5月14日の彼ら

 鮮やかな黄色が目に沁みて、独特の刺激臭が鼻に沁みる。

 延々と繰り返されるインド風のコマーシャルソング。家族連れや若者グループが生み出す賑やかで楽しげなおしゃべりに、ステンレススプーンと陶食器が奏でるカチャカチャ音。あちらこちらのテーブルでは呼び出しボタンが遠慮の欠片も無く次々と押され、ひっきりなしに響く「ピンポーン」という無慈悲なベルが、店員たちを慌てふためかせている。

 広い店内に充満するのは、嗅ぐだけで涎が出そう、もしくは胸焼けしそうな揚げ油の匂いと、炊きあがった白米の匂い。そして何より。

 換気扇を通じて店舗の外にまで垂れ流される、強烈なカレーの匂いである。

「ライス大盛り激辛ビーフカツカレーに、ロースカツとチキンカツのトッピングでお待ちのお客様ー」

「俺だ」

 山と盛られた白米の上に、これでもかとばかりに肉を積載したドス黒いカレーの皿を受け取るのは、小さなカウンターチェアに窮屈そうに座る、厳めしい五分刈りの大男。

「甘口ポークカレーに、ハンバーグとソーセージと唐揚げのトッピングでお待ちのお客様ー」

「へーい」

 お子様ランチのような追加ラインナップを取り揃えた、見るからにパンチが無さそうな黄色いカレーの皿を恥じ入りもせずに受け取るのは、ペーパーナプキンでバレリーナの人形を作って暇を潰す、ボサボサ髪の冴えない男。

「中辛ベジタブルカレーに、チーズとオクラ、山芋、納豆のトッピングでお待ちのお客様ー」

「私です」

 ぐちゃぐちゃと汚らしい見栄えの、元々はありふれた茶色だっただろうカレーの皿を恭しく受け取るのは、紙エプロンをきっちりと装備した、禿頭と顎髭が特徴的な初老男性。

 ほかほかと湯気が上がる皿を目の前にドンと据え、三者三様の所作で「いただきます」を宣言すると、三人の男は三者三様のペースで、三者三様のカレーに取りかかった。

 彼らが陣取っているのは、カレー専門チェーン店の、扉を開けた真正面に並ぶカウンター席だ。年齢も体格も、複数の意味でいう人種も明らかに異なっているため、通常であれば、この三人が同一グループに属していると傍目に認識されることは無いだろう。

 しかし、入店とほぼ同時に彼らを目にした客という客は、誰もが一様にギョッとした後、不審そうな視線をべっとりと残してそそくさと通り過ぎていく。業務上、三人と直に接しなければならない店員たちに至っては、笑顔が不自然にピクピクと引きつる有様である。

 それもそのはず。てんで不揃いに見える男たちは、三人が三人、カナリアイエローの半袖Tシャツ一枚という出で立ちだった。

「ねぇわ」

 背中を丸めてテーブルに両肘を突き、黄色いカレーを口いっぱいに頬張りながら、ボサボサ髪の男が言う。

「これのことか」

 ボサボサ髪の男の右横、備え付けの特製スパイスを黒いカレーの上にしこたま振りかけながら、五分刈りの大男が福神漬の容器を押しやってくる。

「水ですか?」

 ボサボサ髪の男の左横、顎髭の男が穏やかに尋ねるが、彼は己のカレーの上に大量のラッキョウを配置する作業に夢中で、左手側にあるウォーターピッチャーを差し出してくれるわけでもない。

 当てつけがましく冷水を一気に飲み干し、ボサボサ髪の男はガリリと音を立てて氷を噛み砕いた。

「この状況がありえねぇって言ってんだよ。どっからどう見ても絵ヅラ最悪じゃねぇか」

「奢りと聞いてノコノコ出てきたのはてめぇだろうが。ガキみたいなカレー食いながら文句垂れるんじゃねぇ」

「フツーに昼飯食うだけだと思ってたんだよ。あんたに対して文句言ってるわけじゃないし。あとオニさん、そのカレー、肉肉し過ぎ」

 ボリューミーなチキンカツを一切れにつき一口で平らげていく大男に物申してから、ボサボサ髪の男は首を逆方向に回し、顎髭の男へ刺々しく話を振る。

「俺はあんたに言ってんだぞ」

 カレーを白米ごとスプーンで執拗に掻き回しながら、顎髭の男は丸眼鏡の奥の瞳をすっと細めて微笑んだ。スマートな体形とダンディな面立ちが、ぐちゃぐちゃカレーと黄色いシャツで台無しである。

「付き合って頂いているのですから、勿論、ここの支払いは全て私持ちです」

「金の話がしたいわけじゃないんだよ。あと、そのカレー、あんたに似て粘着質過ぎ」

「ネバネバは体にいいのですよ。それでは、一体なんの話を?」

「揃いのシャツ着たオッサン三人が肩を並べてカレー食ってる、この罰ゲーム的状況についての話だよ」

 苛立ったボサボサ髪の男が、カンカン、とスプーンで皿を叩いて迫るが、のんびりとカレーを口に運んだ顎髭の男は、しつこく咀嚼を繰り返して飲み込んでから、しれっと答える。

「今日はイエローデーですから」

 マンゴーラッシーを極太のストローで啜るボサボサ髪の男と、五杯目となるビールジョッキを空にした大男が、眉間に深い皺を寄せて動きを止め、ゴクン、と大きく喉を鳴らした。

「なんだ、そりゃ」

 聞き慣れない単語に大男は首を傾げているが、グラスを机上に戻す代わりに携帯電話を取り上げたボサボサ髪の男は、今日の日付を確認するや、げんなりと口の端を曲げる。

「まさか、今日のことにまで自分に責任があると思ってんのか? ウァレンティヌっさん」

 適当な愛称を呼ばれた顎髭の男は、膨らんだ両頬をもぐもぐさせながら、こっくりと大きく頷いた。

 イエローデーとは、二月のバレンタインデー、三月のホワイトデーを経ても恋人ができなかった男性が、黄色い服を着てカレーライスを食べるという、隣国に実在する自虐的イベントである。

 ちなみに、この一か月前の同日には、黒い服を着て黒い中華麺を食べる「ブラックデー」なるイベントも存在しているのだが。

「先月てめぇに呼び出されて、やたらと黒い麺を食わされたのも、同じ類の祭だったのか?」

 すでにカレーの大方を食べ尽くした大男が爆弾発言を落とし、ボサボサ髪の男がゴフッとハンバーグを喉に詰まらせかけた。苦しげにむせこみながら呆れ果てる。

「そっちも開催済みかよ」

「私は先月、あなたもお誘いしましたよ。辛いのは無理、と断られてしまいましたが」

「あー、あったな、そんなこと。ファインプレー、先月の俺」

「黒い服で来いっつうから、葬式かと思って黒紋付で行ったら、ラーメンを食うだけなんだからな。拍子抜けだった」

「私も先月は気合を入れ過ぎましたからね。オーダーメイドのスーツにスープが跳ねないか、内心ヒヤヒヤでしたよ」

 黒紋付姿の大男と、ダークスーツ姿の顎髭男が並び立つ姿を思わず想像してしまい、ボサボサ髪の男は「組長とドンの裏取引」と密かに呟いた。

 なお、本日三人が着用しているシャツは、前回の反省を生かした顎髭の男が持参したものだ。「これを着なければ食事代は出さない」と言われてしまえば、無一文でやってきたボサボサ髪の男は従わざるを得ない。ちなみに大男はと言えば、「虎縞パンツ一丁よりマシだ」と無頓着である。

「あんたの責任感は称えるけどな。何も自ら、黄色いシャツ着てカレー食う必要は無いだろ。いや、あんたが何着て何を食おうがあんたの自由だが、俺たちまで巻き込むなよ」

 口に残った肉塊をラッシーで胃の中に流しこみ、ボサボサ髪の男は呆れも露わに、黙々とカレーを食している顎髭の男を見やる。

 すると。

「あなたはそれでも聖人ですか!」

 クワッ、と効果音まで聞こえてきそうな迫力で、顎髭の男が突然大きく目を見開いた。

 その豹変ぶりに度肝を抜かれ、ボサボサ髪の男のスプーンからソーセージがボトリと落ちる。

「バレンタインとホワイトデーを、さらにはブラックデーを経ても最愛の人に巡り合えなかった哀れな人々! 彼らの気持ちに寄り添わずして、どうして愛など語れるでしょうか! 否! 語れるはずがないのです!」

 ネバネバまみれのスプーンをボサボサ髪の男の鼻先に突き付けながら、顎髭の男は目を血走らせて熱弁する。

 鼻の奥にまで届く凄まじい納豆カレー臭と、店員や他の客からの視線に耐えかねた。ボサボサ髪の男は大きく仰け反りながら、「分かった、分かったから」と白旗を上げる。

「あんたの熱意は十分伝わった。カレーは美味しくいただいた。これで万事オッケーだろ?」

「ええ、それでいいのです」

 不気味なほどにあっさりと満足し、顎髭の男は何事も無かったかのように再び一心にカレーを口へ運び始めた。

 ハア、と大きな溜息一つ、ボサボサ髪の男は空になった皿にスプーンを放り込むと、歯に挟まった肉の筋を爪楊枝でほじっている大男にひそひそと話しかける。

「食い終わったら、とっとと出ようぜ」

「あ? イエローだ、カレーだなんだの日は、もういいのか」

「カレーさえ食えばこの祭は終わりなんだよ。これ以上、こんなゴキゲンな格好で、ここにいる意味なんざ――」

「あれ、奇遇っすね。御三方も昼飯っすか?」

 そそくさと尻を浮かせかけたボサボサ髪の男の背後から、不意に、溌剌とした若々しい声が飛んだ。

 目を瞬かせた男三人が振り返れば、そこに立っていたのは、初夏らしいサックスブルーのデニムシャツ姿の青年である。

 その傍らでは、ゆるふわパーマのミディアムボブにオーガニック生地のワンピースが似合う可愛らしい女性が、青年の体に隠れるようにして、男たちの様子をおずおずと伺っていた。

「は? え、おい、お前、その子……あー、あ?」

 よく見知った従業員と、全く見知らぬ女性を忙しく交互に眺め比べ、ボサボサ髪の男は挙動不審に意味の繋がらない発声を羅列する。

 そんな男の反応に青年は小首を傾げたが、店員に「こちらへどうぞ」と促されると、それじゃ、と片手を挙げ、スマートに女性をエスコートしつつ歩き出した。

 しかしふと、何かを思い出したように立ち止まって三人を振り返ると。

「そのシャツ、御三方ともお似合いっすね!」

 一切の嫌味なく、実に爽やかにそれだけ言い残して、足取りも軽くその場を去っていった。

 残されたボサボサ髪の男は、暫くの間、青年の背中を無表情で眺めていたが。

「――甘口ポークカレーにフライドチキントッピングで、もう一皿ぁ!」

 カウンター上の呼び出しボタンを連打するや、店員の到着も待たず、大声で追加オーダーをがなり立てた。

「俺はライス特盛りの超辛牛モツカレーに、豚しゃぶと鶏つくねで」

「あ、私は納豆のみ追加でお願いします」

 これと言って顔色を変えることも無く、大男と顎髭の男がさらりと便乗する。

 大慌てで飛んで来た店員は、ボサボサ髪の男の剣幕に脅威を感じてか、必死の形相で伝票に注文を書き留め始めた。




 Fin.

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