二十四枚目 諸人登山

「見ろ、人が塵芥ゴミのようだ」


 埠頭に立ち、一番合戦いちまかせが嗤った。その隣には二十九三十五ひずめさんご。目下では、蜂起のために集まった機械獣の群れがウネウネと昆虫のように蠢いている。その数は数百……いや数千万はいるだろうか。地上からは5000メートルほどの高さがあるが、肉眼でもその様子はしっかり確認出来た。


「随分と集まりましたね」

 三十五がほほ笑んだ。

 ほほ笑みながら、杖を振る。


 上空へと駆け上ってきた機体が、浮都に向けてミサイルをぶっ放す。轟音上げて、青い空に放たれる白い煙と殺意の燃焼。だがミサイルは、浮都の底に命中する前に、何故かシュルシュル……とか細い音を立てて減速し始めた。


時間操作タイム・キーパー』。


 二十九の『能力』によって、巻き戻されたミサイルが機体付近で爆発した。粉々に砕かれた鉄の塊は断末魔を上げ、細かな飛沫となって地上へと逆戻りしていった。


 二十九は小刻みにステップを踏みながら、軽やかに杖を踊らせた。指揮者に呼応する楽器のように、飛び上がってきた機体が次々と空中で爆発炎上する。空に五線譜があったら、音楽家はそこに『運命』を見たかもしれない。

 

「何人が頂上ここまで辿り着けるかな」


 一番合戦は、刀を杖代わりにして、興味深く眼下の花火大会を眺めていた。先ほどから数多の機体の群れが、浮都に押し入ろうとして攻めあぐねていた。


「我々が護っている限り、ゼロでしょう」


 二十九が淡々と応えた。一番合戦が「政府関係者が軒並み洗脳されているようだ」と告げた時も、彼は表情一つ変えず「そうですか」と言っただけだった。彼に言わせれば、下手な兵力よりも自分たちの『能力』の方が強いのだから。そんなものは最初ハナからあてにしてない、と思っていた。

 

 だから突然の学徒動員も、二十九は特に意に介さなかった。

 戦いは数で決まる。一般常識ではそうだ。だが現実は必ずしもそうではない。数ではなく、質の問題だ。即席竹槍部隊が何百万と集まっても、大量破壊兵器のスイッチを持った独裁者の前では為す術もない。


「それに、むしろ数が弱点にもなり得るんですよ。見てください、あの量! あれだけの人数、補給をどうするつもりなんだか……。三日もすれば兵站は底をつき、撃つ弾もなくなり、勝手に自滅するでしょう」

「ふむ。何事も見上げ続けるというのは難しいものだ。ましてや登り続ける、となるとな。だが……」

「何か気がかりでも?」

「気がかりではなく、純粋な興味だよ。努力で八合目まで行ける者もいるだろう。素質センスで九合目まで上り詰める者もいるだろう。だが頂点に立つには、その前に狂気の世界が立ちふさがっているものだ」

「狂気の世界?」

「嗚呼。常軌を逸した、とても言葉で言い表せない世界……」

「私は芸術には疎いですが」


 二十九が肩をすくめた。足元で爆発音がする。砕け散った機体が、細やかな雨となって下界へと降り注ぐ。


「しかしそれらが、決して理性や論理だけで出来ていないのは理解わかりますよ」

 天才とは、道端の蝶々を夢中になって追いかけて、いつの間にか山の頂上まで登った者だ……と言ったのは、ジョン・スタインベックだったろうか。

「貴方はこう仰りたいのですか? 頂点ここに辿り着く者がいたとしたら、その者はよっぽど狂気を宿した者だ、と」

「大抵は道半ばで諦めてしまうものだよ。或いはある程度で満足する。そっちの方が賢明だし、大局的に見て正しいからだ。そうではなく、理屈や正解を越えてくる者……だが狂気に足を踏み入れた者も……やはりそこに囚われてしまっては、結局六〜七合目止まりで終わるだろうな」


 頂上から、群がる敵を見下ろしながら、一番合戦が顎を撫でた。


「七海は……」

 二十九がふと首を傾げた。


「彼女はどうですか? 貴方から見て、彼女は今何合目くらいでしょうか?」

「彼女はどうも頭を信用し過ぎる」

 一番合戦が向日葵模様の瞳を閉じた。

「知力が彼女の武器なんだろう。しかし『人間の脳』というのは、『才能の花』と同じで、大体二十歳前後がピークで後は衰える一方だ。それにそう……この世は決して理屈だけで出来ている訳ではない。考えてるだけでは、ただ時間が過ぎて行くだけだぞ」

 厳しい言葉だが口調に棘はなく、その表情は穏やかだった。


「それで……」


 それで、二十九はようやく合点がいった。恐らく一番合戦は、会いたいのだ。戦ってみたいのだ。常識や正解を越えて、自分に向かって来る者と。自分が全力を出せる好敵手と。


 先頭を走っている者は、全員に背中を向けている者である。勝者の孤独。強者の退屈。この状況で、一番合戦が誰よりも敵に期待している。頂点ここまで上がってこい。頼むから簡単にやられてくれるな、と。


「彼女は頂点ここに登って来られるでしょうか?」

「……今に分かる」


 一番合戦は笑みを浮かべ、次の瞬間、埠頭から飛び降りた。

「会長!?」

 唖然とする二十九を置いて、風にはためく赤髪がみるみるうちに遠ざかって行く。あっという間に一番合戦は小さな点となって消えた。『時間操作』で呼び戻そうかとも思ったが、恐らくは意図があっての行動だろう。済んでのところで踏みとどまった。


 異変が起きたのは、それから数分経った後だった。


「なんだ……!?」


 二十九は眉をひそめた。眼下に広がる地上が、文字通り景色が、変わろうとしている。ネオ関東平野が、その端が、不気味な音を立て徐々に持ち上がっていく。地震? いや……地面が自在に動いているのだ! まるで折り紙みたいだ、と二十九は思った。中央に沿って、広大な平野が今まさに半分に折りたたまれようとしていた。


 本をパタンと閉じるように。平野が閉じる。地面と地面の間に、押し潰される機体。すり潰される建物。やがて折り紙が再び開く頃には、山も川も、ごちゃ混ぜに掻き回されて、原型を留めていなかった。


「やはり凄いな……会長の『能力』」


 新しいネオ関東平野は、頂点から見ると鶴の形をしていた。地上をのだ。二十九は舌を巻いた。こんなデタラメなことが出来るのは一番合戦しかいない。集まった数千万の兵士は、今何が起きたのかさえ分からないだろう。阿鼻叫喚の怨嗟が、恐怖と絶望の咆哮が頂点まで聞こえてきそうだった。


「あれが一番合戦会長の……『自由自在フリー・スタイル』か!」


『地面を折りたたむ自由』。平野鶴が一声鳴いて、その身を震わせる。それだけで数百万の命が呆気なく失われた。やがて鶴は大きく羽を広げ、天上に向けて羽ばたき始めた。




「オイ、早く行こうぜ」


 六太がラマを着ながら、七緒を急かした。彼女は先ほどから、晴れ間の見え始めた空を見上げ、何やらじっと考え込んでいる。


「パワーアップしたラマなら、三日もありゃ東京に戻れる。早いとこアイツらぶっ飛ばそうぜ」

「いいえ、それじゃ時間がかかり過ぎるわ」

 七緒は首を振った。

「じゃ、どうすんだよ?」


 七緒は返事をしなかった。身じろぎせず、じっと京の空を見上げたままだ。六太は釣られて上を見上げた。曇天に差し込む一筋の光。視線の先には、将軍様の乗る移動式檜舞台スペースコロニーが浮かんでいた。

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