第10話「女の子からの『あーん』で無事死亡」
——それは恐らく、世の中の男子にとって喉から手が出るほど羨ましいイベントなのだろう。
食べかけのハンバーグ。
先ほどまで使用していたフォーク。
そして、甘い声で囁く『あーん』。
それが彼女のような美貌を持った女の子によるものとなれば、千金の価値に匹敵する。
そして、その事実を彼女も自覚している。
本来ならば嫌がる男なんていない。むしろ土下座をして金を払ってでも受けたいと思うだろう。
それほどまでに——この
……なんですけど。
「ほら、
「————」
頬を上気させてそう呼びかけてくる美玲に対して、俺は心臓がバクバクと鳴り響いていた。
嘘だろ?
流石にこのイベントは予想してなかった。
いや、ただでさえカツカレー大盛りで死にかけながら食べてたのに、そこに……女の子からの『あーん』を食らったら……。
「おやおや」
「うへっ!? み、美玲ってば結構大胆だね……」
「今更だろこんなの。俺は去年から同じようなやり取りを散々見せられてんだ」
面白そうに首を傾げる
顔を赤くして驚く
見飽きたかのように嘆息する
それぞれ三者三様のリアクションを見せる中、俺は顔が引きつったまま固まっていた。
まずい、背中から冷や汗が出始めている。
いつもは完璧に擬態をしている俺だが、このイベントは流石に洒落にならない。
何がヤバいかって——間接キス。
ただの身体接触などではない、ディープなソレ。
学年一の美少女と交わす刺激的なやり取り。
まるでラブコメの主人公のようなイベントが発生してしまい、俺の胸のドキドキは本日最高潮に達していた。
「み、美玲ちゃん……蒼くんが困ってるよ」
「えぇ〜? 蒼、困ってるの?」
「こ、困ってるっていうか……その……」
「むぅ……蒼は私のこと嫌い?」
「嫌いとかじゃなくてだな……」
「じゃあ、食べてくれるよね? これくらいで遠慮しないで。蒼と私の仲だもん」
悩ましい声音で言う彼女に対して、俺はグルグルと目を泳がせていた。
え、これどうすればいいの?
この状況で『あーん』を回避する道は——ない。
もし美玲を拒絶すればますます拗ねるだろうし、ムキになってより一層スキンシップをしてくる恐れもある。
かと言ってこれを食べるのは……むむむむむ無理です絶対。カツカレー大盛りで胃袋が爆発しかけてる状態なんですよ。普通に死にますこんなの。
しかし、そんな風に躊躇している時間はないようで——慎司は完全に面白がってる顔で囃し立ててくるし、瑞原は赤面しながらも期待に満ちた顔だし、彰に至っては「早く終わらせろ」と言わんばかりの呆れ顔で見てくる。
若葉も「お願い、受けてあげて?」といった申し訳なさそうな苦笑で視線を送ってくるのだ。
唯一美玲を止めてくれるとしたら若葉なのだが、どうやらその気はないらしい。終わった。
「早く、蒼……」
「あ……」
場の流れに逆らえず、俺の体は意思に反して動き始めた。
美玲の差し出したフォークに、ゆっくりと口を近づけていく。
「あ、あ…………」
耐え切れず汗が吹き出し、震え始める体。
徐々に霞んでいく視界。鳴り響く心臓の音。
息を荒げたまま、デミグラスソースがかかった美味しそうなハンバーグを頬張ろうと——。
「——あーん」
そして、パクリと美玲のフォークを口に含んだ。
「おお」
「わぁ……」
慎司と瑞原が感嘆の声を上げると同時に、美玲の表情が花開いたようにパァッと明るくなった。
その瞬間、俺は自分の胸の辺りをギュッと力強く握り締める。
そして口に手を押さえ、顔を俯かせた。
——ははは吐き気が凄すぎる……!
絶対に飲み込んでやるものかと喉全体が抵抗してくるし、何なら胃袋から逆流させようとしてくる。それに伴い手足が痺れ始めているし、もはや唇や舌の感覚がない。心臓が痛いくらいに鳴り響いているし、頭から打ちつけるような痛みが走っている。
吐き出さないよう全力で奥歯を噛み締めながら口を閉じているが、一瞬でも気を抜けばダムが決壊してしまう。爪が真っ白になるくらい拳を握り締め、爪が食い込んだ手のひらが痛い。
集中、集中するんだ
アドレナリンを分泌させて、恐怖や痛みを誤魔化しながら吐き気の大波を乗り越えるんだ!
あと数秒も耐えれば気分がいくらかマシになって——いややっぱ無理です絶対に耐えられない無理無理死ぬ死ぬ死ぬガチで死ぬって殺されちゃいますって久藤蒼の学校生活これにて終わっちゃいますっていうかもはや思考する余裕もないあばばばばばばばばびばばびびびばばび——
「嬉しいよ蒼……これで、連休の遅れをちょっとは取り返せたかな……?」
「美玲ちゃんって、蒼くんのことになると色々遠慮がなくなるよね……」
ウットリとした表情で『あーん』の喜びに浸っている美玲の横で、若葉は困ったような笑みを浮かべていた。
「蒼に対して美玲が暴走するのはいつものことだからな。むしろ、去年に比べたらマシになった方だぞ」
「そうだね。僕は去年別のクラスにいたけど、この二人が仲良いのは学年でも有名だったし」
「ま、マジで? 私あんまり知らなかった……美玲やるなぁ〜」
大して驚くことでもないと言う彰に対して、慎司は相変わらず楽しそうに笑っている。逆に、瑞原は感心したように頷きながら美玲を見つめていた。
「どう蒼? 美味しい?」
「……オ……オ、イ、シイ……」
「そっか、良かった!」
俺の掠れた声音を聞いて、とても上機嫌な様子で微笑む美玲。
彼女のその様子は、気になる男の子の反応で大きく喜ぶ——恋する女の子として、とても可愛らしく魅力的であった。
そして怖すぎたため、全身全霊で吐き気を抑えていた俺の目からは、ツゥ……と涙が流れた。
それを見て美玲はギョッとしたように目を丸くし、やがて可笑しそうに笑う。
「プッ……ちょ、ちょっと蒼ったら! 泣く演技なんて流石にわざとらしすぎるし!」
「フフッ、蒼くんがふざけてオーバーなリアクションをするのは、今に始まったことじゃないから」
「ったく……蒼らしいオチのつけ方だな」
「美玲に食べさせてもらって、最初はなかった食欲もようやく出てきたんじゃない?」
「よぉーし! 若葉、私にもあーんして! お願い先っちょだけでいいから!」
楽しそうな笑い声に包まれ、俺たちのテーブル席は一気に賑やかになる。
気の置けない友人たちと過ごす昼休み。
特に珍しくもない、美味しい学食のご飯。
とりとめのない話題で盛り上がり、くだらない軽口で思いのままに騒ぐ。
そんな取るに足らない日常生活のひと時は——これから大人になってから思い出した時、きっと泣きたくなるほど懐かしくて愛おしい、そしてちょっぴり恥ずかしいような、宝箱みたいな時間になるのだろう。
俺たちの高校生活はまだ始まったばかりではあるが、今は二年生の一学期。折り返し地点まであともう少しといったところだ。
こんな風に仲間たちと過ごせる当たり前の日常は、もちろんいつまでも続きはしない。
だからこそ、悔いのないよう俺たちは今この瞬間をかけがえのない思い出として残せるよう、全力で楽しむのだ。
それこそが青春というものであり、クサイけど何より美しいものだと思うから。
そんな風に考えていた俺は——今までの人生を振り返り、そしてこれからの人生に想いを馳せ、目を閉じるのだった。
——学校中の女子から人気のイケメン陽キャである俺が、実は【女性恐怖症】だということを誰も知らない。
第一部、完。
久藤蒼先生の次回作にご期待ください。
「じゃあ蒼、もう一回だけ『あーん』しとく?」
「えっ!? い、いや、もういいです……」
終わろうとしてたら更に美玲に追い打ちをかけられる俺だった。
ちなみにこの物語は終わらずまだまだ続くのである。泣きそう。
学校中の女子から人気のイケメン陽キャである俺が、実は【女性恐怖症】だということを誰も知らない。 松之助 @mtnsk999
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。学校中の女子から人気のイケメン陽キャである俺が、実は【女性恐怖症】だということを誰も知らない。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます