第三幕

二十一枚目 如意嶽大文字

 八十八回建の屋根は、今や上半分が吹き飛ばされている。

 砕けた瓦が足元に散らばり、そこら中に、針山のように積み重なっていた。半壊した塔の上で、青龍──文字通り巨大なドラゴンである──がちょうど天空に向けて咆哮を放った。


 その声量たるや。ひと声で建物はひび割れ、周囲の木々は薙ぎ倒される。もうひと声で、竜巻でも起きたかのように軽々と瓦礫が宙に舞った。龍が鳴くたびに地形が変わる。鳴き声が、最早災害なのである。弾丸のように飛んできた瓦礫を防御しつつ、その風圧に流石の六太も舌を巻いた。


『ンだよあれ……!』


 近づいてみると、その大きさがはっきりと分かる。空を覆い尽くすほどの両翼。大仏でも容易く丸呑み出来そうな胴体。長い首は天をも突き破らんほどに伸び、まるで雲の向こうから睨みつけられているようであった。六太の乗っているラマなど、巨龍の親指の、爪の先くらいの大きさしかなかった。


『あれが四天王か!』

「あれは……!」


 七緒は目の前の怪物に見覚えがあった。彼女はこのドラゴンを良く知っている。


「八百枝さん!」

 七緒が叫んだ。目の前のドラゴンは、悠乃高校『正徒会』書記・八百枝八雲やおえだやくもその人だった。


 八百枝八雲。七緒と一緒に下界に降り、機械獣に襲われた辺りで離れ離れになってしまった。それから七緒も『花』を取られてしまい、その後は波乱続きで、気がつくと彼の地へと辿り着いていた。まさか彼女も此処に来ていたとは。


「八百枝先輩!」

「七緒じゃない! 無事だったの!?」


 すると、厳つい顔の龍から、想像もつかないような可愛らしい声が降ってきた。次の瞬間、雲の上から、龍の顔がずずず……と近づいてくる。

『おいおい……』

 七緒と六太はゴクリと唾を飲み込んだ。

 顔……というより、もはや隕石のような大きさである。そのサイズ感、さながら蛇に捕食される前のカエル……いや、クジラに飲み込まれる前のプランクトンと言った方が正しいかもしれない。すると龍の鼻先から、八百枝の上半身が生えてきた。ちょうどジャガイモに芽が生えるように。ギョッとする七緒に、八百枝がニッコリと笑いかけた。


「良かったわぁ! 私も何とか……こっちも色々あったけどね。それより見てこの姿! 私、すっごくパワーアップしたのよ!」


 八百枝の腰から下……龍の部分がはしゃいで塔の上で跳ねた。そのたびに大地は波打ち、暗雲立ち込め雷雨が降り注ぐ。ラマが慌てて距離を取る。


『お前の友達ダチかよ! ヤベェだろ、これ!』

「変だわ……前はあんな巨大なものには『変身』できなかったはずなのに」

 かつて、七緒は自身の『百花繚乱オーバードライヴ』で八百枝の『変身チェンジ』能力を強化し龍にしたことがある。しかしこれほどの姿は見たことがない。どうやら本当にパワーアップしたようだ。しかし、この短期間で一体どうやって……?

「おかげでほぉら! こんなことも!」

 言いながら、八百枝龍は遠くに聳える山を見据え、そこにめがけて口から大火球を放った。


 ドォン!!


 と爆音が大気を揺らし、ネオ東山が真っ赤に染まる。炎はみるみるうちに燃え盛り、山の中腹に『大』の字が浮かび上がった。


「はぁ……美しいわぁ」

『何だこいつ!』

「そうだ、七緒。無事に再会できたお祝いに、今から一緒に『無能』を皆殺しにしない!?」

『何だこいつ!!』


 爆風と熱気で錐揉みにされながら、ラマが何とか体勢を立て直した。巨龍が長い首を悩ましげに捻り、うっとりした声で問いかけてくる。


「良いストレス発散になるわよぉ。踏み潰したら、トマトみたいにベチャ! って血や内臓が飛び散って……」

「……遠慮しておきます」

「どうして? トマトは嫌いだった?」

「それより八百枝先輩、聞いて! 下界で大変なことが起きてるんです、このままじゃ私たちの浮都も……!」

「どうして??」

「え?」


 八百枝は、戸惑っていた。


「七緒ちゃん、大丈夫? 何か変よ。前はあんなに喜んで『無能』を殺してたのに」

「それは……」

 七緒は言葉に詰まった。

「……私の方でも、色々あったんです。私……私ずっと『無能には人権がない』って思ってたけど、でも」

「だってないでしょう、人権」

 八百枝も眉をひそめた。


「『無能』なんですもの! 何の能力もない、役立たずの、下等生物じゃない! そんな奴に何の権利が? 人権ない奴は何をやられても文句言えない、そうでしょう?」

「違うの。先輩……聞いて」

「いいえ。違わないわ」


 いつの間にか、ジャガイモの芽が引っ込んでいた。鼻息を荒くする龍の怒り顔を前に、七緒は震え上がった。


「私が目を覚まさせてあげる……」

「せ、先輩?」

「黒装束の奴らが言ってた通りだわ。七緒、あなた……敵に『洗脳』されちゃったのね?」

「黒装束……!? 先輩、もしかして奴らと会って!?」

「……私たちは、正しいことをやっているのよ。社会の害悪である『無能』を駆除することは、我々の義務であり……大変名誉な行いなの」

『おい、逃げるぞ!!』


 ブツブツと呟き始めた龍が、大口を開け、再び大火球を作り始めた。ラマが緊急回避したその刹那、凄まじい熱波が降り注ぎ、地上が『大』の字に抉られた。土煙が朝焼けの空に舞う。橙色の炎柱が、津波のように周囲を飲み込んで行った。


「死ねッ! 『無能』は死ねッ!!」

『うるせーバカ! テメーが死ねッッ!!』


 小学生並みの返しをしつつ、ラマは空中旋回して地面に転がっていた武器を拾った。参加者が落としたロケットランチャーだ。くるりと身を翻し、振り向きざまにナパーム弾を叩き込む。轟音が鳴り響くも、龍の鱗にはかすり傷一つ付かなかった。龍は目を細め、さらに巨大な『大』の字を放った。

『うぉぉぉッ!?』

 大大大大大大大大大ッ!

 遥か高みから、『大』の雨が降り注いだ。

『おぉぉぉおぉッ!!』

 ラマは『大』の合間を器用に飛び回りながら、いつの間にか右手に巨大な槍、左手に槌を構えていた。そのまま加速して、矢のように龍へ突っ込んでいく。


 ……恐らくはこれが、六太の戦闘スタイルなのだろう。

 ラマの背中にしがみ付き、ラマ・シールドに包まれながら、七緒は戦場での彼の動きを観察した。

 

 要するに下界には、元々まともな武器がない。

 資源もないから、ガラクタで間に合わせるしかなく、武器は現地調達で戦う癖が付いている。使えるものは何でも使う。その場その場で臨機応変に戦い方を変えるスタイル。六太自身が場慣れしていることもあって、なるほど場外乱闘向きではある。


 だが悪し様に言えば、彼にはこれと言った自分の武器がない。

 その動きは雑で突飛で、洗練されていない。その道を極めた武道家などからすれば、無茶苦茶もいいところだろう。六太は銃の撃ち方を習った訳でもない。剣の極意を習った訳でもない。ただ落ちているものを拾って、がむしゃらに振り回しているに過ぎなかった。


 そして彼が相手しているのは、超有能が集まる一流高の、花形生徒なのだ。生まれ持った素質センスの差。その差が、徐々に戦いが進むに連れて如実に現れ始めた。六太が突っ込んで行った龍の腹部が、一瞬で剣山に『変身チェンジ』し、逆に武器を粉々に砕かれた。このような『部分変身』も、今までにはなかった能力の使い方である。やはり、黒装束……七緒が追っているあの少年に何かされたのだろうか?


『ぐ……!?』

「しゃらくさいわぁッ!!」

 大大大大大大大大大大大大大大大大ッッ!!


 視界が白く、明るく輝いた。空が灼熱で埋め尽くされ、ラマはシールドごと地面に叩きつけられた。このままでは業火に焼かれながら、『大』の字でナスカの地上絵みたいにされてしまう。せめて最後くらい、地上絵ではなく人類として死にたい。


「ガムを噛んでるの!」

 七緒が悲鳴混じりに叫んだ。

『はぁ!? ガム!?』

「八百枝先輩の『能力』は……ガムを噛んでいる間! 何とかしてガムを吐き出させれば、『変身』を解除できるかも!」

『何とかして、って……どうすんだよ!?』


 六太も叫び返した。豪雨のように降り注ぐ『大』に、今やラマの両足は地面にめり込み、身動きすら取れない。とは言えあれほどの大火球、一つ作るのにも相当時間はかかるだろう。


「もう少し耐えて! 必ず『大』に隙間ができるはず!」

『だとしてもリーチが違いすぎる! あそこまで飛んでくまでに、やられっちまうぞ!?』

「ホーッホッホッホッホ! それに、あなたたち忘れてないかしら!?」


 雲の上から、八百枝龍が勝ち誇ったように嗤った。


「私たちがだってことを!」

『ギャハハ!! そういうこった! 敵が一人だと思うなよ!?』

「な……!?」


 黒煙の向こうから、爆音響かせ、龍にも劣らぬ巨大な影が現れた。現れた二匹目の怪物──六十六波羅蜜寺の玄武──その声に、七緒は聞き覚えがあった。あの奇妙な形のトラックは……。


『千代丸じゃねえか!』


 六太が口をあんぐりと開けた。いつぞやの、六太の喧嘩友達である。あの時は象のトラックに乗っていたが、今回はさらに巨大な、亀と蛇の混合体……玄武の姿に変わっている。砂埃を巻き上げながら、玄武トラックがこっちに突っ込んできた。四天王の二傑。青龍が『大』の字を作っている間に、玄武があわよくば踏み潰そうと言う訳だ。


『また会ったなクソガキィッ!!』

『お前が四天王!?』

 六太が声を上ずらせた。


『お前が玄武!? あの、四天王で一番ダサい奴!?』

『んだとォ!? ざっけんな、ラマに乗ってる奴に言われたくねえよ!!』

『だって亀と蛇って……蛇の部分、龍と被ってんじゃねえか!』

『うっせえ! 見ろ、『人工才能』で生まれ変わったこの機体ボディッ! その生意気な口ごと異世界転生レスト・イン・ピースさせてやるぜーッ!!』

「アンタの友達も、大概ヤバいでしょ」

『玄武か……』

 

 六太は何を思ったか、向かってくる玄武トラックの方へとかっ飛んで行った。


「ちょっと六太!? 何する気!?」

『ちょうど良かったッ ちょうど良い大きさだ!』

 ラマが玄武の下に滑り込み、

『何!?』

「まさか……持ち上げるの!?」

『ウォォォオォオォッッ!!』

 両手でがっちりと玄武を掴み、出力を最大にしてジェット噴射を唸らせた。睡蓮の模様が仄かに赤く光り輝く。100%を1000%に。ラマの機体に刻まれた『百花繚乱オーバードライヴ』のエネルギー。次の瞬間、山のような巨体が、ふわりと宙に浮いた。


『バ……バカな……! バカなァァ-ッ!?』

『オオオオォオォオオオォオオオッッ!!』

「だ……大大大大大大大大大大大大ッッ!!』


 援軍に来た玄武ごと焼き払おうと、夜空から『大』の流星群が降ってくる。開いたその大口めがけて、六太が玄武ごと突っ込んで行った。


『俺の友達を、喰らえぇーッ!!』


 友達は敵に喰らわせる武器ではないと思う。ともあれ熱い友情が、異世界転生レスト・イン・ピース攻撃=アタックが、巨大な龍の顎を叩き割った。

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