8月13日の彼ら

 インターホンの音に呼ばれ、玄関の内側から引き違い戸を開けると、空はもう茜色に染まり始めていた。

 小さな寺の玄関先で待っていたのは、忽ち肌にまとわりついてくる強烈な暑気と、シャワシャワとひっきりなしに降り注ぐ蝉時雨。

 そして、犬歯を見せてニヤけた笑いを浮かべるチャラそうな青年と、暑さの所為か目から生気が消え失せた、ボサボサ髪の冴えない男だった。

「用が無いなら帰れ」

 玄関戸を開けた袈裟姿の歳若い坊主が、口の端を露骨に曲げて、取りつく島もなく言い捨てる。

「用があるか無いかも言ってないのにぃ」

 モノトーンのストリートファッションに身を包んだ、派手な赤毛の青年が、心外そうに口を尖らせる。

 坊主は無言で戸を閉めにかかるが、敷居をさりげなく踏む青年のチェッカー柄のスニーカーに阻まれて、あえなく未遂に終わった。隠そうともしない溜息一つ、坊主は両腰に手を置いて青年に確認する。

「用があるんだな」

「あるある」

「ならばさっさと言え」

「何か甘いもの食わせて」

「帰れ」

 満面の笑みで両手を出す青年の要求に、坊主のこめかみには太い血管がくっきりと浮かび上がった。迸る殺気に危機感を覚えたのか、センス皆無のプリントTシャツとハーフパンツという出で立ちのボサボサ髪の男が、億劫そうに「まーまー」と宥めにかかる。

「そう邪険にするなって。ガリゴリくんさえ食わせてくれれば何も悪さはしねぇよ」

其方そなたも失せろ、この似非えせ聖人。此方こちらはカンカン照りの中、汗みずくで経を上げて回ってきたところだ。阿呆どもの相手をしてやるような気力は残っていない」

「カンカン照りはあんたの仕業、ってか、仕様だろ。ほら、用ならあるんだから、早く言えって」

 ボサボサ髪の男に肘で突かれ、促された赤毛の青年は、「冗談通じないんだから」と大仰に肩を揺する。手に提げていた紙袋を足元に置くと、中から取り出したものを両手で捧げ持った。

「これ、一緒に飾ってくれよ」

 坊主へと差し出されたのは、綺麗に中身をくり抜かれ、下部に四つの車輪が取りつけられたペポカボチャ。

 緻密なアラベスク模様が彫られたオレンジ色のカボチャの表皮には、ご丁寧に窓付きの扉まで再現されている。きちんと車軸が組まれた木製の車輪は、指で触れれば軽やかに回転するほどの作り込みである。

 手作りと思しき割には、異様に完成度が高いその造形物をたっぷり五秒間凝視してから、坊主はようやく質問を絞り出す。

「なんだ、これは」

精霊馬しょうりょううま。あ、違った。精霊馬車」

 あっけらかんと答える青年に、坊主はこめかみを指でぎゅっと押さえて頭痛に耐える。助けを乞うように視線を横へ流すと、ボサボサ髪の男も、やおら同じ紙袋を漁って何やら取り出すところである。

「思いのほか、よくできたもんで。ついでに、この精霊トナカイもよろしく」

「主犯は其方か。才能と技術の無駄遣いもほどほどにしておけ」

 頭部に二本の小枝が立てられた黄色いズッキーニを押しつけられ、坊主はもはや怒りを通り越して疲弊し始めている。カボチャとズッキーニを突き返し、ぴしゃりと固辞した。

「精霊馬ならば、キュウリとナスで十分だ」

「なんでぇ? イケてるだろ、このカボチャ。盆棚だって華やかになるしさ」

「飾り立てればいいというものではない。そんなわけの分からん精霊馬では、霊も帰るに帰れなくなる」

「そんなことないって、ちゃんと帰れるって。女の子なら、『シンデレラみたい』って喜んでくれるだろうし。あと、これなら足が悪い霊でも乗れるし」

「霊に足の良いも悪いもあるか。いくら其方が悪戯好きだろうが、先祖を愚弄するような真似は――」

「お、あそこの家、もう迎え火やってる。俺、ちょっと見物してくるね!」

 三軒向こうの民家の玄関先で立ち上る細い煙を目敏く見つけた青年は、カボチャの馬車を受け取らないまま、坊主が制止する間もなく走り去った。

「おい、話はまだ……!」

 坊主は反射的に玄関から飛び出したが、青年の足は速く、簡単には追いつけそうもない。見る間に小さくなっていく青年の背中と、手に持った西洋野菜とを見比べて呆れ果てた。

「なんだ、あれは」

 振り返った坊主に尋ねられ、上がりかまちに尻を乗せて足を投げ出していたボサボサ髪の男は、紙袋から出した団扇で自身を扇ぎながら釈明する。

「今日のところは大目に見てやってくれ。『お盆が羨ましい』って不貞腐れてたから、気くらいは紛れるかと思ってな」

「羨ましい?」

 首を傾げる坊主に、男は「そーだよ」と緩く頷いた。そして続ける。

「お盆に帰ってきた霊ってさ、歓迎してもらえるだろ」

 ボサボサ髪の男の言葉は思いがけないものだったようで、瞠目した坊主は、珍しくも目に見えて当惑する。扇ぐことを止めた手をだらりと下げた男の口元に、悪戯っぽいような、ほろ苦いような微笑が滲んだ。

「どこに行っても追い返されちまうからな。あいつの場合」

 その言葉に、坊主の両目がさらに大きく見開かれる。

 ――天国にも行けない。地獄にも行けない。現世にも帰れない。

 どこにも行けずに永遠に彷徨い続けるしかないという、そんな誰かの逸話を思い出したのだろう。二の句が継げなくなった坊主は、バツが悪そうに下唇を噛んで目を逸らした。

 そこへ、どこで手に入れたのやら、橙色の実が下がったホオズキを振り回しながら、赤毛の青年が足取りも軽く戻ってくる。

 男と坊主の間を流れる空気を敏感に感じ取ったらしく、青年は「あれ」と小首を傾げた。

「なんだよ、何かあった?」

 率直な質問を、ボサボサ髪の男が「いや、何も?」というありがちなフレーズで流しにかかる。それがかえって不審を招いたらしく、青年は鼻をひくひくさせながら男に詰め寄った。

「どうも怪しいなぁ。俺にバレたら何かまずいことでも――」

「おい」

 青年の冗談めかした追及に被せて、玄関に不機嫌な声が響いた。

 二人が首を回せば、眉間に皺を寄せたまま外履きを脱いだ坊主が、上がり框を跨ぎ越して廊下に踵を置くところである。

 背中を見せたまま、ぶっきらぼうに坊主は告げる。

氷菓子アイスはないが、水羊羹ようかんならある」

 目を瞬かせる青年と男を玄関に置き去りに、坊主は廊下を進み始めた。だが、すぐにぴたりと足を止め、じれったそうに振り返る。

「菓子が欲しいなら颯と上がれ。言っておくが、ただではやらんぞ。明々後日しあさっての準備を手伝うのが条件だ」

 ちらりと見えた彼の顔は、相変わらず不機嫌に歪んでいたが。

灯籠とうろう作りならばお手の物だろう、ジャック・ランタン」

 そう付け加えて再び袈裟の後ろ姿を見せつけた坊主は、気の所為か先よりも足早に、長い廊下の突き当りを曲がって消えていった。

 坊主の手にカボチャとズッキーニが乗っていたことを、記憶映像を再生して確かめてから、ボサボサ髪の男はこっそりと、背後の青年を伺い見る。

 青年はぽかんと口を開け、玄関の三和土たたきで棒立ちになっていたが、やがて、はっと我に返ったかと思うと。

「やる! 手伝う!」

 頬を紅潮させながら、あたふたとスニーカーを脱ぎ捨てて廊下に駆け上がり、慌てて坊主のあとを追いかけていった。

 ドタバタと騒々しい青年の足音と、「走るな」という坊主の叱責に失笑しながら、ボサボサ髪の男もまた、のろのろとその場に立ち上がる。

 ふと、開けっぱなしの玄関から表を見やれば、家々の玄関先に灯った迎え火が、夕暮れの空へ微かな煙を立ち上らせていた。




 Fin.

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