1月7日の彼ら

 ベージュのブランドスーツを上品に着こなし、艶やかな黒髪を片手でさりげなく耳にかけながら、コーラルピンクのルージュを引いた唇をカップに付けた女が。

「クリスマスなんて廃止されればいいのに」

 テキーラショットのような勢いでエスプレッソを飲み干すや否や、ガチャンと乱暴な音を立ててカップを受け皿に置き、強圧的な声と視線を投げつけた。

 その対面でテーブルに両肘をついて座る、すっかり襟の伸びたトレーナーを着たぼさぼさ髪の男は、ドリンク引き換えカードを弄んでいた手を止め、厭わしげな声と視線とで対抗する。

「俺に失業しろってか」

 大正月も最終日。多くの職場が仕事始を迎えた平日午前とあって、オフィス街の一角にあるカフェは閑散としている。

 ブラックコーヒーを片手にモバイルPCのキーを叩いたり、テーブルいっぱいにプレゼン資料を広げて熱心に打ち合わせをしたりするビジネスマンたちは、皆、他人を気にしている余裕など無いのだろう。窓際の二人席を陣取る、キャリアウーマン風の美女と、住所不定無職風の野暮ったい男というちぐはぐな取り合わせにも、関心を向ける様子は見られない。

 誰も聞き耳を立てていないのをいいことに、いや、たとえ誰かが聞いていようと同じことだろうが、カップの取っ手をぎりぎりと指で締め付ける女の不平は続く。

「恋人がサンタクロースだなんて幻想よ、幻想。サンタみたいな恋人なんてどこにもいないし、サンタ当人はてんで冴えない無粋者だし」

「当人の前でそれを言うかね」

「キリスト教徒がクリスマスを祝うのは当然だし、子どもにプレゼントを贈る習慣もおおいに結構。だけど何、『クリスマスは愛するあの人とロマンティックなデートを』? それ一体どこから来た慣習よ、経済効果狙いで適当なキャッチコピー掲げてんじゃないわよ」

「つまるところが、イチャつくカップルを嫉んでるだけじゃねぇか。クリスマスとサンタに罪をおっかぶせるのは止めてくれませんかね。つーか、なんだ、今年も結局、愛しの彼とは過ごせなかったってことか?」

 手持無沙汰にテーブル際のポトスの葉をいじる、男の核心をついた発問に、女は口を一文字に結んでぎろりと睨みを利かせた。「やっぱりな」と、男はしたり顔である。

「恋バナならウァレンティヌっさんに聞いてもらえよ。何時間でも喜んで相手してくれるぞ」

「ウァレンティヌスさんはこれからが一番の繁忙期でしょ。こんな話に付き合わせたら申し訳ないわ。その点、あんたならこの先、軽く十一ヶ月は暇してるだろうし」

「アホ言え、昨今のクリスマス商戦のスタートダッシュ舐めんじゃねぇぞ。次のクリスマスを見据えた厳しい戦いは、もう幕を開けてるっての」

「あ、そ」

 気取って肩を揺する男に、女は白けた様子で冷めた相槌を打つ。気を悪くしたのか、男は小鼻を膨らませて「なんだよ」と非難がましく呟いた。

「大体、俺はそのテの話題にゃ、これっぽっちも興味がねぇの。酸いも甘いも噛み分けた大人の男には、甘ったるい色恋沙汰なんざ食えたもんじゃ――」

「チョコクリームフラペチーノ、ホイップ増量、シロップとチョコチップ追加でお待ちのお客様ー?」

「へーい、おねーさん、こっちこっち」

 背後を通り過ぎていこうとする店員にひょいと片手を振り、見るからに甘ったるそうなトールサイズのドリンクを当然のように受け取る男に、女は頬杖をついて生温い視線を送った。

 グラスの頂上に山盛りにされたふわふわのホイップクリームをスプーンで掬い上げつつ、男は話を戻す。

「そもそもお宅、仕事が忙しいんだろ。ほれ、なんて言ったっけ。プ、プ、プリ」

「Princess-Lyra」

「そうそう、そのプリンなんちゃら。今、注目の高級生地ブランドだって、テレビで特集組んでたぜ。それだけ充実してるなら、クリスマスなんてどうだっていいんじゃねぇか。『アパレル業界を牽引する美人カリスマ社長』さんよ」

「そりゃあ、仕事は仕事で楽しいけど。私は仕事より愛に生きたいの」

「愛に生き過ぎて大目玉食った苦い記憶があるのに、まーだ懲りないのかね」

「うるっさいわね、昔の話をほじくり返さないでちょうだい」

 苦々しく居直る彼女の傍ら、テーブルに置いたスマートフォンは、先から頻繁にメッセージの受信を通知している。いずれも仕事絡みなのだろう、逐一送り主を確認する女は物憂げだ。画面をぷつりと暗転させ、爪先で軽く弾いてテーブル中央に追いやると、空のカップの縁に指を置いてぐらぐらと揺らした。

「仕事が忙しいからこそ、せめてクリスマスくらいは、って、今回はちゃんと計画してたの。それなのに彼、当日急に仕事になっちゃって。一緒に過ごすどころか、電話すらできず終いよ」

「農家の跡継ぎだったか。しかもどこだっけ、北海道? ナマモノ相手じゃ、こっちの都合で休むわけにいかないし、簡単に会えないのも仕方ないだろうよ」

「分かってるわよ。そんなの分かってるけど、でも、会えないにしても限度があるでしょ」

「最後に会ったのは?」

「半、年、前」

 一文字ごとにわざわざ区切った、忌々しげな女の返答に、男はフラぺチーノをストローで吸い上げながら上目遣いに思考を巡らせ、「ああ、そうなるか」と合点した。

 女は長く息をつく。しかしやがて、何かを振り払うように軽く頭を振ると、眉は下げたまま、目と口だけで微笑んだ。

「そろそろ仕事に戻らなきゃ。付き合わせて悪かったわね。聞いてもらって、ちょっとだけすっきりしたわ」

「役に立てなくて悪かったな。なんせ、てんで冴えない無粋者なもんで」

「八つ当たりしたのも悪かったわよ。またそのうち、あんたのとこの従業員君と一緒にお酒でも」

 ハンドバックとコートを腕にかけ、女が腰を浮かせかけた、その時、テーブル上のスマートフォンが小刻みに震え始めると同時に、可愛らしい電子音が流れ出した。

 画面に表示された「着信中」の文字と、その下の登録名に、女は反射的にスマホを鷲掴みにして勢いよく立ち上がり、液晶を耳に押しつけながらカフェを走り出て行く。

 入口のガラス戸が閉まる直前に聞こえてきた、「もしもし」という彼女の声は、微かに震えていて。

 一人店内に残された男は、スプーンの上に零れんばかりに盛ったホイップクリームを、ぱくりと一口で頬張った。

 忽ち口の中で溶けていく甘さに、男はにやりと笑う。

「クリスマスに会いたくて仕方がない相手がいるんなら、そりゃ、サンタの出る幕なんてないだろうよ」

 窓の向こう側、一月の空の下でも、大事そうに両手でスマートフォンを持つ女は、寒さなど微塵も感じていないように見えた。




『あの日は急に牛が産気づいてね。出産はなんとか終えたけど、母子とも容態が安定しなくて、年末年始も目が離せなくてさ。ようやく落ち着いて電話できたよ。クリスマス、一緒に過ごせなくて本当にごめん』

「いいわよ、そんなこと。それより、ずっと付きっきりだったんでしょ。ちゃんと休めてたの? ご飯食べてたでしょうね?」

『大丈夫、大丈夫。そっちこそ、仕事、忙しいんだろ。頑張り過ぎないようにしてくれよ』

「その言葉、そっくりそのままお返しするわよ」

 通行の妨げにならないよう歩道の隅に寄り、カフェの陰に身を隠して通話をする女は、声を潜めたまま荒らげるという器用な真似をしながら、しきりと洟をすすっている。

 電話口から聞こえてくる男の声は、そんな彼女の様子など見透かしているかのように朗らかに笑った。そしてさも申し訳なさそうに、声のトーンをしゅんと落とす。

『ごめん、また暫く会えそうにないんだ。けど、今年も夏には必ず、君に会いに行くから』

「本当?」

『本当。あの約束だけは、この先も、何があっても絶対に守るから』

 うん、と弱弱しく子どもじみた返事をして、繰り返し首肯する女の瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れる。涙を拭う左手の薬指に嵌ったリングがきらりと光った。

 電話口の向こうの男が苦笑して、優しく囁く。

『いつも寂しい思いをさせてごめん。大好きだよ、織姫』

「私だって大好きよ、ばか彦星!」


 年に一度の約束の日まで、あと半年だ。




 Fin.

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