第7話 ゴートキング

 ボブの髪型でかつハーフツインテと一見すれば幼さが残る艶やかな髪。

 煌びやかに輝くエメラルド色の双眸。

 背中を壁にぶつけ、麗しく品のある顔には煤がかかったかの様に黒く汚れてしまっている。


 正方形のキューブ上の空間。逃げ場はない。


 彼女を追い詰めているのは、ゴート・キング。

 そのモンスターの別名は【羊の王】。

 そいつは隠しダンジョンの長――今、彼女を壁際まで追いやっている元凶だった。


 羊頭人体のモンスターで異形の存在。

 少なくとも低階層で出会っていい怪物ではない。

 深層で挑戦する強さ……ゴート・キングはそのレベルだ。

 俺は視界に現れたキューブで彼女に見入っていた。


(……どうして、ここに愛奈がいるんだ!?)


 あの姿は見間違えようもない。


 ゴートキングに苦虫を噛んだような表情を浮かべるヒューマンはゲームだとパッケージに選出されているメインヒロインーー来栖愛奈だ。


 ゲーム序盤ではそこまで強くない愛奈であるが、終盤ではチートキャラと化す。


 剣の腕前は間違いなく主人公に並ぶはずだ。


 その女剣士――愛奈のあまりの強さから『愛奈たんマジ可愛かわ最強さいきょう!』と一部のプレイヤーは熱狂していた。


 ちなみに俺は雫たん派閥に属している。


 と、まあ今はそんなことはどうでもいいか。


 俺はなぜ来栖愛奈が学外ダンジョンにいるのか、その理由を考えた。


 たしか原作のゲームだと、愛奈はモンスターに極度に怯えていた様な気がする。

 そのくせ……強がりで主人公はじめ多くのキャラに対して男女問わずツンケンとした態度を取る。ちなみに神崎琢磨に対しては何と特別扱い。


 終始ずっっと生ゴミを見る目を向けていた。

 ツンケンの域を超越するキャラこそ神崎琢磨である。

 どんだけ嫌われてんだよ……こいつ。


 ただそのツンケンした態度も主人公の前では中盤のイベントを経たのち、素顔を見せ始め次第にデレるんだっけか……。


 性格はおいといて、彼女がモンスターに憶病になってしまった原因はひょっとするとこのゴートキングなのかもしれない。


 彼女はゲームの中では主要キャラ。


 ここで、俺が登場するまでもなく彼女は生き残るだろう。


 ただ……。

 俺はそこでもう一度キューブに映る愛奈の姿を視界に捉えた。


 ゴートキングの前で下唇を噛んでいる愛奈。

 きっと『助けて』なんて思っていないだろう。

 彼女は強がりな性格をしている。


 そして心に傷を、トラウマを負いながらきっとモンスターを倒すのだ。

 ひょっとすると、この一件を経て愛奈は魔法の力を開花させるのかもしれない。


 ゲーム知識があるといっても、こんな場面は知らなかった。

 今の俺がゴートキングを倒せる自信はない。


 何せ今日が初めての戦闘で、さっきまで最弱のスライムを倒してはしゃいでたのが俺だ。


 勝てる気は正直なかった。


 でも、だからといって愛奈が苦悶の表情を浮かべているのを見て放っておけるわけがない。


 俺は恐れることなく、隠しダンジョンに突入した。


 隠しダンジョンの観測者は戦闘への協力が認められる。


 原作者の性格が悪いのか、そんな人の良心を問うような仕掛けが隠しダンジョンには仕掛けられていた。


 すぐさま、その知識があった俺は隠しダンジョンの中---正方形のキューブに入っていく。


 一瞬だけ世界が真っ白に染まったが、目を開けるとそこにはゴートキングの後ろ姿が確認できた。

 その奥には壁際で剣を構える愛奈が。


(……助けないと)


 もしかすると、俺は重大な岐路に立たされているのかもしれない。

 ここで下手に俺が介入することで今後に影響が及ぶ可能性は十分に考えられる。


 でも、たとえそうだとしても。


(……苦しんでいる女の子一人救えないで強くなんてなれないだろっ)


 意地。矜持。

 それが神崎琢磨を……俺を奮い立たせた。


「……【つじ切り】!」


 勝てるのか? 隠しダンジョンなんてまだ荷が重くないか?


 そんな内に秘めた怖気をかき消すかの様に俺は大きな声で詠唱した。

 風の斬撃がゴートキングの背中を掠める。

 傷はどう見ても浅かった。深い傷を与えなければ目の前の敵には勝てない。


 ぐるり、とゴートキングはこちらに振り返った。

 荒い鼻息が隠しダンジョン内に響く。

 ゴートキングの攻撃対象はどうやら俺に映った様だ。


「……あいっ……そこの人は動けますか?」


 愛奈と呼ぼうとしたがぐっと堪えて見知らぬ人のフリを装う。

 愛奈は呆然と俺を見つめてから頷いた。

 少し距離があるが今のうちにやり取りはしておきたいところだ。


「……こいつを倒せる手段って持ってるか?」


 尋ねてみると、愛奈はどこか認めたくないようだったが、ふるふると小さく首を横に振った。


「……了解」


 口ではそう言いながらも、想定外の答えではあった。

 倒せる手段がないなら、なぜ彼女はこの隠しダンジョンを突破できたのだろう。


 少なくとも愛奈はこんな場所で退場するキャラではない。

 だってゲームの人気もすごいメインヒロインだ。

 誰かの助けがあったのか、はたまた土壇場で力が覚醒したのか。


 このどちらかなのだろうが、生憎俺もあの化け物に勝てる手段はなさそうだった。


「……そ、その……あなたは勝てそう?」

「やれるだけやってみるけど……無理だったらすまん」

「それ絶対無理なやつじゃない……」


 呆れた、と言わんばかりの視線を向けられる。

 勝てる見込みがないのになんで飛び出してきたんだ。

 そう言いたげなジト目だった。


 もう少し愛奈と話してみたいところだが、そんな余裕をゴートキングは与えてくれそうもない。


 大地を揺らしながら鈍い速さながらもこちらに着実にモンスターは近づいてきた。


 俺が現状使える技は……つじ切り、小さな風の二魔法とデスサイズを宙に浮かすことぐらいだ。


 正直な話、初撃のつじ切りが効かなかった時点で詰んでいる状況だがおいそれ、と逃げ出すわけにはいかない。


「……【小さな風】」


 初級魔法を詠唱し、俺は足元の石ころを宙に浮かせた。


 狙うはゴートキングの眼である。

 そんな俺の企みを見抜いたのか、愛奈はマジかといった失望の眼を向けていた。


 仕方ないだろ……こすい手を使わないと勝てそうにないんだから。

 ってか、そんな手も通用しなさそう。


 そう思いながらも俺はそよ風で浮かせた数多の石ころをゴートキングの眼を攻撃するために狙った。


「……ヴォオオオオオオオオオオオオ」


 ……が、ゴートキングの咆哮で空しくも石ころは床に転げ落ちた。

 そんな姿を見て、ふうと軽く息を吐くと愛奈は立ち上がる。


「……なんか緊張が緩んだみたい。私が何とかやる―――!」


 その瞬間、愛奈は駆ける。ゴートキングの元へ。


 剣閃は早くゴートキングの巨体を無数の傷が襲うが、どれも傷が浅い。

 最初こそすばやい動きでゴートキングの攻撃を交わしていた愛奈だったが、やがてゴートキングの爪が愛奈の胸部に直撃する。


 横からの攻撃だったため、こちらの方へと彼女の身体は飛んできた。

 俺は意識するよりも早く身体を動かし半ば反射的に受け身を取る。


 ―――ゴンッ。


 背中に強烈な激痛が走った。壁際まで衝撃で吹っ飛ばされたらしい。

 愛奈の受け身を取れてよかった、と俺は安堵の息を零した。


「……はあはあ。くそっ……厳しいわ」


 見れば彼女の防具ももうボロボロだった。

 先ほどの攻撃で鎧は砕かれ、胸部がほんの少し肌をのぞかせている。


 普段なら興奮し、胸の高鳴りを覚えるのだろうが……今の俺は臆病者だった。


 ―――痛い、怖い、痛い、怖い、痛い。


 背中の激痛。腹部の痛み。

 それがこれはゲームではなく現実だということを否応に知らしめてくる。


 舐めていた。

 ダンジョンは無数の死者を出す箱。

 それが、この世界では現実なのに……。


 身体が生の渇望からか、震える。

 恐怖の感情が今更、襲ってきた。


 考えたくなくても『逃げ』の感情が脳裏をよぎる。


 こんなんでチートを超える? 主人公達に追いつく? 無理だろ。俺には早いだろ……。


 すっと何かが冷えていく感覚がした。


「……こ、怖いならあなたは逃げることね。私が倒すべき相手なんだし」

「えっ」


 俺よりもボロボロな愛奈は小さく笑って言ってみせた。

 ここで俺が逃げ出しても彼女は何も文句は言わないだろう。

 だが、彼女の身体も恐怖心からか震えているのが目に取れた。


 ―――そうだった。来栖愛奈はそういうキャラだ。


 自分の弱さを見せず、本当はいつも寂しがり屋で、ツンケンした態度はその弱さを隠すために作られた姿で。


 俺は彼女を再度、強いと思った。

 愛奈は立ち上がり俺にその小さくも大きな背を見せる。


 地面に座り込む俺と俺の前で恐怖しながらも佇む愛奈。


(だせえな……ださすぎる)


 自分の不甲斐なさを呪いながら、俺は立ち上がった。


 愛奈は目を見開いてこちらを振り向く。

 不思議な感覚だ。

 先ほどまで逃げ出したい、怖いといった感情で支配されていたのに今では思考がクリアになっていて頭が回っていた。


 俺は愛奈の肩に手を置いてから言った。


「アイツを倒せる手がひとつだけある―――」

 

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