第4話 シモンのルーツ②


「北3ブロック地区にクラーケンが上陸しましたっ」

野太い男性の声が辺りに響いた。


「来やがったか。さあ皆っ、出動するよっ」

「はいっ」

領主夫人の声に、辺りの女性たち全てから応えが上がる。


レイチェルは、屋敷の居間で、領主夫人や親戚の夫人たちと共にお茶をしていた。

レイヤーズ家の人たちに受け入れてもらおうと、レイチェルは、ここぞとばかりに皆に愛想よく振舞っていたのだ。だが、レイチェル一人が空回りをして、なかなか打ち解けることはできないでいた。


王都で、様々な茶会に参加していた時、年配の夫人たちとも同席することは多々あった。その時は、婦人たちとは、すぐに打ち解けることができたし、皆がレイチェルの可愛らしさを愛でてくれた。

それなのに、レイヤーズ家の者たちは、レイチェルの愛らしさを気にも留めない。鼻も引っかけない。


レイチェルが流行りのドレスやアクセサリー、王都で上演されているお芝居の話をしても、誰一人として、興味を示さないのだ。

夫人とはいえ、全員の体格が良く、表情もいかつい。レイチェルの勧める装飾過多のドレスを着たいと思う者は誰もいないし、そんな動きにくいドレスを着られる場所ではない。レイチェルには、それが分からないのだ。


「ほらっ、あんたも来るんだよっ」

「いっ、痛いですぅ。離してください」

「はっ、何を悠長なことを言っているんだいっ。さっさと来なっ」

いきなり場の雰囲気が変わり、席に着いていた全員が立ち上がる。

とまどうレイチェルを、ジーンの母親である領主夫人が手を掴み、引きずるようにして、どこかへと連れていく。


「ど、どこに行くんですかぁぁ」

「あんたは耳が悪いのかい。クラーケンが上陸したって、聞こえただろう」

「ク、クラーケン?」

レイチェルは王都近くの男爵領で生まれ育っており、この国に魔物がいることも、その魔物と戦う人々がいることも、まるで知らなかった。

興味のないことを知ろうとはしなかったのだ。


「あんたもジーンと結婚したいのなら、クラーケンぐらい、素手で倒せるぐらいじゃなきゃあ、この領地じゃ、やっていけないよ」

「え、あの、クラーケンを倒す?」

「あたりまえだろう」

領主夫人は、何も分かってはいないレイチェルを、そのまま馬の背に乗せると、クラーケンが上陸したという、北3ブロックへと急いだ。

妊婦だというレイチェルは、気遣われることなく馬に揺さぶられた。


「何でそんな、そんなのは男の人に任せておけば……」

「屋敷に残っている男どもは先に行っているよ。それだけじゃあ手が足りないかもしれないだろう。屋敷にいる者が討伐に行くのは当たり前のことさっ」

「と、討伐って。でもジーン様とか、領主様が」

「他の男たちは船に乗っているのを忘れたのかい。海から帰って来るのを待っていたら、クラーケンから何人食い殺されると思っているんだい」

「く、食い殺……」

真っ青になり、震えるレイチェルを乗せた馬は、北3ブロックへと到着した。


レイチェルが今まで見たこともない魔物がそこにはいた。

2メートルほどの大きさをしたイカの化け物が、何本もの足を振り回しながら、暴れていたのだ。


手に手に得物を持った者たちが、クラーケンの周りを取り囲み、攻撃を仕掛けているが、何本もの足に阻まれ、なかなか致命傷を与えることができないでいた。


「どきなっ、私が行くよっ」

馬から降りた領主夫人は、控えていた侍従から、長柄槍を受けとる。

通常の槍よりもつかは太く、といわれる刀身部分は大きいのだが、馬に乗ったままのレイチェルには、槍の違いなど分かりはしなかった。今まで槍など見たことはなかったのだから。


槍を振り回しながら、領主夫人はクラーケンへと対峙する。

クラーケンは何本もの足を領主夫人へと繰り出すのだが、領主夫人は豪快に振り回す槍でことごとくクラーケンの足を叩き落とすと、その本体へと槍を突き立てる。

ガラスを引っ掻くような耳障りな鳴き声を上げながら、クラーケンは倒れていく。


「さあ、クラーケンをさばくよっ」

「はいっ」

領主夫人がクラーケンの息の根を止めると、周りで控えていた者たちが、ワラワラとクラーケンへと近づくと、クラーケンを解体しだした。


「ぐうっ」

辺りに漂い出した独特の生臭さに、レイチェルは吐き気を堪えることができず、馬から降ろしてもらうと、近くの木の根元に嘔吐する。


「この辺境には、お嬢ちゃんが考えるような、キラキラした生活なんか、ありゃあしなしよ。将来領主夫人になりたいのなら、率先して魔物をほふり、それを捌かなきゃならない。魔物の干物は、この地の特産物の1つだからね。使用人達を顎で使うだけじゃ、領民全てからそっぽを向かれちまうよ」

「ううう……」

涙を流し震えるレイチェルは、儚い雰囲気をまとう庇護欲をそそる姿なのだが、残念なことに、辺境に住む人々からすれば、場違いな存在でしかなかった。


「あんたがここに残りたいのなら、私は反対なんかしないよ。ただ、領主夫人になりたいのなら、いつまでもお客様じゃいられない。自分の役割を果たしてもらうからね」

レイチェルは、領主夫人をただただ、涙の溜まった大きな瞳で見上げることしかできないのだった。



ジーンとレイチェルは、レイヤーズの領地から離れ、王都近くに住むことになった。ジーンはその体格を生かして、騎士として宮仕えとして働いた。辺境伯の嫡男だが、跡を継ぐことは許されず、弟が本来ならばジーンと結婚するはずだった婚約者の令嬢と結婚をし、辺境伯を継ぐことになった。

ただ、レイチェルは伯爵夫人の夢を諦めきれず、自分の産んだ子を弟夫婦の元へ養子に出すことにした。正当な跡継ぎなのだから、その権利を奪うなという主張だった。自分の息子に辺境伯を継がせ、伯爵の母になろうと思ってのことだった。


養子に出された男の子シモンは、レイヤーズ領で、弟夫婦から可愛がられながら、すくすくと育っていった。

ただ、残念なことに、母レイチェルにそっくりで、小柄で華奢な体格をしていた。

周り全てがマッチョの中で暮らしていくうちに、シモンはマッチョへの強い憧れを抱くようになり、自分もマッチョになるべく努力をするようになっていった。


だが、生まれ持った体質は変わることなく、シモンは線の細い美少年へと成長していく。その心の中に、マッチョへの強い希求ききゅうを抱えたままに。


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