2月15日の彼ら

 赤やピンクの包装紙で可愛らしくラッピングされたチョコレートたちが、「特価」のポップを貼られたワゴンに無造作に放り込まれていた。

 コンビニエンスストアに入ってすぐの食料品コーナーの傍ら、味も素っ気も無いスチール製の檻の中で、ほんの十個ばかりが積み重なって今にも崩れそうな小山を成す有様は寒々しく。

 そのうちの一つを、なんの気なしに手に取ってみれば、包み紙に大きくプリントされた赤いハートマークに寂寞すら感じられた。

 ヴィィィ、という低音とともに、陽気な入店音を流しながら自動扉が左右に開いて、肺の中まで凍えてしまいそうな二月の夜気が流れ込んでくる。

 ワゴンの前に立っている五分刈りの厳めしい大男は、「寒い」とも、「客か」とも、特には思わなかったが。

「よお」

 右横から無愛想に声を掛けられ、初めてチョコレートから意識を逸らした。

 冷たい外気を引き連れて入店してきたのは、ダウンジャケットの上に派手な色のマフラーをぐるぐる巻きにした、ボサボサの髪の男。

 相手が顔見知りだと気付いた大男は、XXXLサイズのモッズコートを軽く揺すって、やはり無愛想に応じた。

「おう。買い物か」

「まあな。あと、外からあんたが見えたんで」

 そう答えたボサボサ髪の男は、両手をダウンのポケットに突っ込んだまま、「寒ぃー」と身を伸び縮みさせて大男の横に並ぶ。その折、大男が提げる買い物カゴの中に、数本のワンカップ酒と湿布薬が入っているのを目に留めたようだった。

「今年も大変だったろ。ご苦労さん」

 投げ遣りに労われ、大男はゴキゴキと太い首を鳴らす。

「お互い様だ。それに昔と比べりゃ、俺のほうは随分ラクになった」

「時代かねぇ」

「時代だろ」

 通行の邪魔も顧みず、大の男二人がその場から動こうとしないため、商品を陳列しているアルバイト店員は、ちらちらと厭わしげにこちらを気にしている。しかし、いかにも堅気ではなさそうな大男の強面に畏れをなしてか、それ以上のアクションを起こす気は無さそうだ。

 尤も、平日二十時を過ぎたこの時間帯、ごみごみとした住宅街に埋もれた小さなコンビニに、彼ら以外の客はいない。バーコードリーダーやレジスターの音すらもしない店内に、音量を落とした有線放送だけがゆるりと流れていた。

「それ、欲しいのか?」

 不意に、ボサボサ髪の男が顎をしゃくった。それで大男は、己の無骨な手が、まだチョコレートの箱を持っていることに気が付いた。

「いや。見てただけだ」

 大袈裟に反応するでもなく、ワゴンの中へチョコレートをぽんと投げ戻す大男を横目で見て、もう一方の男は「ふうん」と、さして興味も無さそうに呟く。

「肉食系中年がスイーツ系中年になっちまったかと思ったわ」

「なんだそりゃ。こちとら酒呑系中年だ」

「違いねぇ。こっちのほうがお似合いだもんな」

 軽く身を反らせてカラカラと笑った男は、笑いながら、近くの商品棚からいくつかのツマミを選び出し、大男の買い物カゴの中へポイポイと投入していく。炙り鰯に煎り豆という渋いセレクトを見て、大男の眉間に深々と皺が寄った。

「嫌がらせか」

「何が」

「分からずやってるなら大したもんだ。てめぇが食いたいならてめぇで買え」

「ケチケチすんなって、モテねぇぞ」

 ボサボサ髪の男は口を尖らせて、渋々、カゴの中からツマミを回収して己の腕に抱え込む。

 そんな男に倣って、アタリメを三袋、陳列棚からわしりと掴み取りながら、大男はぶっきらぼうに言う。

「しみったれだろうが太っ腹だろうが、俺が煙たがられることには変わりはねぇよ」

 続けてサラミの大袋とウズラ燻製をカゴにぶちこみ、コンビーフとヤキトリと鮭ハラスの缶詰をゴロゴロと投げ入れると、コンビニの奥へ移動して、六缶入りビールを二パックと、二リットル入りの清酒を追加した。

 瞬く間に容量オーバーとなって持ち手が湾曲している哀れなカゴを見て、唖然とするボサボサ髪の男の前を通り過ぎ、大男は商品棚の端でふと足を止めると、ワゴンのチョコレートに一瞥をくれる。

「俺には縁のないモンだ」

 そう言い捨てる、厳つい大男の顔は、自嘲気味に薄ら笑っていた。

 振り返りはせずに、「じゃあな」と男に声を掛けてからさっさと会計を済ませ、二重にしてもらったパンパンのレジ袋三つを提げて自動扉をくぐる。

 コンビニから一歩外へ足を踏み出すと、辺りは寒々とした夜の闇に沈んで、ひっそりと、心細くなるほどの静けさだ。惜しげも無く白い息を吐きながら顎を持ち上げれば、街明かりにくすんだ空は、冬だと言うのに星が少なかった。

 寒さに抗うように体を一揺すりし、コンビニから漏れ出る太い光の筋を遮る己の巨大な影を見下ろしながら、大男は自宅の方角へ俯きがちに歩き出す。

 数歩進んだところで、背後で再度、ヴィィィ、という低音が鳴った。そう、大男が頭の片隅でぼんやり認識した瞬間。

 バスン、と、背中に何かがぶつかった。

 痛くはなかったが、分厚いコートとセーター越しにでもはっきりと分かる衝撃に、大男は反射的に背後を振り返る。足下から聞こえた微かな物音につられて視線を落とす。

 大男の靴の踵の近くには、ハート柄の包装紙で包まれたチョコレート菓子が、一箱、ぽつんと落ちていた。

 目を瞬かせて、大男は目を上げる。ざっと四メートル向こう、コンビニの入り口前には、チューハイと袋菓子が詰まったレジ袋を左手に提げたボサボサ髪の男が、右手でオーバースローを投げ終えた体勢のまま立っていた。

 のろのろと姿勢を戻し、声量は押さえて、男はおざなりに叫ぶ。

「鬼はぁー、内ぃー!」

 大男はぽかんと口を開けて、聞き慣れない口上を公然と言い放った男と、足下のチョコレートを交互に見つめるしかない。

 赤くなった鼻を、ズズ、と啜って、漏れ出る白い吐息の中、ボサボサ髪の男はニマリと親しげに笑った。

「うちで呑もうぜ、オニさん。歓迎すっから」

 背後のコンビニに煌々と灯る明かりが、いやに眩しく感じられて。

 思わず細められた大男の目が、やがて、くしゃりと微笑む。

 少しだけひしゃげたチョコレートを拾い上げて、右手ごとポケットに突っ込んだ大男は、今歩いてきたばかりの道を、のんびりと逆に辿り始めた。




 Fin.

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