「やっぱりさ、運命の出会いとかってあれ嘘だったんだね。ちょっとでも期待しちゃった私が馬鹿だったよ」

 真昼のファミレスに呼び出されるや否や、シイちゃんの嘆声たんせいが店内にこだました。

 その直後におしぼりを持ってきた同い年くらいの女性店員に私は自分の分のドリンクバーを追加してもらう。「当店のご利用は初めてですか?」という質問には「いえ、大丈夫です」と答えた。シイちゃんはそのやりとりが終わるのを律儀に待ち、やがて店員が席を離れていくとテーブルに置いてあった飲みかけのグラスを手元に寄せ、さっきの話の続きに戻った。

「この前のイケメンなんだけどさ、もう最悪だったんだから」

「ああ、あの出会い系の人ね」と私はおしぼりで手を拭きながら相槌を打った。

 店内を見渡すと、昼時だからか空いている席はほとんどなく、私たちの席は四方を家族ずれやカップルに囲まれていた。店員たちも誰一人休むことなくあちこちを動き回っている。

 私はついその慌ただしさに遠慮して、メニュー表に手を伸ばすことをためらってしまう。仕方なくしばらくの間は空腹を我慢することにした。

「昨日その人と実際に会ってさ」シイちゃんは話を続けた。「ついさっきまで一緒にいたのよ」

「へえ、そうだったんだ……」

 平静を装いつつも、自然と私の目はシイちゃんの服装に向いていた。丈の長い白Tの上から紫色のスウェットを重ね、緑のテーパードパンツを合わせたその奇抜な格好は、普段から白・黒・茶・紺という無難な色味しか使わない彼女のイメージとはあまりにかけ離れていた。らしくない、というか見慣れないせいでつい違和感を抱いてしまう。

 やがてこちらの視線を察したのか、彼女は口を尖らせて不貞腐れたように「どうせ似合ってないことくらい自覚してるってば」と呟いた。

「ごめんごめん」私は慌てて誤魔化そうとした。「別に似合ってないとかじゃないんだけどさ、シイちゃんって男の子と会う時そういう格好するんだなーって少し驚いちゃったんだよ」

 すると、彼女はまるでそこに自分の意思はなかったことを主張するかのような口調でこう言った。

「私だって初めてだよ、こんな派手な服装」

「えっ、どういうこと?」と私は眉根を寄せた。

 聞けば、シイちゃんは出会い系サイトで知り合った金髪の男にあらかじめ好みの服装をリサーチしていたという。彼女はそれをわざわざ事前に買い揃え、満を持して金髪男に会いに行ったらしい。どうやら金髪男に一目惚れしていたようだ。その行動からも彼女の本気具合が窺えた。

「シイちゃんの好みって意外と変だよね」

「そうかな?」と彼女は小首を傾げた。

「たぶんそうだよ」

 私はそう言って肯き、もう一度シイちゃんに金髪男の写真を見せてもらった。

 ほらやっぱり、と私は心の中で秘かに呟く。

 ワックスかジェルかで逆立たせていた金髪に五百円玉ほどある大きなピアスを両耳につけ、さらには上裸になった自らの肉体を鏡の前で自撮りしてその写真を恥ずかしげもなく堂々とネットに晒すその自己顕示欲強めな人間性が、私にはどうしても受け入れることができなかった。とはいえ、金髪男との出会いを運命かもしれないと舞い上がっていたシイちゃんの前でそんなことを素直に口にできるはずもなく、結局はその恋がどういうわけか破綻してくれたことに私は彼女の親友としてホッと胸をなでおろしていた。

「で、どこまでシちゃったの?」と私は聞いた。

「そりゃ全部だけど」

「あらら。ヤっちゃったんだ」

「そりゃまあ、向こうがその気だったんだから仕方ないじゃない」

 シイちゃんはどこか言い訳がましく口にしていた。どうやら彼女が運命の出会いだと期待していた金髪男は典型的なヤリモク男だったらしい。その顔には薄ら後悔と哀傷あいしょうを滲んでいるようにも見えた。

 しかし、これまであまり深く他人と関わってこなかったせいなのか私は慰め方をよく知らなかった。もしこれがフィクションの世界だったなら、次に発する言葉がシイちゃんの心に沁みて彼女は泣いちゃったりするんだろうな──なんてことを考えているうちに二の足を踏み、会話が途切れてしまった。

 それからしばらくして、シイちゃんはいい加減その気まずい空気に痺れを切らしたのか空になったグラスを手におもむろに席を立ち、ドリンクバーの方に向かった。私もその後ろを追いかけ、そのまま列に並ぶ彼女をよそに私は製氷機の横に並べられていた未使用のグラスを一つ手に取った。

 すぐ横で店内を走り回っていた男の子を注意していた父親らしき中年男性の後ろを通ってようやくドリンクバーの列に並ぶと、ちょうどドリンクを注ぎ終えたシイちゃんとすれ違った。「先行ってるね」と言う彼女に「わかった」と肯き、スマホを開いて順番を待った。

 目下で表示された画面を見て、私は明日が自分の誕生日だったことに気付くと同時に、学生生活があと一年と半年ほどしか残されていないことを少しだけ嘆いた。

 やがて自分の番が回ってくると私はスマホをポケットに仕舞い、しばらく迷ったのちにアイスコーヒーをグラスに注いだ。なんとなく、その苦さが今の自分を表しているような気がしたのだ。思えば、私の学生生活はカルピスのような甘酸っぱさもレモンスカッシュのような爽快感もなかった。かといって、烏龍茶のようにその場に馴染むことすらできなかった。

 そんなことを考えながら席に戻ると、先に席に座っていたシイちゃんは先ほどと同じ女性店員を捕まえてフライドポテトを頼んでいた。「カンちゃんも何かいらない?」と聞かれ、空腹を我慢していた私はグラタンを注文した。

「少々、お時間がかかってしまうのですが大丈夫でしょうか?」申し訳なさそうな顔で店員は言う。

「忙しいなら全然後回しにしてもらって大丈夫ですよ」

 私は気を遣ったつもりでそう口にしたのだが、店員は「出来るだけ急ぎますので」と最後まで申し訳なさそうな顔を崩さずその場から立ち去っていった。

「なんか逆に気を遣わせちゃったかな?」

 店員がいなくなった後で私がシイちゃんに小声でそう聞くと、彼女は小首を傾げて「いや、別に気にすることでもないでしょ」と笑った。

 それからまた互いに無言の時間が流れると、私はアイスコーヒーを黙々と飲みながら、ふと隣のテーブルで食事をしていた家族を視界に入れた。母親がまだ小さい娘のために焼き魚の身をほぐしているその光景が微笑ましくて、気付けばついじっと眺めてしまっていた。

「ああいうのを幸せっていうんだろうね」とシイちゃんは言った。

 どうやら彼女も同じ光景を見ていたらしい。いつの間にか私は仲睦まじく食事をしているだけの家族から目が離せなくなっていた。

「たぶんそうなんだろうね」

 そう返事をしながら、きっと私はああいう風にはなれない運命を辿っているのだろうと心のどこかで悟っている自分がいた。何故か胸の奥がチクリと痛む。

「運命なんて期待するだけ無駄だってずっと思ってたんだよね」

 私はシイちゃんの方を振り向かずにその言葉に「うん」と肯く。彼女は間を置かずにその後を紡いだ。

「だけどね、結局は私もどこかで期待してたんだろうなって思うの」

 うん、とまた相槌を打つ。

「出会い系サイトだってさ、たぶん無意識のうちに運命の出会いっていうのを期待して始めてたんだよね、きっと」彼女は続けた。「でもやっぱりそんな都合のいい運命なんてなくてさ、結局は身体目当ての男に簡単に捕まって、ヤッたらポイって捨てられてさ。ほんとに自分が情けないよ。勝手に期待したばかりに勝手に裏切られてさ、挙げ句の果てには悲劇のヒロインぶるんだもん。ほんとに惨めだよね、私って」

 いつになく重いその声のトーンに私は自然と「そんなことないよ」とかぶりを振っていた。「優しいよね、カンちゃんって」と笑うシイちゃんに、私はまたしても「そんなことないよ」を返してしまう。それしか答えられない自分が不甲斐なかった。

 やがて視界の外でシイちゃんの深呼吸の音が聞こえる。

「……でも運命はさ、優しいのか残酷なのかよくわかんないよね」

「えっ?」私は隣のテーブルから目を切り、シイちゃんの方を振り返った。「どういうこと?」

「だってさ、運命っていつも事が終わった後にしかわからないでしょう?」

 ちょうどこちらを振り向いた彼女と久々に目が合い、つい照れ臭くなった私はアイスコーヒーを一口含んでから「そうだね」と肯いた。

「でも、私たちがあらかじめこれから待ち受けてる運命を知っておけば、無駄に期待することもないし、裏切られることだってないわけじゃない」とシイちゃんは口を尖らせて不満げに言う。「カンちゃんもそう思わない?」

 私は彼女の仏頂面を見てつい笑ってしまった。

「ねー、真剣に答えてよーっ」とシイちゃんはわざとらしく語尾を伸ばす。

 ようやくそこで重たい空気が和んだような気がした。「ごめんごめん」と謝る私をよそに、彼女は「でもやっぱり知らない方がいいのかなあ」と独り言のように呟いた。

「どうして?」と私は聞いた。

「だってさ、仮に悪い運命を聞いちゃった場合、もう生きていけなくなっちゃうでしょう?」

「そんなのは信じなきゃいいんだよっ」

 ほとんど反射的にそう答えた私をじっと見つめていたシイちゃんは目の前で意外そうな顔を浮かべていた。

「カンちゃんも意外と前向きな人だったんだね」

 その言葉に私はハッとした。

「……いや、そんなんじゃないって」

「ううん。前向きだよ」とシイちゃんはすかさずかぶりを振る。「だってさ、それってつまりはカンちゃんが少しでも未来に希望を持って生きていたいってことでしょう?」

 途端に顔が熱くなってしまう。改めて言葉にされると、自分の発した言葉がいかに陳腐で幼稚で馬鹿らしかったのかを思い知らされているような気分になった。

「ち、違うのっ。別にそういうことじゃなくて……」

 私はつい言葉に詰まってしまう。これから自分が何を訂正したいのかがまだ整理できていなかった。それでもきっと私はシイちゃんの前で何かを否定したくて、その何かを求めて頭の中を必死に探し回っていた。

 そもそもどうして私はあんな自己都合なことを口にしてしまったんだろう。都合の悪い運命は信じなくていいなんて、運命の残酷さを知らない人間が使う台詞のはずなのに──

 そんなことを考えているうちにまたしても何故か胸の奥がチクリと痛んだ。

「私さ、昔からハッピーエンドの映画って嫌いなんだよね」

「……えっ?」

 シイちゃんのその言葉の真意がすぐにはわからなかった。

「カンちゃんと私ってさ、結構好き嫌いが似てる気がしてるの」

 うん、と私は肯く。「私もハッピーエンドの映画はあんまり好きじゃない」

「やっぱり」とシイちゃんは笑う。「誰かの幸せって見ててつまらないもんね」

 今度はその言葉に胸がチクリとした。

 もしかするとそれが表情に出ていたのかもしれない。シイちゃんはそれを見透かしたかのように「今ドキってしたでしょ?」と言い、ニヤリと白い歯をみせた。

「でもさ、そういう風に感じてしまうのって案外普通なのかもしれないね。なんかカンちゃん見てて私も少しだけ安心しちゃった」

「どういうこと?」と私は聞き返す。

「これは私の勝手な思い込みかもしれないけどさ」とシイちゃんは前置きをして話し出す。「私たちって、本当は幸せに飢えてるだけなんじゃないかな」

「……幸せに、飢えてる?」

 まだ話の全体像が見えていない私はオウムのようにそのまま言葉を繰り返す。

 シイちゃんはそれに肯いた。「そう。だから私たちは何かと他人の幸せが目についてはそれを妬んでしまって、最終的にはいつもそれをつまらないものだと認定してしまうんだと思うの」

 責められているわけではないとわかっていたが、それでも自分が常に何かを妬んで生きていると指摘されていることに、私は辱めを受けている気がしてならなかった。

 それでも「別に恥ずかしがることじゃないよ」とフォローしてくれるシイちゃんに対し、私はつい「そんな慰めはいらないって」と突き放してしまった。その反発的な態度に彼女はしばらく目を丸くしていたが、やがて元の穏やかな表情に戻ると、今度は苦笑いを浮かべてこう言った。

「私も最初は幸せになりたいって思ってるのが自分だけみたいで、なんだかすごく嫌だったけど」とシイちゃんはそこで一旦言葉を区切ると、そこからは途端に恥じらうように言葉を紡いだ。「さっきカンちゃんが口にした言葉を聞いて、もしかしたらカンちゃんも私と同じことを考えてるんじゃないかって思えたの。そしたらさ、なんでかわかんないけど途端に嫌じゃなくなったんだよねっ」

 弾むような彼女の声が耳を伝うと、不思議と全身にじんわりと優しい温もりが広がり始めた。その言葉の一つ一つがどれも腑に落ちていく感覚があり、いつの間にか胸の奥で痛んでいた傷口も癒え、私はこれまで無理やり押し殺そうとしていた本音にようやく気付けたような気がした。

「これはつい最近気付いたことなんだけどさ」とシイちゃんはまだ話を続けている。「結局は運命とか実際のところどうでもよくて、たとえこの先ハッピーエンドを迎えようがバッドエンドが待っていようが、私はとにかく誰よりも幸せになりたいと思ってるんだなあって」

 彼女は何かが吹っ切れたような清々しい笑みを浮かべていた。

「カンちゃんはどう?」

 その問いに私が「うん」と肯くと、自然と再び隣のテーブルに目が向いた。

「……たぶん、私もあんな風に幸せになりたいんだと思う」

 視線の先で仲睦まじく食事を続けていた家族を今度こそ私は素直に羨ましいと思った。

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