていた。

 飲み物ぐらいならいいかと思って口をつけたところに、和香の質問が飛んできた。


「ところで、理緒ちゃんはおいくつ?」


 オレンジジュースを吹き出しかけて、どうにか堪えて飲み込む。

 コップを置いて、和香と目を合わせる。和香の目は、理緒の実年齢に見当がついているように見えた。

 どの道嘘をつきたいわけでもない。苦笑する心地でうめくように答える。


「あー……20歳です」

「あら、てっきり美咲よりふたつかみっつ上ぐらいかと」


 和香はかすかな驚きを示して、頬に手を当てて嘆息する。美咲よりふたつかみっつということは18ぐらいには見えていたということか。年齢で上に見られた新記録かもしれない。

 そんな思いを噛みしめながら、弁解を口にする。


「すみません、だますつもりはなかったんですけど……」

「いいのよ、どうせ美咲が勝手に勘違いしたんでしょ。あの子そそっかしいから」


 やわらかく笑う和香に、愛想よく笑い返す。怒られることを本気で心配したわけではないが、そういってもらえて少し楽になった。

 和香は目を細めて視線をよそに向けた。リビングを抜けるドアの方だ。ほんの少し、シャワーの音が聞こえるような気がした。美咲がユキを洗っているのだろうか。

 ジュースをもう一口飲み、不躾にならないようにリビングを観察する。幸せな仲の良い家族が住まう、ごく一般的な家庭に映った。

 そんな感覚も、ただの個人的な思い込みに過ぎない。実際のところは本人たちにしかわからない。それはわかっているのだが、なにかに引きずられるような落ちるような感覚がどうしても消えない。

 美咲に会った時の衝撃がまだ尾を引いているのを自覚して、内心でうめく。


(どうにも……)


 調子が悪い。誘いなど初めから断っておくべきだったのかもしれない。


「理緒ちゃん、ジュースのお代わりはいる?」

「え、あ、はい」


 戸惑いながら頷くと、和香はいやねと笑った。


「別に怒ってるわけじゃないんだから、楽にしてほしいわ」


 理緒が押し黙ったのをそう解釈されたらしかった。適当に笑い返して、注いでもらったコップを受け取る。

 和香は笑みを深めて、囁くように訊ねてきた。


「ところで、美咲には言う?」

「あー……じゃあ、言わないままで?」


 どちらかといえば和香の雰囲気から読んだ発言だったが、お気に召したようだった。


「お母さん、終わったよー」


 美咲の声がして、和香が人差し指を唇に当てた。わかりましたという意を込めて、小さく頷いておく。

 美咲はユキを抱えながらリビングに戻ってきた。理緒に向かって笑いかけると、ユキを床に放した。ほれ、という合図に従うようにユキは理緒の足元までやってきた。理緒を見上げてなーと鳴くと、ぴょんと膝の上に乗ってきた。そのまま、じっと理緒の顔を見上げてくる。

 どうすればと思い美咲に視線を向けると、面白そうに笑っていた。


「理緒ちゃんのこと、好きみたい」

「好き……」


 そう言われてもという思いでユキを見下ろす。無感動な瞳にそんな感情はとても読み取れなかったが。

 手を伸ばしかけて、ふと訊ねる。


「ユキちゃん、は……どこを触るといいですか?」

「あごの下、触ってあげて」


 言われたとおりにあごの下に触れ、指で掻くように撫でてみる。ユキは目を細めてぐてっと横になり、ごろごろと喉を鳴らした。

 催促されているのかやめろと言われているのかわからないぐらいユキがぐねぐねと動く。美咲を見ると頷かれたので、おっかなびっくりとあごの下を撫で続ける。


「じゃあ、お母さんはやることあるから外すわね。理緒ちゃん、ゆっくりしていってね」


 和香はそう言って立ち上がり(いつの間にかケーキを平らげている)、リビングを出ていった。

 ユキはそれを察したようにぱっと起き上がり理緒の膝から降りて、和香の後をついていった。

 美咲は理緒の隣に座って、やたらニコニコとした笑顔を浮かべている。


「理緒ちゃん、ケーキ食べよっか」

「う、うん」


 美咲の促しに応じて、ケーキを口に運ぶ。甘いものはそれなりに好きで、思わず顔がはころんだ。たぶん、高めのケーキだ。

 美咲はケーキを食べるとんーと満足そうに喜んでいた。その表情は、どこか和香と重なるものを感じさせる。


「ケーキどう?」

「すごく美味しいよ」

「だよね! ここのケーキ好きなんだ」


 美咲は子供っぽいぐらいに喜びを表してケーキを食べていく。苺を残して少しずつ削っていく美咲の姿はとても微笑ましい。理緒はと言えば苺は最初に食べてしまった。

 美咲の笑顔は屈託がなく、真っすぐだ。友人にも似たような奴がいるが、それとはまた違うタイプだ。

 まぶしさを感じさせる、そんな笑顔だ。

 しみじみとしたつぶやきが、我知らずに口から漏れ出た。


「……良い家だな」

「え?」


 面食らった美咲の声で、自分が声を出していたことを知った。追及の視線を感じて、仕方なく言い足す。


「和香さんに、美咲……さんがなんていうか、良い家族に見えたから」

「えー……そうかなぁ」


 美咲は困ったようにうめいて、視線をさまよわせた。やがて、理緒に視線を戻すと遠慮がちに訊ねてきた。


「理緒ちゃんのお家はどうなの?」


 別に、普通だよ。

 そう口にしたつもりだったのに、言葉が出てきていなかった。口をパクパクさせるだけで声を出せず、咄嗟にコップをつかんでジュースを口に含んだ。

 一息に飲み干して、なんとか答える。


「あたしの家は普通だよ」


 笑みを浮かべて言ったつもりだったが、うまくいってないのが美咲の表情からもわかってしまった。美咲は困ったような表情で言葉に詰まっているようだった。

 美咲の視線から逃げて、ケーキを食べることを再開する。激しく噴出する自己嫌悪が、ケーキの味をわからなくさせていた。

 美咲がテーブルに何かを置いた。手帳型のケースに入っているスマートフォンだ。


「理緒ちゃん、スマホは持ってる?」

「あ、うん」


 ポケットからスマホを取り出す。理緒のは透明なケースに入っているだけで、飾り気はまったくない。

 美咲はテーブルの上で手帳型のケースを開き、スマートフォンを操作してある画面を表示させた。メッセージアプリのQRコードだ。


「理緒ちゃん、お友達になってくれないかな」

「……は?」


 思わず素っ頓狂な声が出て、慌てて口をふさいだ。ごまかすように手を振るが、美咲も同じように慌てているようで手をぶんぶんと振っている。


「だ、大丈夫! わたしは怪しいものじゃないから!」

「え、う、うん……」


 よくわからないまま応えると、美咲は笑顔をひきつらせて硬直していた。

 変な空気の中、力が抜けた。途端にすべてが面倒になって、美咲のスマートフォンを勝手にとってメッセージアプリの連絡先を交換した。スマートフォンを返すと、美咲はわたわたと操作をした。

 理緒のスマートフォンが震えた。美咲から「よろしくね」という文章と猫のスタンプが送られてきていた。理緒も適当なスタンプを返して、スマートフォンをしまう。


「何かさ、話したいことがあったら聞くよ」

「はぁ……」


 明らかな生返事が出てしまった。しまったと思ったが、美咲は苦笑するだけでそれを流した。


「お姉さんだからね。相談とかも聞けるよ」

「……うん、わかったよ」


 とりあえず頷くと、頭に手を乗せられて優しく撫でられた。

 その仕草があまりにも自然で優しくて、きっとこの子はお母さんやお父さんにこうやって撫でてもらってたんだろうなとわかってしまった。

 美咲の真っすぐな目にまぶしさを感じて、思わず目を細めた。

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