第14話 レイヤーズ伯爵家
馬車に乗っている間中、マチルダは胃が痛かった。胃の痛みは徐々に強くなり、レイヤーズ伯爵領に着いた時は、常時キリキリと痛くなっていた。
そんな状態なのに宿で出される食事は美味しい。おかげで体重は少しも減りはしなかった。解せない。
嘆くマチルダを乗せた馬車は、無情にもレイヤーズ伯爵家に到着した。
レイヤーズ伯爵家は、国の守護神として、王家から厚い信頼と優遇を得ているだけあり、屋敷は壮大で、マチルダを圧倒した。
嫁(予定)を連れて帰るとシモンが連絡していたらしく、シモンのエスコートで馬車を降りると、そこには大勢の使用人たちが喜色満面で待ち構えていたし、屋敷に一歩入ると、レイヤーズ伯爵家の皆が勢ぞろいしていた。
シモンに手を引かれたままのマチルダは、一気に緊張に固まってしまう。
「叔父上、叔母上、只今帰りました。こちらが僕の婚約者、マチルダです」
「お初にお目にかかります、ウインスター伯爵家の次女、マチルダ=ウインスターでございます。お世話になります。どうぞ宜しくお願いします」
マチルダは深々とカーテシーをする。
ほう。
レイヤーズ伯爵家の人々から、マチルダのカーテシーに感嘆のため息が漏れる。
マチルダの外見を嘲笑う人たちは気づいてはいないが、マチルダのカーテシーは、それは見事なものなのだ。
片方の足を後ろに引き、残りの足で屈む必要のあるカーテシーは、女性が行う挨拶だが、足腰の強さを求められる。体幹を鍛え上げているマチルダにすれば、姿勢が微動だにすることはない。それでいて優雅なカーテシーを披露したのだ。
本人は、心臓が口から飛び出しそうになっているから、周りの反応に気づいてはいないが。
「お帰りシモン。マチルダ嬢も、よく来てくれた」
レイヤーズ伯爵家の家長の挨拶が済むと、周りにいた者たちが、ワッと一斉に、シモンとマチルダに話しかけてくる。
「いやぁ、次代の嫁さんは、美人さんだねぇ」
「ああ、こんな立派な嫁を見つけるなんて、さすが次代だ」
「次代が惚れ込んで、わざわざハイオール国に行くだけはある」
口々に囃し立てられる。
まさか褒められている!? 半信半疑のマチルダなのだが、その言葉には皮肉や当てこすりが感じられない。言葉通りに感じられるのだ。
シモンにしても、ちょっと顔を赤らめながらも、嬉しそうに対応している。
「ああ、マチルダほどの女性はいないからね。絶対に逃がさないと決めているのさ」
「言うねぇ」
ものすごく体格がいい中年の男性が、シモンの背中をバシバシと叩いている。その遠慮の無さに、シモンが吹っ飛んでいかないか、マチルダはハラハラしてしまう。
マチルダとシモンを囲む人達は、皆が笑顔でほのぼのしている。皆和やかなのだ。マチルダは来るはずの罵詈雑言が来ずに、逆に戸惑ってしまう。
最悪、家に入ることなく送り返されるかも思っていたのに。
「まったく、惚気るのもいいかげんにおし。お嬢ちゃんは着いたばかりなんだよ」
ひときわ体格がいい女性が、マチルダの前へとやって来た。
「よく来たね。私はシモンの叔母にあたる、エーリアって言うんだ。家長であるレイヤーズ伯爵の女房さ。疲れただろう、部屋に案内するよ」
エーリアは、身長はそれほど高くはないが、肩や腰などはガッチリしており、筋肉も見事だ。
レイヤーズ伯爵夫人みずからマチルダを部屋へと案内してくれるらしい。
マチルダはシモンと別れ、エーリアに付いて行く。大きな屋敷は西と東に棟が別れており、客室は西の棟の2階だと説明された。
シモンの部屋は、家族棟である東棟にあり、別れるのが嫌だとシモンはごねたが、鼻で嗤うエーリアより、まるっと無視されていた。
連れて行かれた客室は豪華で、これほどまでに上等な部屋を使ってもいいのだろうかと、マチルダは驚く。
「マチルダに一言いっておきたくてね」
部屋に入るなり、エーリアがマチルダを振り返る。ああとうとう苦情を言われてしまう。マチルダは大きな体を縮こませる。
妻にもなれない傷物の自分が、ノコノコとこんな所までやって来たのだ。どんな辛辣な言葉を浴びせられても、言い訳などできない。ただ謝るしかないのだ。
「私はマチルダに礼をいいたくてね」
「はい、すみませ、えっ? エ、エーリア奥様、頭を下げるなど、おやめくださいっ」
いきなりマチルダは、エーリアから頭を下げられ、縮こまっていたのも忘れて、両手を振って、なんとかエーリアの頭を上げさせようとする。
「シモンは今まで、家族どころか周りの者達全てに、いつも遠慮していたんだよ。自分が私たち(領主)の子どもじゃないこと。体格が小柄だということ。自分が役立たずだということに」
「そんなっ、シモン様が役立たずだなんて」
「ああそうだよ。誰一人として、そんなこと思っちゃいない。それなのに、どんなに頑張っても小柄なままのシモンは、自分を卑下してしまっていたのさ。周りの者達は、一生懸命努力しているシモンのことを認めているというのにね」
悲鳴のような声で否定するマチルダの手を、エーリアはそっと包み込む。
エーリアの手は、実戦で鍛えた、女性にしたらゴツイ手だ。だが、その手は柔らかくマチルダを包み、温かかった。
「マチルダと一緒にいたシモンは生き生きとしていた。あんなに嬉しそうで誇らしげなシモンは初めて見たよ。マチルダの絵姿に一目ぼれして、ハイオール国に留学すると言った時はどうなることかと思ったけど。良かった、本当に良かった」
エーリアは少し涙ぐんでいるようだ。
マチルダは気づいた。エーリアにとってシモンは我が子に他ならないのだろうと。心の底からシモンのことを気にかけ、心配しているのだ。
「マチルダ、シモンと婚約してくれてありがとう。シモンを受け入れてくれてありがとう。シモンのことをよろしく頼むよ」
「あ、え、あ、あの」
ここで『はい』と答えていいのだろうか。
マチルダは頷きたかった。だが、すぐに婚約は解消になるだろう。自分がシモンにふさわしくないと、今言うべきだろうか。マチルダは逡巡してしまう。
「第5ブロックにクラーケンが上陸しましたっ!」
部屋の外から、誰かの叫び声が聞こえてきたのだった。
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