十枚目 凱風快晴

 旧日本にかつて”富士山”と呼ばれる山があった。

『浮都』に移り住んだ人々にとっては、”紅染山クリムゾン・レッド”と言った方が馴染みが深いだろうか。先端が赤く光って見える、あの黒い山のことである。


 今では世界有数の活火山となった富士山は、今でも数日起きにマグマを吹き零し、旧静岡や山梨、神奈川の大地を紅く、紅く染め直している。


 小刻みに大地が揺れ、内臓がふわっと浮くような感覚が七緒を襲った。ハッとして後ろを振り返ると、やはり空が紅く輝いている。今夜も”一岩”来そうだった。


「ひひ!」


 河童は、下卑た笑みを浮かべた。鍔迫り合いのような状況になっていると、突如六太の斜め後ろ、岩影から赤い河童が飛び出してきた。両手に白く輝くビームサーベルを構えている。やはり仲間が潜んでいた。最初の河童は引きつけ役、囮だったのだ。


 だが暗闇で光る武器と言うのは、少々目立ち過ぎた。六太は一旦木綿を切り離し、身を躱して白刃を避けた。刀状の発光体が空気を切り裂く。ヴォンッ……と言う耳障りな音が七緒の鼓膜を震わせ、肌を粟立たせた。直撃すれば、たとえ金属の鎧だろうとドロドロに溶かされてしまうだろう。


 一匹目の河童は絡まっていた一反木綿を振りほどき、両の手のドリルを地面に突き立てた。そのまま土竜みたいに潜っていく。疾い。一瞬にして足元に大穴が空き、土煙が視界を覆う。再び小刻みな振動が襲ったかと思うと、ちょうど真下から、槍のように河童が飛び出してきた。


「きゃあっ!?」

 串刺しにされるそのコンマ数秒前、六太がジェット噴射を唸らせて、七緒を抱え空中へと避難させた。河童もまた宙で弧を描き、勢いよく二人に向かって進路を変えてきた。まるで爆撃機か、ホーミングミサイルだ。


 六太は少し距離を置いて着地した。が、

「な!?」

 地面に両足を着けたその瞬間、突然ボコォンッ! と地面から緑色の機械手が伸びてきて、ラマの足首を掴んだ。

もう一匹。

やはり仲間の河童がいたのだ。地中からゴボゴボと、薄気味悪い嗤い声が聞こえてくる。六太は両足を引っ張られ、案山子のように身動きが取れなくなってしまった。そこに最初の河童が突っ込んでくる。


「ヒャハァッ!!」

「クソがッ!!」


 六太は右手をバン! と地面に着け、。そのままぴょーんと、前にツンのめるようにして足を地面から引っこ抜く。足には緑色をした機械河童がしがみ付いたまま、芋づる式に地上に姿を現した。


 六太はでんぐり返しをするように回転し、ドリル河童を緑色のもう一匹で防御ガードした。突っ込んできたドリルが仲間の河童のドテッ腹に突き刺さり、諸々を捻りながら『中の人』を貫く。鮮血が闇夜に飛沫いた。


「ぎゃあああああッ!?」

「ちっ!」

「オラァッ!!」


 怒号や悲鳴が交錯する。六太が羊駝の拳(兎の足?)で、ドリル河童を殴りにかかった。だが拳がヒットすることはなかった。攻撃が当たる前に、フッとに沈むようにして、河童はまたしても地中に潜ってしまった。また別の一匹。仲間の河童が引っ張り込んで助けたのだ。


 七緒は、羊駝の腕の中で、幼い頃遊園地に行った時のことを思い出していた。”コーヒーカップ”だ。くるくる回る遊具、あれに縦回転が加わった感覚。よくこんなものに乗っていられるな、と彼女は舌を巻いた。


 地面から再び別の色の手が伸びてきたので、六太は急旋回し空中で静止した。その背中を狙って、死角からまた別の河童がジャンプしてくる。赤、青、黄色、緑に紫……。


「こいつら一体何匹いるんだよ!?」

 間一髪で白刃を避けながら、六太が喚いた。

「見て!」

 七緒は、地面から上半身だけを突き立てて、ニタニタ笑みを浮かべながら、こちらを仰ぎ見ている河童を指差した。ドリル河童だ。ドリル河童の頭には、暗闇でも分かるほど白く輝く『花』が咲いている。


「あいつらの頭……『花』になってる! 『能力』を持ってるんだわ」


 頭頂部が白く輝いていたのは、才能の『花』だったのだ。

 また、だ。

 七緒は軽く目眩を覚えた。また、機械獣に『花』が生えている。


 いつの間に、こんな技術が生まれたのだろう?


 ほんの数週間前まで、彼らはただ逃げ惑うだけだったはずだ。だがこちらの知らぬ間に、『無能』はこれほどの『凶器』を手にしている。七緒は薄ら寒いものを覚えた。仮にこの機械の鎧が数多く揃えば、『有能』な者に勝てる……とまでは言わないが、少なからず反撃の糸口にはなるだろう。これも全て、『道花師』の仕業なのか……。


「ンだよ! テメーらまだなのか!?」


 ドリル河童が空を見上げて嗤った。


「ちっ、時化シケてやがんなあ。『能力』持ちの機械だったら、奪ってやろうと思ってたのによぉ」

 不機嫌そうに鼻を鳴らしながらも、笑みは引かない。まだ余裕がありそうだった。

「どういうことなの!?」

 七緒はラマの腕の中から首を伸ばした。叫ばずにはいられなかった。


「どうして機械に『花』が生えているの!? 貴方達は何者なの!?」

「何だよ? 何にも知らねーのか!」

 男が嬉しそうに唇の端を歪ませた。

「何の話だ!?」

「始まるんだよぉ! これから──この国を揺るがす戦争が! この世界をひっくり返す革命がさぁ!」

「喋りすぎだぞ、挽歌ばんか

 仲間の河童が、たしなめるように低い声を出した。姿は見えないが、声だけが聞こえる。


「今から数秒後、後ろから布製の機械獣が来る。遠隔操作リモートだ。喋ってる間に背後から締め上げてしまうつもりだったらしい。備えろ」

「へいへい」

 挽歌と呼ばれた河童は仲間の言葉にくるっと振り向くと、迫ってきた一反木綿をドリルで突き刺した。


「な……!?」

 これに驚いたのは六太である。

 六太は六太なりに、仕掛けていたのだ。先ほど彼がやられたのと同じ──喋ってる間に相手の注意を逸らし、後ろから撃つ。切断された左手一反木綿遠隔操作リモートで動かすという、機械ならではの、六太らしい小狡い戦法だった。まんまとやり返したと思っていたのに、だが、あっさり看破されてしまった。


 七緒は唇を噛んだ。相手の『能力』──おそらくは『未来予知』とか、こちらの行動特徴パターンを読んでいる者がいる。それも、相手は一人ではない。其々『能力』を持っているなら、圧倒的にこちらが不利だ。


 今は逃げるのが得策だろう。七緒がそう思っていると、意外にも、向こうから先に動き出した。


「逃げるぞ」

「へ!?」


 先ほどの低い声が、先手を打って指示を出した。どうやらこの声の主がリーダー格らしい。

「今から数秒後、”岩の雨”が降ってくる。噴火だ。それに、こいつらは『花』を持っていない。拘泥こだわる必要もない」

「へえ……」


 挽歌が感心したように頷き、六太と七緒の向こう側、雲行きが怪しくなってきた夜空を見上げた。と、確かに数秒後、遠くで地鳴りが轟き、東の空が真っ赤に染まった。富士山が噴火したのだ。溶岩が吉原まで届くのも時間の問題だろう。


 しまった、と七緒は顔を強張らせた。心臓を鷲掴みされた思いだった。

”岩の雨”。

弾丸のように降り注ぐ溶岩の合間を縫って逃げるには、あまりに危険過ぎる。逃げるには数秒遅かった。分かっていたはずなのに──機械の『花』の方に気を取られて、判断を誤ってしまった。


「備えろ」

 その声を合図に、河童たちは一斉に地面の中に潜り始めた。空の紅はみるみるうちにこちらに迫ってきた。

「待て!」

 六太が急降下して、潜っていく挽歌の足を引っ掴んだ。


「テメー! 離せコラ!」

「六太!」

「逃すか!」

「話聞いてたんかテメー! 溶岩が降ってくんだよ、逃げんだよ!!」

「六太! 逃げなきゃ!」


 すぐそばで爆発音がした。”雨”が降ってきたのだ。地面には巨大なクレーターが出来、『地下の炎』が顔を出して、辺りはあっという間に橙色に染め上げられた。七緒は悲鳴をあげた、と思ったが、耳を劈くような轟音で、自分の声は掻き消されてしまった。雨というよりは、もはや嵐だ。溶岩嵐。炎で出来た入道雲が、地べたをのたうち回っているようだった。


 地面が液体になったみたいに波打ち、七緒は体を高く吹っ飛ばされた。前も後ろも、上も下も無くなって、黒煙の中に突っ込んで行く。かろうじて最後に見えた視界の中、六太は、挽歌を大根みたいに引っこ抜いていた。もみくちゃになった六太と挽歌が、『地獄』を転がり墜ちて行く。


 再び爆発音がした。肌が焼けるように熱くて、目が開けていられない。もうしばらくは、サウナには行きたくない。そう思いながら、七緒は意識を失った。

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