第6話 絵姿に思いをはせる


どうしよう。

マチルダの分厚い胸は、困惑と恐怖でドキドキと忙しない。


マチルダを迎えに来ていた御者には断りを入れてから、シモンの迎えの馬車に同乗させてもらっている。

目の前にシモンが座り、馬車の中には二人きりだ。

今からマチルダの家に着くまでに、あらん限りの罵倒を受けるのかもしれない。

そう被虐的に物事を考えるようになるほどに、今までマチルダは皆の嘲笑を受けてきたのだ。


仲良くなるようにと開かれた子ども達の茶会では、いつもマチルダ以外の女の子達は徒党を組んで、厳つい身体をしたマチルダを蔑むのだ。簡単で、楽しいことだから。

その態度が、マチルダをどれほどさいなんでいたかなんて、女の子達には、ことだったから。

おとなしくて内気なマチルダには、言い返すことなんかできなくて、ただただ涙を堪えるのが精いっぱいだった。



「マチルダ嬢」

シモンの呼びかけに、俯いていたマチルダは顔を上げる。

とうとう始まるのか……。


「どうか、マチルダとお呼びください」

「そうだね、堅苦しいのは止めにしよう。文通では気安い話しをしているしね。私のことはシモンと呼んでほしい」

はにかんだように笑うシモンを見て、そこまでの罵倒はこないのかもと、マチルダは少し肩の力を抜く。


「マチルダは、いただいた絵姿よりも美しくて、驚いてしまったよ」

「は?」

いきなりのシモンの言葉がマチルダには理解できない。


「絵姿? 美しい……」

いくら政略の婚約者だとしても、そんなに気を使わなくても……。

それよりも絵姿って何のこと? 分からない。


「マチルダの御父上であるウインスター伯爵が、婚約を結ぶ時に、マチルダの絵姿をくださったのだ」

マチルダの疑問にシモンが答えてくれたのだが、マチルダは心で絶叫する。


と、と、父様ぁぁーっ。いつの間に絵姿なんて作っていたんですかぁ。

いや、そんなことより、それを渡すなんて。婚約を結ぼうとする相手に渡すなんて、なにしてくれちゃってるんですかぁっ!


シモンにばれていた。

マチルダが厳つくて、ゴツイ体格だということがばれていのだっ。それも婚約を結んだ時からっ!

よくぞシモンは、マチルダの絵姿を見ても断らなかったものだ。12歳当時の絵姿だとしても、すでにマチルダは立派な体格をしていたのだから。


シモンはマチルダの絵姿を見たというのに、婚約を断るどころか、文通も続けてくれていた。

シモンはなんて心優しい人なのだろう。って、そうじゃない。シモンが優しい素敵な人だということは、分かり切っている。そうではなくて、なぜシモンは婚約を断らなかったのかだ。


マチルダのウインスター伯爵家とシモンのレイヤーズ伯爵家は、同じ伯爵家とはいっても、マチルダの家は分家。家格にしたら下だ。何かしらの原因があって、シモンはこの婚約を断れなかったのだろうか。

マチルダの絵姿を見た後に、婚約を受け入れるなんて、ありえないことなのだから。


「僕の叔父夫婦には双子の娘がいて、僕の従姉妹になるのだけど、マチルダとの婚約の前に、その双子のどちらかと婚約してはどうかと言われていたんだ」

シモンはちょっと恥ずかしそうに、でも嬉しそうにマチルダに話しかける。


「僕もレイヤーズ伯爵家を継ぐには、そうした方がいいとは思っていたんだ。叔父夫婦には、双子以外に子どもはいなかったから。

でも僕は文通相手のマチルダのことが気になっていたし、マチルダに会ってみたいなぁって、どんな人だろうって思っていたんだ」

マチルダの目の前で、美少年が恥ずかしそうにクネクネしている。


どういうこと?

文通だけの交流の時は、マチルダの容姿を見たことがないシモンが、マチルダのことが気にかかるのは分かる。

だって6歳の時からの付き合いなのだ。手紙のやり取りは楽しくて、相手を美化していたと思う。まあ、シモンは美化以上の美少年だったのだけど、残念ながらマチルダは、美化どころの話ではない大ハズレだったはずだ。


「そんな時に、叔父に連れられて、ウインスター辺境伯家を訪ねたのだけど、ちょうどマチルダの御父上様がいらしていたんだ。

思わずマチルダと文通をしていると話しかけたら、何枚も持っていらした絵姿の中から、マチルダの絵姿を見せてくれた。御父上様は、家族と離れての旅が寂しいから、いつも家族の絵姿を持っていると言っていらしたよ」

シモンの話に、マチルダはガックリと肩を落とす。


レイヤーズ伯爵領には、海から魔物が上陸してくるとシモンに聞いたことがあるが、ウインスター伯爵領には森に魔物が生息している。年に数回は本家である辺境伯家に行って、魔物に対しての注意点や、より効率的な討伐のやり方などを話し合っているのだが……。父様、本家の辺境伯家と、どれほどの距離が離れているというのですか、わずか片道三日でしょうが。家族の絵姿を持って行くほどに寂しいことなんかないでしょうに。


「初めてマチルダの絵姿を見せてもらったら、僕の想像通りの人だと。ううん、それ以上に魅力的な人だと分かったから、叔父上と御父上様にお願いして、婚約の話を進めてもらったんだ。それに御父上様は渋られたけど、マチルダの絵姿も頂いた」

「はあ?」

ちょっとまって。

シモンが何か今、おかしなことを言った。マチルダの聞き間違いだと思えるような話だった。


シモンの話だと、マチルダの絵姿を婚約時に父から見せてもらい、マチルダがゴツイことを知った上で、シモンの方から婚約を進めてもらったと。そう聞こえた。その上、父からマチルダの絵姿を貰い受けたと。


「あ、あ、あのシモン様、確認したいのですが、私の絵姿といわれましたが、もしかして絵師が気を使って、まるで私には似ていない可愛らしい少女が描かれていたのでは?」

きっとそうだろう。

絵師は思いやりがありすぎて、ゴツイマチルダの姿に手心を加えすぎて、華奢で愛らしい少女に描いてくれていたのだろう。

そうなると、シモンは絵師に騙された。というか、そんな絵姿を持っていた父に騙されたことになる。


「僕はよく描けていると思うけど」

シモンはズボンのポケットから掌よりも少し小さいぐらいの絵姿を取り出す。


持ってるの? マチルダの絵姿を持ち歩いてるの?

ちょっとマチルダは、引いてしまったのだが、シモンから絵姿を受け取って見てみる。


超写実的ーっ!

マチルダのことが正確に描かれている。

12歳とは思えない、立派な体格と、張りのある筋肉。ありのままのマチルダが描かれていた。

腕がいい絵師だ。って、違う。そうじゃないっ。


「こんな絵姿を見て、どうして婚約しようなんて思ったのですか?」

マチルダは、心底思った疑問をシモンに問いただしてしまう。


「マチルダのことは文通を通して、気持ちのいい人だとは分かっていたんだ。絵姿を見て、これほど魅力的な人なら、すぐに婚約を結んでおかないと、他の人に取られてしまうと思って、御父上様に無理を言ってしまった」

「はあ?」

シモンが宇宙人語を喋っていて、マチルダには理解できない。

魅力的、誰が?


「マチルダの了解なしに無理矢理婚約を結んでしまったことは申し訳ないと思っていたんだ。手紙でマチルダが泣いて婚約を嫌だったと知らされた時は、すごく落ち込んだし、会おうと思って何度もマチルダの所へ行こうとしたけど、全て断られてしまったし……。

どうしていいか分からなくて、交換留学生の話に飛びついてしまったんだ」

目の前の美少年が、ヘニャリと落ち込んでいる。


まって、まって、待って。一体、何の話をしているのか。

シモンの話だと、まるでマチルダのことを気に入ったシモンが、シモンの意向でマチルダと婚約したように聞こえるではないか。


「シモン様の話では、私のことを気に入ったように聞こえます」

「えっ、もちろんだよ。僕はマチルダの絵姿に一目惚れしたのだから」

「な、な、何を言っているのですかっ。私のような容姿の者に一目惚れするなんて、ある訳ないでしょうがぁっ!!」

思わずマチルダは叫んでしまった。


大人しいマチルダが声を荒げることなんて、そうそうないことなのに。

人に対して、大きな声を上げたのは、初めてかもしれない。それほどまでにマチルダは、シモンの言った言葉に衝撃を受けてしまったし、からかわれたと思ったのだ。

マチルダはシモンのことが好きだったから、好きなシモンにからかわれたことに、とても傷ついたのだ。


シモンは、向かいの席に座るマチルダの手を自分の両手で包み込む。

「どうして? マチルダの容姿を僕は、とても好ましいと思うよ」

「だっ、だって、こんなに身体が大きくて……」

「素敵じゃないか。マチルダは身体が大きいだけじゃなくて、引き締まっていて、筋肉の張りが素晴らしい。ホレボレしてしまうよ」

「そ、それに、顔も厳めしいって、女の子の顔じゃないって」

「厳めしいんじゃないよ。キリリとしていて、カッコいいんだよ。僕の好きな顔だよ」

シモンは嘘ではないのだと、マチルダと目を合わせて、キッパリと言い切る。


今まで自分の容姿を褒められたことの無いマチルダは、だんだんと顔が赤くなってくる。

シモンの言葉を簡単に信じていいのか、からかわれていると怒ればいいのか。今まで、そんなことを言ってくれる人なんていなかった。経験のないマチルダは、どうすればいいか、ただただ困惑してしまったのだ。


「僕は必死なんだ。せっかくマチルダという理想の人を見つけたのに、逃げられそうだから。逃がす気はないけどね」

シモンは握っているマチルダの手に、そっと口づけを落としてニヤリと笑う。

今まで、恥ずかしそうにクネクネしていたのに、いきなり何だか黒そうな笑顔だ。


マチルダは、赤い顔のまま、どう対処すればいいのか、途方に暮れてしまっているのだった。

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