4月23日の彼ら
「桃だ」
「ポインセチアだ」
むっつりと不貞腐れ、横並びになった二人の男は、互いの顔を見もせずに頑として言う。
フリージアにスイートピー、アネモネ、パンジー、グラジオラスにトルコキキョウ、ユリにストックにチューリップ。
四月の花屋の店先に咲く花々は、色も形も様々に、こんなにも春らしく華やいでいるというのに。
「絶対に譲らん。花と言ったら桃だ」
「いや、ポインセチアだ。ぶっちゃけ、花じゃなくて観葉植物な時点で負けてるが、そこは目を瞑ってでもポインセチアだ」
「分かっているなら素直に負けを認めろ、この強情張り」
「ここで俺が負けたら、ポインセチアに申し訳が立たねぇだろ」
「こちらもここで負けては、姫に申し訳が立たない。つまり花と言ったら桃だ」
「だからポインセチアだって」
手編みの薄手ニットカーディガンに通した腕をがっちりと組んだ醤油顔の男と、霜降りグレーのパーカーのポケットに両手を突っ込んだボサボサ髪の男の言い争いは、どこまでも非生産的、かつ、醜い。この場から逃げることもできず、延々と付き合わされる花たちが気の毒なほどだった。
「アドバイスを頼まれたのはこっちなんだから、口出しすんじゃねぇよ。プレゼント選びで俺に敵うとでも思ってんのか?」
「ああ、こと女性への贈り物ならばな。そちらの専門は童だろう。妻どころか、付き合う女性の一人もいない男は引っ込んでいろ」
「放っておけ。世界中の愛くるしいガキんちょどもが俺の恋人なんだよ」
「成程な。女心を知る由もないから、平気でポインセチアなどと戯言をぬかすわけか。気の毒になぁ」
「喧嘩売ってんのか。そんなに桃が好きなら、今すぐ『桃太郎』に改名して鬼が島にでも行ってこい。そんでオニさんに返り討ちにされやがれ」
大勢の買い物客で賑わう、休日昼前の商店街の一角である。
注釈を加えるならば、二人が不毛な論争を繰り広げる店先には、桃の花もポインセチアも並んでいない。季節が違うのだから当然だろう。にも関わらず、「花と言えば?」と問われた彼らが頑なに桃とポインセチアを推挙するのは、偏に、桃の節句とクリスマスの代表者としての矜持がある故なのだろう。
「ほら聞いたことか、左近衛も桃だと言っているぞ」
「あんたの身内なら賛同するに決まってんだろうが。そんなもん無効だ、無効」
勝ち誇る醤油顔の男が耳に当てているスマートフォンからは、「殿、爺めも桃に一票ですぞ!」などと覚えのある声が漏れ聞こえてきたが、ボサボサ髪の男は即座に一蹴する。目に角を立てたまま、うんざりした様子で首を横へ回し、醤油顔の男とは逆隣に立っている人物へと問い掛けた。
「まるで他人事みたいだが。当事者の意見はどうなんだよ、ジョルディ」
苛立たしげに名を呼ばれ、男二人の諍いの間もずっと黙って花々を凝視していた金髪巻き毛の筋骨逞しい美青年は、つと面を上げて。
「何か用か?」
あたかも、今、初めて二人の存在に気付いたかのような調子で問い返した。
春らしいライラックの開襟シャツが嫌味なまでに似合う男の、一切悪びれた様子の無いその反応に、ボサボサ髪の男がひくりと口元を引きつらせる。
「何か用か、じゃねぇだろ。あんたが一緒に花を選んで欲しいっつうから、こちとら貴重な時間を割いて、わざわざ足を運んでやったんだぞ」
「む、そうか。それは済まなかったな。君にとっては、惰眠を貪るためのさぞや貴重な時間だったろうに」
「おい、サン・ジョルディの日ってのは、野郎が野郎に喧嘩を売る日だったか?」
「ほら聞いたことか、右近衛も桃だと言っているぞ!」
「だから、身内に意見を求めるなっつってんだろうが!」
スマートフォンを片手に瞳を輝かせ、嬉々として会話に割って入ってくる醤油顔の男に、ボサボサ髪の男がとうとう声を荒らげた。
その剣幕に一切臆することなく、醤油顔の男は「そう言えば」とすんなり話題を戻す。
「その『さん・じょるでぃの日』とやらは、一体どういう日なんだ」
「知らずに付いてきたのかよ」
ボサボサ髪の男は呆れ返って脱力したものの、この国ではほとんど定着していない文化である。昔堅気な男が存在を知らないのも仕方のないことかもしれない。
とは言え、懇切丁寧に説明するのも面倒で、ボサボサ髪の男は「女から男に本を、男から女にバラの花を贈る日だよ」と大雑把に説明する。醤油顔の男も、問いはしたものの興味はさほど無いらしく、「ほー」などと適当な返事が寄越された。
「ならば何を悩まずとも、バラ一択だろう」
「毎年毎年バラじゃマンネリだから、別の花を贈るとしたら何がいいか、ってのが相談内容だろうが」
「ならば桃一択だろう」
「まだ言うか。せめてここで売ってる花を挙げろ。人のこと言えた口じゃないけど」
再び桃・ポインセチア論争が勃発しないよう牽制しておいてから、ボサボサ髪の男は金髪美青年に水を向ける。
「俺たちの意見はあてにならないと分かったところで、結局どうするんだよ。なんかホレ、そこの、ピンクのクシャクシャした花とかどうだ」
来る母の日への前哨戦なのか、相当の売り場面積を占領しているカーネーションを、男が投げ遣りに指し示す。が、先からまたしても黙りこんでしまっていた金髪の男は、気難しげに眉間に皺を寄せ、首を小さく横に振った。
「いや、贈るのは深紅のバラだ。誰がなんと言おうが、そこは絶対に譲れない。僕が悩んでいるのは、彼女に贈るバラの本数なんだ」
真剣そのものの金髪の男に、醤油顔の男はキョトンとして、ボサボサ髪の男は口をへの字に曲げて、揃って「本数?」と鸚鵡返した。さも面倒くさそうに、ボサボサ髪の男が頭を掻き毟る。
「っつうと、アレか? 贈るバラの本数に意味があるとかっていう」
「そのとおりだ。ちなみに僕は毎年、『何度生まれ変わってもあなたを愛する』の意を込めて、彼女に九百九十九本のバラを贈っているのだが」
「きゅうひゃ……」
さらりと告げられた本数に二人の男が言葉を失うと、金髪の男は「我が意を得たり」とばかり、繰り返しうんうんと首肯した。
「君たちもそう思うか。やはり、九百九十九本というのは――」
「そりゃ、なぁ」
「ああ、その本数は、いくらなんでも」
「――少な過ぎる!」
きっぱりと力強い金髪の男の断言に、今度こそ、完全に、二人の男が絶句した。
そんな彼らの様子を気に留める風すらなく、厳つい顎に手を当ててブツブツと独白しながら、金髪の男はますます眉間の皺を深くしていく。
「たったの九百九十九本では、僕の彼女に対する愛の大きさは到底表せない。そうなるとやはり、九千九百九十九本とすべきか? キリよく一万本か? いや、ならばいっそ百万本か! そこの麗しいお嬢さん、僕に百万本のバラを売ってくれたまえ!」
心が決まるや否や、金髪の男は連れの意見を求めることなく店の奥へずんずんと突入して行き、面食らった女性店員を全力で困惑させ始めた。
そんな男を、しばらくの間ポカンと遠目に眺めていた二人の男は、やがて。
「花と言ったら桃だ」
「いや、ポインセチアだ」
のんびりと、意味も無く、不毛な論争を再開してみるのだった。
「その本を贈るの、雛ちゃん?」
「織姫ちゃんこそ、その本を贈るの?」
駅前大型書店のレジカウンター前で、ビジネススーツに身を包んだ黒髪の美女と、手編みのカーディガンを纏った小柄でほんわかとした女は、それぞれが手にした本をお互いに指差しながら、お互いに確認する。
スーツの女が今しもカウンターに差しだそうとしている本は、スマート農業による酪農経営を勧める重厚なビジネス書。
一方の、小柄な女が両手で抱え持つ本は、表紙のイラストとタイトルからしていかにも甘ったるそうなベタベタの恋愛小説である。
妙なものでも口にしたかのような複雑な表情を浮かべ、二人はお互いの本と、お互いの顔を暫くの間見つめてから、お互いに首を傾げ合った。
そこへ通りかかった、優雅なロングワンピースに身を包んだグラマラスな金髪美女が、「あら、奇遇ね」と足を止める。女は二人が持つ本を順に一瞥し、目を瞬かせたかと思うと、小馬鹿にしたように肩をすくめた。
「あなたたち、自分の希望や理想をパートナーに押しつけるのはよしなさい。本当にその人を想うのなら、その人の好みや知的レベルに合った、心から楽しんで読んでもらえる本を贈るべきよ」
ごくまっとうに叱られて、小柄な女は亀のように首を引っ込めて身を小さくするが、スーツの女は後ろ暗さを誤魔化そうとしてか、「何よ」と不満げに口を尖らせる。
「そっちも本を買いに来たの? あんたの恋人は、今日は大忙しでしょ。プレゼントを贈り合う暇なんて無いんじゃないの」
「ご心配なく。サン・ジョルディの日だからって、彼自身に特に仕事があるわけじゃないから。きっと今頃、私に贈るバラの花をせっせと買い漁っているんじゃないかしら」
余裕たっぷりにのたまう金髪の女に、スーツの女は面白くなさそうに顔をしかめ、「それはご馳走様」と皮肉を贈った。そして続ける。
「そこまで言うくらいだから、あんたが選ぶ本は、さぞかし彼にふさわしい素晴らしい本なんでしょうね?」
「ええ、もちろん。これから彼にぴったりな本を見つけるつもりよ。それじゃ、またね」
自信満々に告げて踵を返した金髪美女は、黒髪の女たちをあとに残して颯爽とその場を立ち去る。
そして、「絵本・児童書」のプレートが提げられたコーナーへと、一切の迷いなく歩いていった。
Fin.
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