二十二枚目 ビードロを吹く娘
空を覆っていた龍が、黒煙が、
大会二日目の朝。暗雲の向こうは青く澄み渡っていた。ドス黒く血塗られた地上にも、誰の元にも天は等しく光を分け与えてくれる。
ただし勝者と敗者の結末は、決して平等とはいかない。瓦礫の中に『変身』の解けた少女と、筋肉質な少年が横たわっていた。八百枝八雲と千代丸だ。二人とも意識を失い、もはや立ち上がってくる様子もない。
『ハァ……ハァ……!』
そんな二人を見下ろしながら、六太が荒い息を吐き出した。
『俺の勝ちだ……!』
瓦礫の山の上で、ラマが片手を天に掲げ、ガッツポーズする。
『四天王を倒した……今日から俺が四天王だ!!』
違うと思う。ともかく、勝った。七緒も胸を撫で下ろした。
「八百枝先輩!」
ラマの背中から飛び降り、七緒は気絶している八百枝に駆け寄った。彼女には聞きたいことが山ほどあった。七緒と六太に所縁のある二人が此処にいたのも、恐らく偶然ではあるまい。そして彼女が出会ったという、黒装束の集団。裏で操る糸が透けて見えて、七緒は歯噛みした。
『そいつらどうすんだ?』
「回復したらじっくり話を聞くわ。とにかく……」
「オゥオゥ、お嬢さん方」
ジャラジャラと音がして、不意に二人の背後から近づいてくる人影があった。
「アンタら、何か忘れてないかいのぅ?」
驚いて振り向くと、そこにいたのは、
「貴方は……!?」
またしても七緒の見知った人物であった。日に焼けた黒い肌。肩までかかった、ボサボサのアフロヘアー。巨大なサングラス。歩くたびに、大量のブレスレッドやネックレスがジャラジャラ鳴った。隣に、これまた際どい格好をした少女を侍らせている。
「五味先輩!?」
「四天王は、
四天王の三人目。二十二年坂の白虎は、『正徒会』総務・五味大五郎だった。まるで音楽フェスの帰りみたいな格好で、声を聞かなければ、七緒は学生かすら分からなかったかもしれない。
「五味先輩が……? どうして……」
「最初っからワシャ、
五味がサングラスをずらし、狐のように細い目つきで、七緒を舐め回すように眺めた。
「つまり、革命軍のスパイじゃ! 安心せい、ワシも嬢ちゃんの味方じゃ」
「何を言って……!?」
七緒は五味を睨み返した。
「勝手なこと言わないでください! 私は革命軍なんか入るつもりありません!」
「ほんなこと言ったって、もう未来は決まっとるもんじゃけえのう」
五味はポリポリと頭を掻いた。七緒の表情に一気に緊張が走る。『正徒会』の中でも汚れ役。清廉潔白な人物が多い集団の中では重宝されていたが、残念ながら彼が味方だとは到底思えない。何せ彼の『能力』は……。
「ほいだら、ワシャそっちの、寝っ転がってる方のお嬢ちゃん回収していくけえのぉ」
五味はそんな七緒の内心を知ってか知らずか、飄々と彼女に近づいてきた。その細身の何処にそんな筋肉があるのか、ひょいと八百枝を持ち上げ肩に担ぐ。そのままくるりと踵を返した五味は、右手をひらひらと振り、
「ほいじゃ、またの」
「待って……!」
「ほら、お前もちゃんと挨拶しとかんかい」
ふと何かに気がついたように、枝垂れかかっていた少女を脇で小突いた。首から下げた真っ赤なハイビスカス。胸元が大きく開いたミニスカドレスに、ド派手なメイク。口元には煙草らしきものを咥えているのが見えた。だがその顔つきはまだ幼く、恐らくは五味と同じ学生だろう。蠱惑的な笑みを浮かべた少女の視線は、七緒……ではなく、ラマの方へとじっと注がれていた。
六太はいつの間にか、
「六太?」
彼の視線もまた、血走り、少女を見つめて離さない。固まって、うめき声にならないうめき声を上げている。七緒は訝しんだ。彼の表情は、今まで見たこともないほどの驚愕に染まっていた。もしかして、この少女と知り合いなのだろうか?
「やっほー。お兄ちゃん」
五味の隣にいた少女が、金髪を掻き上げ、屈託のない笑顔を見せた。
「菜乃花……!?」
「まだそんな機械の中に引きこもってるの? 相変わらず『無能』なお兄ちゃん!」
「菜乃花! やっぱりお前なんだな!? お前、生きて……!?」
「『無能街』で拾った掘り出し物じゃよ!」
五味が誇らしげに胸を張った。
「この子はそん時まだ十四になる前で……ちと弄ってやったら、大輪の花を咲かせよった! 全くええ女になったのう!」
「貴様ァァッッ!! 菜乃花に何した!?」
「おっと。動くなよ」
五味がニヤニヤ笑いながら肩をすくめた。
「動いたら妹を殺すぞ」
「ぐ……離せ!」
「ダメよ六太! 脅しじゃない! あの人の『能力』なら、それが出来る!」
憤怒の表情で駆け出した六太を、七緒が必死に静止する。
五味大五郎の能力・『洗脳』。
他人の思考を好きなように操る『能力』。白を黒へと裏返すオセロのように。彼が命令すれば、六太の妹・菜乃花は躊躇なく手首を搔き切るだろう。彼の『能力』によって、六太の妹は思考を書き換えられ、いわば人質に取られているのだった。
「じゃあね、お兄ちゃん」
四天王の四人目、鴨川四十四条の朱雀・
当の菜乃花は五味に何の疑念も抱いた様子もなく、彼の腕に絡みつき、頬を寄せる。それから六太の方を向き、屈託のない笑顔を見せた。
「『無能』は『無能』らしく、めげずにがんばってね。きっと上手くいかないことばっかりの、無駄な人生だとは思うけど、『才能』ある妹として、応援してるよ!」
「おぅ。せいぜい頑張って殺しあってくれや」
「菜乃花! オイこら、待て!!」
「それから……」
それから、ようやく気がついたというように、菜乃花の視線が七緒に向けられる。七緒は思わず固まった。その視線は、六太に向けられたものとは違い、激しい憎しみの色が浮かんでいたのだった。
「……司令官さん。私を覚えてる?」
「……ええ。覚えてるわ」
六太を羽交い締めしながら、七緒は慎重に頷いた。
そう、七緒は彼女と面識があった。此処にいる八百枝や五味と一緒に、『無能街』を襲ったのは何を隠そう自分なのだ。あの時はまだ『正徒会』に入りたてで、急いで成果を上げようと躍起になって街を焼き払い、積極的に『無能』を襲った。
あの中に、六太も、六太の家族もいたのだろう。五味が母娘を捉えて『洗脳』していたのも覚えている。しかしあの時は、六太の妹はまだ六歳にも満たない幼子だった。それなのに目の前にいる少女は、明らかに高校生くらい、何なら六太より年上のようですらある。
あれから数ヶ月も経っていない。この成長度合いは一体……?
「覚えておいて。革命軍のリーダーなんて持て囃されてるけど、貴方は神輿に担がれてるだけ」
菜乃花は七緒に敵対心を隠さなかった。
「用済みになったら、私が殺してあげる。お父さんの仇よ」
「待て! ちゃんと説明しろ! 菜乃花ッ」
「じゃあね〜」
「菜乃花ッッ!」
五味たちは八百枝を担ぎ、黒煙の中へと消えて行った。追い縋ろうとする六太を、必死に引き止める。
「六太!」
「お前」
六太が低い声で唸った。七緒は体を強張らせた。至近距離で覗いた彼の瞳は、毒々しい殺意に溢れていた。息を飲み、思わず手を離す。ようやく解放された六太は、もう五味たちを追おうとはしなかった。その視線が、殺意が今度は七緒へと向けられる。
「お前……お前が俺の父さんを殺したのか?」
七緒はゴクリと唾を飲み込んだ。
「なぁ……答えろよ。俺たちの街を焼き払い、母さんと菜乃花を奪ったのは、お前だったんだな?」
六太が落ちていた瓦礫の一片を拾い上げる。
「……ええ」
七緒はうな垂れた。
罪は消えない。
ほんの数ヶ月前、七緒は『凡人狩り』に勤しんでいた。迫害を受けた『無能』が、六太の家族がこんな目に遭っているのも、元はといえば七緒の所為でもあるのだ。
何も知らなかった。
考えが浅かった。
そんな言い訳が、如何に虚しく彼女の胸中で谺することか。それが許されるのなら『無知』や『無能』は何をしても無罪ということになる。知らなければ何をしても良いということではないだろう。全く、これで『有能』だとは、我ながら
七緒は逃げようとして、しかし体が動かなかった。許してくれというつもりもなかった。六太が七緒の目の前で、尖った瓦礫を、大きく振り被った──……。
「待って!」
すると、またしても瓦礫の向こうからひょいと人影が現れた。
「待って、二人とも!」
「あ!?」
「貴方は!」
七緒は驚いた。まだ幼い声。全身真っ黒で、すっぽりと頭を包んだ黒いフード。現れたのは、探していたあの黒装束の少年ではないか。やはり何処かに隠れて見張っていたのだろうか。しかし、何やら慌てた様でもある。
「やめてよ! こんなところで……夫婦喧嘩は犬も食わないっていうじゃない!」
「何だ、テメェ」
突然現れた少年に、六太がガンを飛ばす。天に伸ばしたその手には、まだ瓦礫が握り締められたままだった。
「引っ込んでろ。テメーは関係ねえだろ」
「関係あるよ!」
黒装束の少年が、六太と七緒の間に割って入った。
「ぼくの名前は
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