第15話 海の魔獣


「エーリア奥様、私も参りますっ」

部屋から飛び出そうとするエーリアに、マチルダは思わず声をかける。


マチルダは病み上がりだが、もう万全の体勢だ。

いくらお客様だとはいっても、魔獣が出現したというのに、のうのうと一人屋敷に残るわけにはいかない。


「マチルダは魔獣から怪我を負わされたのだろう。怖くはないのかい?」

「怖くないといえば嘘になります。ですが私は、ウインスター伯爵家の娘です。魔獣が出現したというのに、知らぬふりなどできません」

通された客間には、すでにマチルダの荷物が届いており、マチルダはその中から、愛用の剣を取り出す。

大ぶりの業物わざものは、ウインスター伯爵本家 “熊殺しのウインスター” と呼ばれた、元ウインスター辺境伯、マチルダの祖父から譲り受けたものだ。


「そうかい、分かったよ。付いておいで」

「はいっ」

旅装のままだったから軽装だ。ドレス姿とはいえ動きやすい。マチルダはエーリアに付いて走り出す。


途中、シモンたちと合流し、Cブロックへと向かう。

シモンの話によると、今の時期は、魔獣の出没は少ないのだが、出現する魔獣は大型になる傾向があるそうだ。



海岸に乗り上げるようにして、海の魔獣クラーケンはいた。先に着いていた男達から武器を向けられ、何本もの足を使って威嚇していた。

小さなころから魔獣の討伐に参加していたマチルダだったが、海の魔獣を見たのは初めてだった。

海の魔獣は、白くて思った以上に巨大だった。

森に紛れなければならないためなのか、森の魔獣に白い色のものはいない。爬虫類や昆虫などの魔獣もいるが、全てが暗い色合いをしている。濡れたような表皮を持ち、うねうねとうねる足を何本も持つクラーケンに、マチルダは圧倒されてしまう。


だが、怖気付くことは無かった。

「これが珍味の正体。何人前なのかしら」

今まで美味しく食べていた、クラーケンの干物の生きた姿に、これほど大きいならば、大量に干物が取れると、ちょっと喜んでしまったのだ。


「アハハハ、うちの嫁は肝が据わっているね。気に入ったよ」

マチルダの呟きが聞こえたエーリアが、豪快に笑っている。


今日はシモンが嫁(予定)を連れて来るとの連絡があったので、海には出ずに、屋敷に残っている男達も多かった。

先に到着した者達は、クラーケンに果敢に挑んでいるのだが、いかんせんクラーケンは巨大すぎた。

何本もの足が攻撃を邪魔し、そのぬめりを帯びた表皮は、剣で切り付けても、なかなか傷を負わせることはできない。


「マチルダ、海の魔獣の表皮は、ものすごく固くて、そう簡単に傷を付けることはできないんだよ。だから槍をつかうんだ」

エーリアは、長柄槍を構える。


「皆、下がりなっ」

エーリアは長柄槍をクルクルと頭上で回しながらクラーケンへと近づいて行く。巨大なクラーケンの何本もの足は、エーリアを襲う。

見事な体さばきで、クラーケンの攻撃を躱すエーリアだが、クラーケンが巨大すぎた。

いくら大柄な槍を持つエーリアでも、クラーケンの本体へは、なかなか近づけない。


「エーリア奥様っ、私も参りますっ」

マチルダは、そう言うが早いか、エーリアとは離れた場所からクラーケンへと突撃する。

マチルダに気づいたクラーケンは、マチルダにも足を伸ばしてきた。すかさずマチルダは、その足に思い切り剣を振り下ろす。マチルダの豪剣は、弾かれることなくクラーケンの足先を切り落としたのだった。


ギャャギィィィッ。

クラーケンは、ガラスを引っ掻くような、不快な叫び声を上げる。

激しく動き出したクラーケンは、今までエーリアへと向けていた何本もの足をマチルダへと向ける。

いくら剣の腕が立つとはいえ、何本もの魔獣の足にマチルダ一人で立ち向かうのは無理がある。脅威の剣さばきで弾いているのだが、いかんせん足の数が多すぎる。

クラーケンの注意がそれたエーリアも何度も槍を突き刺すのだが、致命傷を与えることができない。


ギャャギィィィッ。

いきなりクラーケンは叫び声を上げる。

クラーケンの本体に矢が突き刺さっている。

レイヤーズ辺境伯で通常使っているものよりもシャフトと呼ばれる “ のう ” の部分が短く、小さいものだ。

そんな小さな矢が、剣で切り付けても傷をつけることがなかなかできないクラーケンの身体に突き刺さっているのだ。


次々と矢はクラーケンへと突き刺さって行く。クラーケンは痛みに悶えているようで、マチルダを攻撃していた足に隙ができた。

マチルダは一気にクラーケンへと突撃し、その本体へと剣を振り下ろす。エーリアもすかさず槍をクラーケンへと突き刺す。


ギャャギィィィッ。

クラーケンは3度目の絶叫を上げると、その場に倒れ、動かなくなった。


しっかり止めまで見届け、マチルダは踵をかえす。

「シモン様っ。ありがとうございます!」

マチルダの後方で弓を構えていたシモンは、ずぶ濡れだった。


「まさか、シモンが弓を放ったのかい?」

「クラーケンに弓が刺さるとは。いやそれよりも、弓の攻撃によって、クラーケンが倒れたように見えたぞ」

マチルダの後ろから、他の者達にクラーケンの処理を任せたレイヤーズ辺境伯夫妻がやってきた。


「ぼ、僕も少しは魔獣の討伐に貢献できただろうか?」

「何を仰いますか、シモン様のおかげで、クラーケンを仕留めることができましたわ」

今にも涙を流しそうなシモンの手を、マチルダが包み込む。


シモンはマチルダが回復する1カ月の間、マチルダの世話をしながら(マチルダは止めてほしかった)、ガイザックに教えを乞うていたのだ。

華奢なシモンでも魔物討伐ができる方法を。

魔素マナをまとわせる弓矢は、ウインスター伯爵家の門外不出の秘術といえる。しかし、マチルダのことを思ったウインスター伯爵家は、シモンに限り、他に一切情報を漏らさないと約束をさせた上で、その秘術を教えることにしたのだ。


いくら、どんなに強く口止めをしたとしても、シモンが秘術を他に漏らしてしまう懸念もあった。だが、ウインスター伯爵家は、シモンを信じたのだ。

マチルダが我が身を投げうってでも守ったシモンのことを。


魔素を自分の身体に取り込み、それを矢じりへと充填する。簡単なことでは無いし、誰にでも出来るというものでもない。

魔力を扱えるのは、一握りの人間で、適性の有る者は王族や貴族に多い。得てして “高貴なる血” といわれる所以ゆえんだ。


シモンもレイヤーズ辺境伯家の跡取りなだけあり、適性はあった。だからといって、すぐに魔力を扱えるかというと、そうでは無い。

ウインスター伯爵家の者達は、幼い頃から訓練を受ける。マチルダだけは適性が無かったから、受けてはいないが。


1カ月かそこら訓練を受けたからといって、すぐに使えるようになるわけではないが、シモンはクラーケンに立ち向かいたかった。

必死だったのだ。

愛しい婚約者が魔獣と戦っているというのに、見ているだけなど、あまりにも不甲斐ないではないか。

分けてもらった矢を握りしめ、シモンは海へと入って行った。

レイヤーズ領だけでなく、ガッツィ国の陸地に魔素が噴き出ている場所は発見されていない。

魔獣が海から出現することから、海の中に魔素が有るのだろうと思われているのだ。


どんなに深い場所へ行こうとも、シモンが溺れるようなことは無い。生まれた時から海には親しんでいる。今まで数えきれないほど、海には潜ってきた。だが今まで海の中に漂う魔素に気づくことはなかった。

こんなにキラキラと存在していたというのに。


シモンは己が身体の中に魔素を取り込むと、濡れた身体もそのままに、クラーケンへと矢を引いたのだった。

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