現実に待ち受けている運命なんて結局はどれも残酷なものばかりだ。

 なんの脈絡もなく唐突に姿を現したかと思えば、たった一瞬のうちに私の世界を粉々に壊して過ぎ去ってしまう。運命というものが神々によって与えられるものならば、きっと彼らはそれまで色鮮やかに彩られていた私の世界に飽きてしまったのだろう。どれだけ満開に咲き誇る桜の木が目の前にあったとしても、それが年中咲きっぱなしではいつしかその価値が薄れてしまうのはわかりきったことだった。『失ってから気付くあなたの大事さ』とありふれた歌詞を最初に書き出したのは、もしかすると神様だったのかもしれない。そう思えてしまうほどに、この世は何かが失われ続けることで成り立っているような気がした。そしてそんなシナリオをあらかじめ用意しているのはいつも神様で、私たち人間の力ではどうにも抗えなかった。

 とにもかくにも、そんな運命の力によって私は目の前で両親を失った。まだ私が小学生になったばかりの頃に起こった出来事だった。

 以来、私は真面目に生きていくことすら馬鹿らしく思うようになった。

 両親が居なくなってしまった私は三年間ほど親戚の家をたらい回しにされ、のちに児童養護施設に預けられた。善悪の分別もついていない小学生のうちは親がいないという理由で周囲から酷いいじめを受け、中学生や高校生ともなるとそれは自然と同情や憐みへと形を変え、結果的には誰とも交わることのない独りぼっちの寂しい学生生活を送ることになった。それは大学に入った今でも特に変わることはない。楽しいと思えることなんてほとんどなかった。

 ここ最近で一番笑ったことといえば、大学でできた唯一の友達であるシイちゃんがスズキの軽自動車『Lapin』のことをずっと「あのラピンってさあ──」と言い間違えていたことくらいだ。私の人生がいかに薄っぺらくて密度のないものであるのかをそのエピソードが物語っているような気がした。

 しかし、今更になってそんな人生を辿っていることを嘆いたり、虚しく思ったりはしなかった。それは両親が死んでしまったあの日から、私はきっとそういう運命に導かれているんだろうと悟っていたからなのかもしれなかった。

「──でもさ、結局は男って私たちのことを見た目でしか判断してないのよね」

 なんの話だったか、水面に熊の絵が描かれていたカプチーノに口をつけているシイちゃんとふと視線がかち合った。

「どうせ今ぼうっとしてたんでしょ?」

「……ごめん」

「カンちゃんってたまにそういうところあるよね。心ここに在らずっていうか」

 シイちゃんはこちらを咎めるような鋭い目つきで不満げにそう言った。私はその視線から逃れるように手元のアメリカンコーヒーを一口飲み、そのまま辺りを見渡した。

 四席分あるカウンターの向こう側には緑色のエプロンを首から提げていた中年のマスターがコーヒーをドリップしていた。その後ろの壁面収納棚にはコーヒー器具やグラスがずらっと並べられている。テーブル席は私たちが今座っているところを含めても三つしかなかった。しかもそのうち四人用テーブルは一つだけで、店内には計十二人までしか収容できなかった。

 レイアウトにしてもいわゆる若者ウケしそうで近代的なお洒落とは程遠く、椅子やテーブルはどれも年季の入った木製家具が使用され、しかも傷の目立つ本棚に並べられていたのはどれも知らないグルメ漫画で、天井に備え付けられていたスピーカーからはクラシック音楽しか流れてこなかった。ただ、店内には私たちの他にスーツ姿のサラリーマンと二人組の主婦しかいなかったおかげでそれは全くノイズを含まないクリアで耳障りの良い音だった。

 しばらく何も考えずにその音に耳を傾けながらコーヒーを飲んでいると、途中でその優雅なひと時を邪魔するかのようにシイちゃんが「ねえねえ」と声をかけてきた。目の前に差し出されたのは、先ほど観終えたばかりの映画の半券だった。

「カンちゃん的にはどうだった? この映画」

 その質問に私は小首を傾げる。正直なところ、何故この映画が世間で話題になっているのかが全く理解できなかった。クラスで自称三軍を謳っているさえない女子生徒が偶然にも通学路の途中に転校生と出会い、やがて恋に落ちる──みたいな王道のシナリオはもう使い古されて新鮮味に欠けているような気がしたからだ。たとえそこに人気の豪華俳優陣を揃えようと、面白くないものは面白くなかった。

「あれが世間で流行ってるっていうんだから、私はこれからも絶対に社会とは馴染めないような気がしたよ」

「全く同意見だわ」とシイちゃんは肯き、そこからは矢継ぎ早に映画批判を続けた。「大体さあ、冴えない女子生徒役にどうしてあんな美人な女優を起用するかな。あの時点でまずリアリティーに欠けてるんだよね。冴えない女子なんて結局、黒髪のおさげに丸眼鏡かけさせて休み時間に静かにアガサクリスティーでも読ませとけばいいと思ってる。ほんとにくだらない。それに加えて脚本家は自分勝手なシナリオばっかり用意してるから、ずっと腑に落ちない展開が続くし、感情移入もしづらい。カンちゃんもそう思わなかった?」

 その問いに私はシイちゃんの勢いに気圧されるがままに「まあね」とだけ同意し、それ以上は何も言わなかった。

 そもそも私は彼女のように眉間にシワを寄せて怒りを抱けるほど、映画に興味はなかったのだ。今でこそ彼女に誘われて月に三回ほどは映画館を訪れるようになったものの、自ら観に行きたいと思えるほどハマることはなかった。

 映画が嫌いだったわけでも、フィクションが嫌いだったわけでもない。むしろ私は本好きだった両親の影響で、独りぼっちの学生時代は誰よりもフィクションに没頭していた。アガサクリスティーも一通りは読み漁った。つまりさっきシイちゃんが嫌悪していた冴えない女子の設定も、あながち間違っていたわけではなかったわけだ。とはいえ、それをわざわざ彼女に言う必要もない。

 シイちゃんは初めて出会った時から押しが強く、有無を言わせずに強引に他人を巻き込む力があった。大学一年生の頃、彼女はまだ話したことのなかった私のことをいきなり下の名前ではなく「カンちゃん」とあだ名で呼び始め、「私のことはシイちゃんって呼んでねっ」と当たり前のように言って私の手を掴んだ。

 その瞬間から私たちは友人になり、いつの間にか親友になっていた。それまで誰とも交わることのなかった私にとっては、彼女のその強引さがありがたかった。

「ああいう運命の出会いを謳ってる恋愛映画を観てるとさあ」とシイちゃんは再び映画批判を始めた。「そんな都合の良い運命なんて現実には訪れないんだって思わず叫びたくなっちゃうのよね」

「……ああ、それはほんとにわかるかも」

 つい先ほどまで実際に訪れた運命を遡っていたのはきっと映画のせいだったのかもしれない、と今更になって気付く。私は心の底からシイちゃんのその意見に同意していた。

「やっぱりカンちゃんも私と一緒だっ」

 シイちゃんはそう言ってどこか嬉しそうにカプチーノを飲み干した。それを見て私はマスターにお冷を二杯頼む。すかさずそれに「気が利くう」という言葉が飛んでくると、つい恥ずかしくなってしまった私は「ちょうど飲みたかったのよ」と誤魔化した。

「でもさ、結局はそういうもんだよね。現実世界に運命の出会いなんてあるわけないもん」と改めて話を戻したシイちゃんはちょうどテーブルの上で小刻みに震えだしたスマホにチラと目を落とした。「期待するだけ無駄っていうか……」

 すると、彼女は中途半端なところで口ごもり、震えの止まったスマホに手を伸ばしてしばらくの間じっとその画面を眺めたまま固まってしまった。

「ごめん、やっぱり前言撤回っ」とシイちゃんはやや興奮気味に声を張った。

「どうしたの?」と聞いた私は残っていたアメリカンコーヒーを口に含んだ。

 やがてシイちゃんはスマホの画面をこちらにも見せてきた。

 そこには金髪の男性の顔写真が載っていた。

 どうやらそれはシイちゃんが登録していた出会い系サイトの画面だったらしく、たった今、そこに写っている金髪の男性から『一目惚れしました。今度会ってくれませんか?』といういかにも下心が丸見えなメッセージが届いたのだという。しかし、彼女はそのメッセージを疑っている様子は一切なかった。

「見てよこれ。まじタイプなんだけど、どうしよっ」シイちゃんの目はわかりやすく輝いていた。「私にもついに訪れちゃったのかもっ。運命の出会い」

 その言葉に私は思わずコーヒーを噴き出してしまった。

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