第27話 ちょっとした保険だよ。ほーけーんー
プカプカと気球は上がるよ、雲の上。
赤い車は風に煽られ揺れに揺られて空に浮かぶよ、どこまでも。
「なるほどね」
イクトは狭い操縦席の上でだらりとシートに背中を預けていた。
リクライニング機能は一応はあるも狭い空間故、生かし切れていない。
狭い空間で見つけた隙間に足を伸ばしては、その手に持ったタブレット端末で電子書籍を読みふけている。
その内容は惑星ノイついての歴史や神話であった。
「地球の紀元前と紀元後は主が生まれる前か後かで別れているが、惑星ノイの場合は創世前と創世後に別れているのね」
ページめくるたびに、ただ嘆息する。
惑星環境が似ていようと地球とは似て非なる文明、違う歴史を辿っているのが改めて理解できる。
創世前、唯一の国に一つの巨大な塔があった。
世界は、神に祈りを捧げ届けんと天に近き塔を建てた。
純粋な神への敬意と信仰心が生んだ祭壇でしかなかった。
だが天高き塔は高慢として神の怒りを買い、二つの月より水の鉄槌が振り下ろされる。
塔は跡形もなく破壊され、人々は洪水にて各地に散り散りとなった。
神は洪水で人々の命を奪わなかった。
ただ二度と元の地に戻るのを許さず、新たな地に根を下ろす罰を与えた。
「ん~確かバベルの塔だっけか?」
神に近づきすぎたために怒りを買い、塔を破壊された人々は罰として言語と住処をバラバラにされた神話、のはず。
その辺の知識は疎いため、うろ覚えである。
「この水の鉄槌も、ノアの洪水に該当するんだろうな」
ノアという一族が動物たちと巨大な船で神が起こした洪水から生き延びる神話のはずだ。
地球の場合、ノアの一族以外の人間は全滅している。
惑星ノイの神様は各地に流すだけで命奪わぬとはお優しい様だ。
「こんな気持ち、小さい頃から味わいたかったな」
ぼやこうと既に過ぎたこと、終わったことだと割り切るしかない。
未知を既知とする時に芽生える快感。
できないことができるようになる感情。
リコが研究や実験に勤しむ気持ちがよくわかる。
楽しいからだ。未発見を発見に繋げられるからだ。
ただし
「ふぁ~後とどくらいだ?」
真紅の車両の中でイクトはあくび混じりに聞いた。
『おおよそ五時間ぐらいだね』
同じ質問は飽きたとばかり<ラン>は面倒臭そうな音質で、なおざりに返す。
「ロケットでズビューンでもマスドライバーでドバーンと行けるかと思えば気球でプカプカ浮いて大気圏離脱をするとは思いもしなかったぞ」
コロニーを旅立った後、<グラニ改>は敵と交戦する間もなく目的地であるカグチ島にたどり着いた。
ただマスドライバー施設は派手な爆発により廃墟と化し、発射基地としての機能は死んでいた。
施設内に弾痕など交戦した形跡はなく、コントロールルーム跡地から破損データを<ラン>が解析する。
どうやらメタクレイドル転送時に、<アマルマナス>に運用されるのを避けるため施設ごと爆破したのが判明した。
宇宙に上がる術は失われたと思えば、奇跡的に爆破を免れた倉庫から観測用の気球を発見した。
地表から衛星軌道までの一万キロメートル。地球換算で、千葉県房総半島から直線距離で長崎五島までの距離となる。
惑星ノイが地球と相違ないサイズだと実感させられる。
『当たり前だけどさ、物体を宇宙に上げるには重力に負けぬ速度で上昇し続ける必要があるんだよ』
燃料が持つ間に物体を高速で大気圏外まで打ち上げる。
風船のようにプカプカ浮き上がり続けて大気圏外に到達可能だろうと、浮遊を持続させるためのエネルギーが必要となり、ただの浪費と非効率でしかない。
ならば最大推力にて物体を単時間で打ち上げる。
特に発射地点も重要であり、赤道に近ければ近いほど惑星の公転に引っ張られる形で打ち出すことで燃料の浪費を抑え、早く物体を運び出せる利点があった。
「斥力と光波推進の二つをゆっくり吹かして大気圏を離脱とか、ロマンがないな~」
『離脱できずに離脱法を探して地表を探し回るよりマシと思いなさいよ』
たしなめる<ラン>にイクトはあくびで返す。
通常では不可能な気球を用いての大気圏離脱。
MAならば継続的に終わりなく推進力を維持し続けることは可能だ。
ゆっくりと気球の浮力を借りて車体を浮かび上がらせ、推進器にて上昇し続ける。
映画のように加速Gにて身体を軋ませるシーンもなければ、大気圏突入で味わった断熱圧縮現象に車両が晒されることもない。
車両へのダメージを抑えられる一方で大気圏離脱に時間がかかりすぎていた。
『幸いにも周辺に<アマルマナス>の反応なんてない。次なる戦闘行為に備えて休むのもまたドライバーとしての戦いだよ』
「頭では分かっているんだがな」
今一度、イクトは大きな欠伸一つ。
これなら無人の街からゲームハードの一つでも拝借しくればよかったと少し後悔する。
拝借しなかったのは単に、コロニーの人たちの娯楽を奪うような気がしたからであった。
それから――
身体から重石が解放されたような浮遊感がイクトを包み込む。
「おお、これこそ魂が重力から解放される感覚か」
重さを得て浮遊感を得たからこそ出るお約束の言葉。
ようやく、長い時間をかけて大気圏外への離脱に成功した。
コンソール操作により気球との連結が外され、慣性のまま気球は衛生軌道上をクラゲのように漂っている。
また再度降下する間抜けを起こさぬよう、引力と重力の狭間に車両を位置取る各所スラスタの出力調整を忘れない。
「道中<アマルマナス>に出会わなかったのは幸運だった」
『そーだーねー』
棒読みで返す<ラン>は電子アイを煌めかせながら、何かを処理している。そのまま<グラニ改>の両側面を展開させ、二つの機関砲に実体弾を装填すれば一斉射。ブツ切り閃光の群は衛星軌道に乗り、彼方へと飛んでいく。
「なにしてんだ?」
『ちょっとした保険だよ。ほーけーんー』
ぶっきらぼうに<ラン>は答えるだけで詳細を説明しない。
今まで通りの配置ならば、掴み上げて詰問するのだが、生憎、再設計された操縦席により配置はハンドル側から変更されている。シートのヘッドレス後方に移動しているため微妙に手が届かなかった。改修に紛れた自己防衛なのは確認せずとも分かっている。
「まあいい。<ラン>、各部チェックだ。特にコンテナの連結部周りを入念にしてくれ」
『もう終わってるよ。全システムオールグリーン。各部連結異常なし。ついでに周辺宙域の敵性反応もなし!』
敵と出くわさなければそれでも構わない。
MA03<レッドラビット>なら文字通りすっ飛んでくると予測していたが、これは嬉しい誤算である。
『ゆっくりゆっくり上がってきたから、それが逆に動体反応や熱反応を捉えられなかったんだと思うよ』
「なおさら都合がいい。このまま白い月に向かうぞ」
『最初だけ一気にスラスタ噴かした慣性航行で行く? それとも噴かしっぱなしでバビューンと突き進む? ボク的には慣性航行で進んだ方が斥力場の力場反応や光波推進の飛沫粒子で発見されるリスクは避けられるし燃費も抑えられるからオススメだけど?』
ふむとイクトは黙考する。
慣性航行とは文字通り、初速を利用してそのまま進み続けることだ。
宇宙では一キログラムの質量を移動させるのに一キログラムの力が必要となる。
重力や空気のない宇宙だからこそ、地表に引っ張られることも、空気抵抗を受けて減速することもない。
ただ真っ直ぐ、真っ直ぐと遮るものがなければ進み続ける。
「本音を言えばあのウサギ野郎に倍返ししたいが、白い月の基地に何があるか分からない以上、無駄な戦闘は避けたい。なら<ラン>、慣性航行だ」
苦渋の決断ではないが、少し迷ったのは事実。
改良された<グラニ>で倍返しは本音であるが、イクトの目的は行方不明のリコを見つけだすこと。報復が行動目的ではない。
『ヨーソロー! 各部スラスタ、角度調整、機首を白き月に固定。斥力及び光波推進、出力集束、カウントダウン省略! 発進!』
「ぐっ!」
<グラニ改>は後部推進機関を唸らせ加速する。
中のイクトはソリッドスーツを着込もうと呻いてしまう。
あたかも見えざる巨人の手に正面から押さえつけられたような重圧だった。
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