365日の彼ら

秋待諷月

12月26日の彼ら

「はぁーあ。もう無理、もう疲れた、もうホント死ぬわ。毎年この時期、リアルに天国が見えるわ、俺」

 口から止め処なく愚痴を垂れ流しつつ、和室の万年布団からずるずると這い出したぼさぼさ髪の男は、まだ暖まりきらない室内の空気に上体を出すや否や、「おお、寒」と大仰に体を震わせた。布団の上に被せてあった半纏をジャージの上にぶっくりと着込み、左右の袖の中に両腕を入れて背中を丸め、旧式ヒーターの前に陣取って温風を独占する。

 男の声を聞きつけてか、台所から足早にやってきたエプロン姿の青年は、達磨のような不格好な男の後ろ姿を見るなり、両肩を上下させて呆れ果てた。

「何を情けないこと言ってるんスか、しゃきっとして下さいよ。なんだかんだ、今年もどうにか乗り切れたじゃないっスか」

「いや、今年こそ死ぬと本気で思った。っていうか、年を追うごとに確実に忙しくなってるだろ。断言しておくが、来年こそ俺は死ぬ」

「死なないっス。丸一日寝倒したんだから、気は済んだでしょ。今日からは後片付けっスからね」

「一日じゃ寝足りないっつうの。年寄りの回復力の低さをなめんじゃねぇぞ」

 年若い青年は、ぼさぼさ男の半纏の襟を掴んでぐいぐいと引っ張るが、男はヒーターの両端をがっちり掴んで放さない。下手に頑張られて火事にでもなっては堪らないため、青年は男を引き剥がすことを潔く諦め、台所へと引っ込んだ。

「朝飯はー?」

 勝利に気をよくしたのか、男は愛おしげにヒーターにぴたりとくっついたまま、台所へと問い掛ける。

「南瓜粥っスよ。冬至はそれどころじゃなかったっスからね」

「カボチャぁ? 勘弁しろよ、そんな健康的なもの食いたくない! コッテコテの脂っぽいものか、馬鹿みたいに甘ったるいものが食いたい! でけりゃ昨日一昨日の疲れが取れない!」

「僕の方が疲れてるんスよ、全身筋肉痛なんスよ! よもや、より疲れている僕が作った朝飯が食べられないって言うんスか」

「筋肉痛が今日きてるんだろ? 若い若い、全然疲れてないって。俺くらいになると筋肉痛の襲来も来週だぜ。あー、座りっぱなしだったからケツ痛ぇ」

 男がいまだヒーターの前から動こうとしないのを見て、青年はコンロで暖めていた小さな土鍋を居間へと運んでくる。炬燵の天板に鍋敷きを置いて、その上に鍋を設置し、炬燵の電源を入れてやると、半纏姿の男はゴキブリのような素早さで炬燵布団の中へと滑り込んだ。

 青年は呆気に取られてから、はぁ、と深く溜息をつきつつ男の対面に座り、粥を茶碗によそって差し出してやる。男はしばらくの間、鮮やかな黄色の米を不服そうに睨んでいたが、渋々と匙を口に運んで咀嚼しているうちに目がだんだんと丸くなり、やがて、流し込むように黙々と粥を啜り始めた。

 男が勢いよく粥を平らげる姿に、青年は苦笑する。机越しにぺこりと一礼した。

「とにかく、今年もお疲れ様でした」

「お疲れもお疲れだよ。まったく、なんでこんな大変な仕事を選んじまったのかね、俺は」

 空になった椀をずいと青年に突き出しながら、男は嘆息する。かいがいしく粥のお代わりを準備しながら、青年もこれみよがしに嘆息した。

「それは僕も同じっスよ。なんでこんな職場に就職しちゃったんスかね。潤沢な予算と人員と効率的な経営システムがあって、必至に走り回らなくたってネットワークをフル活用して働ける職場だって、最近はいくらでもあるってのに」

「うっせぇなぁ。あいつらのやり方には愛が無いんだよ、愛が」

「僕らにだってそんなの無いっス。その上、儲けも無いっス」

 眉をハの字にして口を尖らせる青年に、男はぼさぼさの髪の毛をわしゃわしゃと掻きむしりながら、へっ、と肩をすくめた。

「儲けがなんだってんだ。汚ねぇ金が蔓延するどうしようもねぇ世界だからこそ、俺たちがこの仕事をする意味があるんだからよ。赤字上等だっつうの」

 だらしなく机に顎を置いて炬燵布団に埋まったまま、しかし、真っ直ぐに言い切る男の顔を、青年は目を瞬かせてじっと見つめた。

 粥を山盛りにした椀を突き返し、にやりと微笑む。

「だから、毎年天国だか地獄だかを見ながらも、こんな仕事を辞めないんスよね?」

 その笑みに、男は僅かに赤面して声を詰まらせると、照れを隠すように、二杯目の粥を一気にかき込んだ。青年は空になったお椀を素早く取り上げると、鍋に残っていた粥を一粒残さず盛りつけて、三度男へ押しつける。

「さぁ、さっさと食べて、後片付け、後片付け!」

「分ぁかったよ。働けばいいんだろ、働けば」

 二人のいる居間から見える隣室の作業台の上には、ぐちゃぐちゃに散乱して山積みになった、赤と緑の包装紙やリボン、ギフトボックスにシール紙。

 奥の浴室で陰干しされ、ぽたぽたと水滴を落としているのは、分厚い真っ赤な上着と真っ赤なズボン、真っ赤な三角帽子。

 男は億劫そうに炬燵から抜け出して、ちらちらと粉雪が舞う窓の外へと視線を送る。近所の子どもたちだろうか、すっかり興奮した楽しげな声が聞こえた。

「おい、トナカイ! 仕事の前にココア淹れろ、ココア!」

「ハイハイ。了解っスよ、サンタさん」


 彼らの一年が、また今日から始まる。




 Fin.

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