十九枚目 素麺
直後、
会場の東南付近……長方形でいう右下辺り……の空に、黒い穴が浮かび上がった。ごう、と強い風が吹き抜けて行った。七緒の目の前で、景色がクシャッと奇妙に歪む。まるでシャツの皺のように、本来何もないはずの空間が、強い力で捻じ曲げられる。
『重力操作』。
空中に現れたのは小型のブラックホールだった。
付近にいた参加者たちが次々と、風に舞う木の葉のように空に打ち上げられる。無限の暗黒に吸い込まれる瞬間、麺類のように細長く身体を引き伸ばされる参加者たち。その悲鳴は、音速では、遅すぎて誰にも届くことはない。光の速さですら逃れられない強い『重力』で、誰かが、会場にいる全員を一網打尽にしようとしているのだった。
『うおおオッ!?』
流しに落ちた焼きそばみたいに、ずるずると、大勢の人々が特異点に吸い込まれて行く。すでに右下は壊滅状態だ。七緒は焦った。彼女は今、西南……左下辺り……にいた。決して距離は近くないが、この威力。せめて最後くらい、麺類ではなく人類として死にたい。
吸引力が徐々に強くなって来た。
さらに悪いことに、此処からでは能力者の姿を確認できない。恐らく人混みの中に隠れているのだろう。近づけば発見できるかもしれないが、それだとブラックホールの餌食になってしまう。
あるいは全く別の場所、対角線上に潜んでいるのかもしれなかった。自分がやられてしまっては意味がないし、きっとそちらの方が可能性は高いだろう。一体どうすれば……近くの地蔵にしがみ付きながら、七緒は飛ばされまいと必死に足を踏ん張った。
『どうすんだよッ!?』
七緒の頭上の方で、ラマもまた、重力に逆らって出力を全開にしていた。
どうする? 七緒は周囲を見渡した。
よく見ると、地上の地蔵や石灯篭は吸い込まれていない。
見えない力に引き寄せられているのは、参加者だけだ。
中央の檜舞台も、大炎上しているが未だ無事(?)である。本物のブラックホールだったら、地面も石像も檜舞台も、何もかも飲み込んでしまっていないとおかしい。恐らく『重力操作』は人間にだけ作用しているに違いない。
『このままじゃやられっ……ウオォォッ!?』
そう思うや否や、七緒は睡蓮の花模様を操り、ラマスーツから
「おおおオォォォ……!?」
すっ飛んで行った六太を尻目に、七緒は無人になったラマを
……いた。
ちょうどブラックホールが発生した対角線上に、重力の影響を受けない地帯があった。七緒の観察だけではちょっと分からなかったかもしれないが、そこはラマの目、機械の目だ。適宜送られてくる計器情報で、気温や風圧、湿度などがひと目で分かる。こうした点は、どんな能力者にもない利点だろう。『どんな時でも湿度が分かる能力者』になるよりは、湿度計を買って来た方が早いという話だ。七緒は少し機械羊駝を見直した。
おかげで能力の『安全地帯』が分かった。
半径数メートル以内に、四、五人が
「ギャッ!?」
飛翔体に突撃され、真珠の男が、甲高い声を上げてひっくり返った。尻餅を着こうとも、白い真珠は頑なに離そうとしない。ここが能力者たちの泣き所で、『花武器』を破壊されれば、自らの命まで失ってしまう。そこで大抵の能力者は自分の身体に『才能の花』を咲き戻す。すると今度は自らを守る武器がない。
七緒はラマの右足で思いっきり、無防備な男の腹を蹴り上げた。砂色の吐瀉物を撒き散らしながら、重力使いが真後ろに吹き飛んだ。
「グェエッ!?」
倒れた男は体を
「ひぃ……ひぃい!?」
『貴方、あいつらの仲間なの!?』
「な、何の話だ!? あいつらって誰だよぉ!?」
ラマ越しに、七緒はじっと男を観察した。小柄で、年齢は三十過ぎくらいだろうか。能力の凶悪さに比べて、本人はそれほど固くない。そのまま男を『安全地帯』から引きずり出すことにする。
「う、うわぁぁあ……やめ、やめろぉ!!」
彼はたまらず『能力』を解除した。途端に辺りを包んでいた『空間の皺』が消えて無くなる。空を飛んでいた人々が、バタバタと地面に落ちて来た。
『あいつらの居場所はどこ!? 名前は何なの!?』
「知らねえよ! アンタ、何言ってんだか俺、さっぱり……」
はっ
と七緒が気づいた時には、すでに男は胸の前で白い真珠を抱きかかえていた。
ズズズ……と不気味な音がして、中空に新たな黒い深淵が現れる。『重力操作』の再発動。今度は重たいラマの体がふわり、と宙に浮く。吸い込む対象を人間から機械に切り替えたのだろう。
「……知ったこっちゃねえんだよォ! 全員吸い込まれちまえ! ケケケケケ!」
『くっ……!』
「ヒャーハハハハ! 形勢逆転だなァ! アホ面した
七緒は冷静にラマの
「う……ウワァァあ!?」
貝のようにラマの中に取り込まれた男は、その身を空中へと投げ出された。道連れにしようと言うのである。慌てて男が能力を解除する。ブラックホールが消え、ラマが静止した。
『能力の割に、口は軽いのねぇ』
「はぁ、はぁ……は!?」
『でもありがとう。おかげで良くわかったわ。貴方がただのクズだってこと』
「や、やめろ……何する気だ!? 俺をここから出せ! やめ……やぴぎィッ!?」
パキン、と何かが折れる音がして、ラマの関節部分からポタポタと赤い雫が滴り落ちた。
「お前……何処に行ってたんだよ!?」
しばらくすると、六太が見つかった。ちょうど一つ目のブラックホールがあった付近に、人だかりができている。大勢の人間がもみくちゃになり、六太は見知らぬ男に、斧で頭をかち割られそうになっていたところだった。
『仕方ないでしょ。自分も逃げ回りながら、ラマも操縦しなきゃいけないのよ? 何ていうか、右手と左手で別のゲームやってるみたいな……』
「だぁぁぁ!! 説明は後だッ! 状況見て分かんねーのかッ!?」
六太が急かすので、頭がポップコーンになる前にラマを着せてあげる。六太は着ながら斧を右手で受け止め、左手で脇腹をぶん殴った。斧男が野太い悲鳴を上げて地面に片膝をついた。これを好機とばかりに別の男が後ろから槍で斧男に襲いかかる。さらにそれを、遠くから狙っている弓……。
『……なんかこれ、濡れてねえ!?』
六太が喚いた。
『そんなこと言ってる場合? 早くこの状況、何とかしないと!』
『テンメェー……よくも俺を放り出しやがって。ちょっと身長伸びかけたんだからな!?』
『良かったじゃない。右! あ間違えた。左!』
『うっせ、耳元でごちゃごちゃ言うな! オラァァッ!!』
言いながら、ラマが回転して群がる周囲を薙ぎ払った。
大会開始から約三十分。ここまで死者一五九三名、負傷者八三二二名。乱闘はまだ、終わりそうにない。
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