第二幕
十一枚目 源頼光公館土蜘作妖怪図
目を覚ますと、七緒は逆さまに空を見ていた。
紫色の空が、黒煙の隙間からわずかに覗いている。”岩の雨”はどうやら収まったが、辺りは昼か夜かも分からないくらい真っ黒に染まっている。
七緒は起き上がろうとして、そこでようやく全身で暴れ回る痛みに気がついた。皮膚という皮膚は赤く灼け爛れ、引くことのない波のように次から次へと痛みが襲ってくる。擦り傷や出血も絶えなかったが、辛うじてまだ生きていた。
全く、奇跡的とも言っていいくらいである。麻布を破いて止血し、痛みで動けなくなる前に手早く応急処置をする。ふと足元に、壊れた機械獣の残骸が二匹、転がっているのを見つけた。
六太の両腕についていた、あの兎と、一反木綿だ。どうやらあの”雨”の中を、七緒を庇って安全なところまで運んでくれたらしい。おかげで彼らはもう原型を留めていなかった。もしこの二匹に護られていなかったら、今頃彼女は巨大な岩の下敷きか、もしくは溶岩の中で骨になるまで溶かされていたことだろう。
「……ありがとう、ごめんね」
七緒は千切れた兎の耳を握りしめた。命を賭してくれた機械にお礼を言い、少しだけ感傷に浸って供養して。
さて七緒は一人、途方に暮れた。
今自分が、何処にいるのかも分からない。空は真っ黒、大地は小刻みに振動し、その度に不気味な音が轟いてくる。
恐らく富士山からそう遠く離れてはいないだろうが。六太という少年とも逸れてしまった。せめて雲が晴れれば、太陽や星の位置で方角くらいは分かるだろう。
此処は無闇に動き回らない方がいいと判断し、適当な窪みを見つけ、そこで休むことにした。腰を下ろすと、再びやけどの痛みが肌の上を這いずり回り始めたが、それでも数時間もしないうちに七緒は眠りについた。
それからしばらく七緒は目覚めなかった。朦朧とした意識が、夢と現実を何度か行き来して。黒い雲は未だ空を覆っている。途中断続的な雨が降って、おかげで患部を冷やせたが、念のため雨水は飲まないことにした。七緒はまだ窪みで体を休めていた。横になり、身動きをせず、出来るだけエネルギーを使わないよう努める。
大自然の中、道に迷った場合、最も生存率が高いのは六歳以下の子供なのだという。科学的な根拠は明らかではないが、彼らは恐らく迷ったことを素直に受け入れ、暖を取る、水や食料といった基本的な欲求に忠実であり、そして思いついたらすぐ行動に移す。それがいい結果に結びつきやすいのだろう。
逆にどんな『有能』な人間でさえも、自然災害に遭い方向感覚などを失うと、恐怖とパニックで錯乱状態になってしまう。専門家の間では『ウッズ・ショック』と呼ばれ、普段理性的な人々ですら、現実を受け入れられず、判断を誤ってしまう。不安や焦りから動き回らずにはいられなくなり、無駄に体力と精神をすり減らし、やがて命を落とすのだ。
まずは、落ち着くことだ。体力は無限ではない。雨風凌ぐ窪みの中で、七緒は自らにそう言い聞かせた。三日経った。だいぶ傷も癒えた頃、待ち望んでいた転機が訪れた。
朝。若しくは昼か夕。
厚い雲を透かす光の加減で、夜か、夜以外かは分かるようになった。今は夜ではない。
物音に気づき目を覚ますと、向こうから、大勢の人が歩いてくるのが見えた。ざっと数十人から、下手したら数百人はいるだろうか。最初、七緒はまだ夢の中にいるのだと思った。もう少し近づいて来て、彼女にはそれが『無能』の集団、のように見えた。
”ように見えた”、というのは、確証が持てなかったからだ。長々と行列を作った彼らは……そのほどんどが、もはや人の形を保っていなかった。
手や足が千切れて、骨が剥き出しになっている者。
腹から内臓が飛び出し、それを地面にズルズルと引きずっている者。
七緒以上に、全身が真っ赤に焼け爛れた者。
皆何処かしら痛めている。
道行く誰もが、今回の噴火や、
まるで妖怪の群れ、百鬼夜行の行列だ。七緒は思わず悲鳴をあげそうになって、なんとか踏みとどまった。自分の症状は、まだマシな方だったのだ。
怪我をした『無能』の集団。
彼らは何処に向かっているのだろう?
首輪がないことがバレたら不味いと思い、彼女は首をすくめるようにして麻布に顔を
だが七緒の不安を他所に、彼らは疲れ切った顔で、窪みにいる七緒になどは関心を示さなかった。それどころか、自分たちの怪我にすら頓着した様子もない。まるで心此処に在らずと言った感じで、一心不乱に歩を前に進めている。前方にいる『無能』たちは、大名行列で使うかごのようなものを担いでいた。中に誰か重要な人物でも入っているのだろうか?
「あ」
このまま通り過ぎて行ってしまうのだろうか……そう思っていると、行列の端にいたおかっぱ頭の少女が、七緒を指差して立ち止まった。少女は比較的、人の形をしていた。年齢は五歳か六歳くらいだろうか。幼子が七緒の顔を覗き込んで小首を傾げた。
「お姉ちゃん、大丈夫? 疲れたの?」
「……ううん、大丈夫よ」
七緒はぎこちない笑顔を作り、すっと立ち上がるとさりげなく列に加わった。
「お姉ちゃん、名前は?」
「七海……七緒よ。貴女は?」
「あたし、ななかだよ! えへへ、ちょっと似てるね」
ななかと名乗る少女に、七緒は水を分けてもらった。貴重な貴重な、命の水だ。周りの目も気にせず、かぶりつく様に水を飲み干す。本当に、これほど美味しい水は今まで飲んだことがない。この味を、自分は一生忘れないだろうと思った。七緒は少女に何度も何度もお礼を言った。
流れる雲に逆らって、行進は続く。生者とも、死者とも言い切れぬ者たちの。
「……あとどれくらいで着くのかしらね?」
機を見計らって、七緒はそれとなく探りを入れた。
「もうちょっとだよ! もう少ししたらお休みをして、《桃源郷》に着けるって!」
黒髪のおかっぱ頭の少女が、嬉しそうにそう言った。
「《桃源郷》? あそこは『禁止区域』じゃないの?」
「違うよお。
ななかは、七緒がわざと
詳しく話を聞くと、つまりこうだ。
この集団はネオ東京やネオ仙台から逃げてきた『無能』の民で、東海道を西に、ネオ京都付近を目指している。
『無能』の扱いは、管轄する都によって違う。
ネオ東京では、『無能』は殺処分が善いとされている。遠く九州では『無能』はペットのように飼われ、死ぬまで働かせているらしいし、北海道では人格を消去され、従順な兵士として利用されているようだ。
だが中には……『無能』の扱いがすこぶる良く、『有能』と混じって
「それが、ネオ京都付近に浮いているらしいの」
首輪の少女は嬉しそうに笑った。それで『無能』たちは、京へ上るらしい。彼らは救いを求め、流浪の地を彷徨い歩く憐れな子羊と言ったところか。
だが、そんな浮遊都市があるなんて聞いたこともない。内心そう思ったが、七緒は何も言わなかった。
あらゆる浮都の上位存在としての政府は、自由な移動を制限するため『無能』に首輪をつけた。人気のある都に奴隷が集中すれば、『ガス抜き』がままならなくなる(もちろん表向きはオブラートに包んでいたが)、との判断だった。
だが七緒の記憶によれば……ネオ東京とネオ京都の間には、悪名高き『泥梨葬苑』があった。
『泥梨』は大災害後の日本に出来た新しい浮遊都市で、そこには、全国から名だたる悪人が集まっているという。泥梨とはつまり、地獄という意味だ。
『泥梨』での『無能』の扱いは、世界史を紐解いて見ても、屈指の劣悪さであった。別名”犯罪の博物館”とも呼ばれ、殺人、強盗、虐待、強姦、人体実験、遊び半分の虐殺、死者蘇生からの再殺……とにかく何でもありなのだという。悠乃高校の正徒会で言えば、『洗脳』の能力を持つ五味が、この『泥梨』の出身だった。
京に向かうなら、『泥梨』の管轄下を通るのは避けられない。
それに、首輪はどうするつもりなのだろうか?
そもそもどうやって此処までやってきたのだろう? 無理やり関所を通ろうとすれば、たちまち首輪が爆発するはずだが。
「トンネルや、あたしたちだけの、秘密の地下壕を通ってきたの。そこを通れば、首輪は爆発しないんだよ」
「そうなんだ」
ななかは七緒を同じ仲間だと信じ疑ってない。見窄らしい格好が幸いしたようだ。『無能』にとっての機密事項をさらっと七緒に打ち明け、少女は屈託もなく笑った。
少し考えた後、七緒はこの行進に着いていくことにした。京付近に向かうのなら、目当ての闇市も見つかるかもしれない。
「ななかちゃん。あなた、お父さんとお母さんは?」
「死んだよ」
まるで、さっきそこで会ったよ、みたいな口調で言われ、七緒は少なからず動揺した。
「お空の上の人に殺されて。人間みたいに笑ったり泣いたりするのが、気に食わなかったんだって」
「そう……」
「ねえお姉ちゃん。なんであの人たちは、あたしたちにひどいことするの? どうしてあたしたちがきらいなの?」
七緒は言葉に詰まった。何気なく出た少女の問いかけに、『有能』な七緒はだが、答えられなかった。
なんで?
それは──元からそう決まっていたから。『才能のある人間が絶対である』と。
どうして──どうして、そう決まったのだろう?
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